4月11日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

中央線開業記念日(続き)。
この路線は、1911(明治44)年5月1日に全通(東京駅乗入れは1919[大正8]年3月1日)して以降、東京駅 - 塩尻駅 - 名古屋駅間を通しで運行された列車は、東京側の列車発車駅であった飯田町駅 - 名古屋駅間を、1938(昭和13)年まで運行された夜行普通列車が唯一の例とされている。但し、東京側からの東西直通運転自体は、第二次世界大戦期間中の一時中断(1938[昭和13]年 - 1945[昭和20]年6月)を経て、始発駅を飯田町駅から新宿駅に変更して、1956(昭和31)年頃まで続いた。また、1954(昭和29)年から1961(昭和36)年には、準急「きそ」の一部の車両が名古屋駅 - 新宿駅間を直通運転していた。その後、1965(昭和41)年頃から1974(昭和49)年頃の毎年夏季に、名古屋駅 - 茅野駅間、若しくは小淵沢駅間(一部の列車は小海線や飯田線に直通)で、東・西線直通運転を実施しており、この頃から、途中の観光地への直通を主眼に置くようになる。1982(昭和57年5月17日)に塩尻駅の改修を行ない、東京方向と名古屋方向と直通する形から、東京・名古屋方向と篠ノ井線方向へ直通する形となった。その後は、貨物・団体専用列車を除き、東西直通運転される定期列車は存在しない。中央本線には、輸送力の増強を計る目的で当初、万世橋駅(現在の神田駅と御茶ノ水駅との間にあったが、1943[昭和18]年に休止[実質上廃止]) - 中野駅間の複々線化計画が存在しており、1923(大正12)年に発生した大正関東地震(関東大震災)後に利用度が更に増加したため、復興計画の一環として、御茶ノ水駅 - 中野駅で複々線が建設され、1933(昭和8)年に完成した。また、一部時間帯に急行電車(現在の快速電車)を運行させた。また、この計画と同時に、総武本線両国駅 - 御茶ノ水駅間についても高架鉄道として建設され、この結果、東京始発のものを、一部の時間帯は急行電車として運転することとなり、各駅に停車する列車は、一部の時間帯は総武本線に乗入れることとなった。第二次世界大戦後、俗に言う「通勤五方面作戦」(山手線を中心として、東海道線と横須賀線、中央線、高崎線と東北本線、常磐線、総武本線の五方面について、輸送量を思い切って増強しようというもの)で中野駅以西の輸送力の増強を計ることになり、1966(昭和41)年に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線電車と営団地下鉄東西線乗入れの列車がこの区間に運行されている。1969(昭和44)年には、複々線区間が三鷹駅まで延長された。1999(平成11)年3月より、三鷹駅 - 立川駅間の連続立体交差化に着手している。これは、既存の複線の路線を主に高架にすることで、道路との立体交差を実現し、踏切の解消を目的としているので、この工事が完成しても複々線とはならない。本来は、高架敷地捻出のために設置した仮線部分が、複々線用地であったが、用地取得を行なっている1980年代に国民の環境意識が大きく変化し、日照権(建築物の日当たりを確保する権利)や騒音問題に関する環境基準が著しく厳しくなった。このため、高架を建設する際には、一定幅の緩衝帯を設置しなければならなくなり、中央線高架の完成後、仮線跡は側道や緑地帯に転用される見通しである。なお、三鷹駅 - 国分寺駅間が2009(平成21)年12月、国分寺駅 - 立川駅間が2010(平成22)年11月に完成している。「あずさ」は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が主に、新宿駅 - 松本駅間を中央本線・篠ノ井線経由で運行する特急列車である。1966(昭和41)年12月12日に、新宿駅 - 松本駅間で1日2往復で運転を開始した。1977(昭和52)年3月25日に発売された、兄弟デュオ、狩人の楽曲『あずさ2号』が大ヒットしたことで、一時的に「あずさ」の利用客が増える等、沿線利用者や鉄道ファン以外でも知名度は高い。1994(平成6)年12月3日から、車体傾斜式車両(振り子式車両とも呼ばれる、曲線通過時に車体を傾斜させることで、通過速度の向上と乗り心地の改善を図った鉄道車両)であるE351系電車を使用した列車は、「スーパーあずさ」と名称が変更された。列車名の由来は、長野県松本市の近くを流れる「梓川」(犀川の上流域)に因んでいる。なお、1957(昭和32)年10月1日から、新宿駅 - 松本駅間で運転を開始した臨時夜行準急に、1960(昭和35)年1月1日から4月25日まで、「あずさ」の名称が使用されていた。2017(平成29)年3月4日の時点では、定期列車は、新宿駅 - 松本駅間の運行を基本に、「あずさ」が10往復、「スーパーあずさ」が8往復と、合計18往復が運行されている。全列車が中央本線(中央東線)と篠ノ井線を経由し、一部列車は、総武本線と大糸線も経由する。新宿駅 - 松本駅間では、概ね毎時1本の割合で運行している。2008(平成20)年3月15日のダイヤ改正で、「あずさ」と「スーパーあずさ」は、一部の時間帯を除いて交互に運転され、停車駅や一部の時刻が大幅に変更された結果、両者の違いは、充当車種の差異に留まっている。なお、2019(平成31)年3月16日のダイヤ改正により、「スーパーあずさ」の愛称は廃止された。『あずさ2号』は、1977(昭和52)年3月25日に発表された楽曲で、兄弟デュオ、狩人のデビュー曲である。都会での愛する人との暮らしに終止符を打ち、新しい恋人と特急「あずさ2号」に乗って、信州へ旅立とうとする、ヒロインの複雑な心の内を歌った曲である。1977(昭和52)年の大ヒット曲となり、新人歌手であった狩人を一躍スターの座に押上げた。シングル売上は、累計約80万枚(オリコンの集計では約50万枚)となり、『あずさ2号』の作曲者で、アイドルの曲を手掛けてヒットを連発していた、シンガーソングライター・作曲家の都倉俊一が司会を務め、狩人がレギュラー出演した日本放送協会(NHK)の若者向けの歌謡番組『レッツゴーヤング』では、「ヤングヒットソング」として1977(昭和52)年4月から流され、曲の宣伝に大きな役割を果たした。曲の前半部分は、しっとりとした曲調であるが、サビの部分では、それとは正反対の曲調となっている。これが、「より効果的に、女心のアヤを際立たせ」ることとなり、多くの人々の心を捉えた。『あずさ2号』の大ヒットで、この曲は、狩人の代名詞のような存在となった。しかし、この曲のインパクトがあまりにも強過ぎて、他の曲が売れなくなるという結果を招き、狩人も一時期、この歌を歌うのにためらいを覚えたことがあったという。それでも、狩人はいつしか、「代名詞というべき曲があることは、素晴らしいことではないか」と思うようになり、以前と同様に、この曲を積極的に歌うようになった。この曲の発表当時、日本国有鉄道(国鉄)在来線の列車愛称の号数は上り・下り列車で、それぞれに1号から付番されており、この歌で歌われているのは「旅に出ます(中略)信濃路へ」の歌詞からも分かる通り、下り列車の「あずさ2号」である。下りの「あずさ1号」は季節運行の列車であったため、新宿駅から松本・大町市・白馬方面に運行される毎日運行の特急の一番列車は「あずさ2号」であった。しかし、僅か約1年半後の1978(昭和53)年10月2日のダイヤ改正(通称は「ゴーサントオ」)に際し、号数の付番は下り列車が奇数、上り列車は偶数に変更されたため、この歌詞に相当する列車は「あずさ3号」になった。なお、「あずさ2号」は、甲府7時35分発の「通勤特急」と呼ばれる便になった。2002(平成14)年2月2日、下りの「懐かしの特急あずさ2号」がリバイバル運転された。これは、曲のタイトルである「2」が並んだことと、長年同列車に使用されてきた183・189系電車の「あずさ」での営業運転終了が迫ったことを記念した特別列車であった。本来であれば、下り列車に偶数の号数は付番されないが、この列車については、列車名そのものを「あずさ2号」とすることで、運転が実現したものである。この列車の出発式のメインのゲストは、もちろん狩人であった。但し、曲のサビの部分で歌われる「8時ちょうど(8時00分)」には、かつての下り「あずさ2号」に相当する「スーパーあずさ3号」が出発するダイヤであったため、2分遅れの8時2分の出発とされた。2004(平成16)年3月13日のダイヤ改正で、松本駅始発(6時2分発、後に6時8分発)の上り一番列車として、定期列車の「あずさ2号」が復活し、さらに、2016(平成28)年3月26日のダイヤ改正では、平日限定ながら、大月駅の出発時刻が「8時ちょうど」のあずさ2号が復活した(休日ダイヤでは7時59分発)。しかし、2019(平成31)年3月16日のダイヤ改正より、同列車は大月駅通過とされたため、3年で消滅した。また、2020(令和2)年3月14日のダイヤ改正で、同じ区間を走る特急「かいじ」と号数の付番を統合することとなり、2号は「かいじ」に付番されたため、定期列車の「あずさ2号」そのものが消滅した。