4月1日 記念日 その8 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ジャパニーズウイスキーの日。
ウイスキーについての研究、情報収集、発信等を行なうウイスキー文化研究所内に事務局を置く、ジャパニーズウイスキーの日実行委員会が制定。その歴史や製造方法、他の国のウイスキーとの違い、味わいの特徴等を幅広く知ってもらうと共に、世界中で高い評価を受けているジャパニーズウイスキーを、より多くの人に飲んでもらうことが目的。ジャパニーズウイスキーの礎を築いた先人の偉業を讃え、生産者を応援する思いも込められている。日付は、1929(大正13)年4月1日に、日本初の本格国産ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称"白札")」が発売されたことから。株式会社ウイスキー文化研究所(本社所在地は、東京都渋谷区広尾)として、法人化もされている、ウイスキー文化研究所は、ウイスキー評論家の土屋守が代表を務める、会員制の愛好家団体で、その対象は、スコッチウイスキーに留まらず、広く世界のウイスキーとその文化を学ぶため、研究や情報の収集、発信を行なっている。2001(平成13)年3月の発足以来、国内外のウイスキー、酒文化全般をより深く知るため、研究範囲と活動を拡げ、そこに関わる多くの人々と様々な取組みを企画・立案、実施して来た。同時に、愛好家や飲み手の育成、ウイスキー文化の普及にも努めている。代表の土屋守は、フォトジャーナリストや雑誌記者を経て、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家として活動し、日本放送協会(NHK)大阪放送局制作で、2014(平成26)年9月29日から2015(平成27)年3月28日まで放送された、連続テレビ小説第91シリーズ『マッサン』では、ウイスキー考証として監修を務めた。ジャパニーズ・ウイスキーとは、日本で生産されるウイスキーである。日本でウイスキーが作られ始めたのは1870(明治3)年頃であるが、販売用の生産が開始されたのは、1924(大正13)年のことである。ジャパニーズ・ウイスキーはスコッチ・ウイスキーに倣って、英語表記の綴りは、スコットランド風の"e"を省く表記が用いられて、かつては、「ウヰスキー」とも表記された。大手酒類メーカー系列だけでなく、ベンチャーウイスキー等、新興の蒸留所(蒸溜所)によるクラフトウイスキーも急増している。ジャパニーズ・ウイスキーの評価や人気が国内外で高まっているため、原酒は不足気味で、高額で取引される銘柄もある。大手としては、サントリースピリッツ株式会社(サントリーホールディングス株式会社)、ニッカウヰスキー株式会社(アサヒグループホールディングス株式会社)、キリンディスティラリー株式会社(キリンホールディングス株式会社)が挙げられる。これらの社では、シングルモルト、ブレンデッドの両方を製造しており、大手各社だけで、日本国内のウイスキー市場シェアの約90%を占めている。ジャパニーズ・ウイスキーは、スコッチ・ウイスキーを手本として出発した。しかし、スコッチ・ウイスキー特有のスモーキーフレーバーは、日本人に合わせて抑えられ、軽い口当たりに仕上げられているものが多い。大麦麦芽を原料とするモルトウイスキーと、大麦麦芽や小麦、トウモロコシ等の穀類グを原料とするグレーンウイスキーとを混合するブレンデッドウイスキーが、ジャパニーズ・ウイスキーの主流を占めている。ジャパニーズ・ウイスキー独特のスタイルとして、ブレンデッドウイスキーの生産方法や、日本におけるウイスキー業界の性質が挙げられる。原酒の熟成に使用する樽の素材に、日本の山地から亜高山帯にかけて自生している落葉広葉樹、ミズナラを使用することも、ジャパニーズ・ウイスキーの特徴として挙げられる。ミズナラで熟成される若い原酒は、ココナッツに似た香りを帯び、長い熟成期間を経て伽羅、白檀に例えられる芳香へと変化する。しかし、ミズナラは樽の中の液体が漏れ易いため、過去に比べて使用されなくなり、ホワイトオークの樽を使うことが多くなっている。また、ミズナラに比べて気密性が高い、コナラが樽の素材に使われることもある。
こころのヘルスケアの日。
東京都台東区上野に本社を置く、電話による健康相談や医療関連サービス等を手掛ける企業、ティーペック株式会社が制定。記念日を通して、自分の心の状態と向合い、「ちょっとした気付き」の段階でケアし、1人で悩まずに専門家に相談する等、適切な支援に辿り着ける社会を目指すことが目的。日付は、4月1日の新年度の始まりは忙しく、変化が多いため、こころのヘルスケアに意識して欲しいとの思いから。また、自社のメンタルヘルス相談サービスが開始されたのが、1993(平成5)年4月であることもその理由。ティーペック株式会社は、日本で初めて、24時間年中無休にて電話による健康や医療に関する相談事業を立上げた会社である。現在、健康相談数は日本最多の件数を誇り、この事業を軸に、メンタルヘルス対策、従業員支援プログラム(EAP)、ストレスチェックサービス、セカンドオピニオン手配紹介サービス、糖尿病専門医療機関の案内サービス、認知症の「前駆段階」とされる軽度認知障害(MCI)を早期で発見する簡易認知機能確認スケール(あたまの健康チェック)、集団禁煙プログラム、からだの健康チェック、がん治療と仕事の両立支援サービス等、健康経営を支援するサービスを提供し事業を拡大している。
ほぼカニの日。
兵庫県神戸市東灘区向洋町西に本社を置く、水産練製品や惣菜の製造販売を手掛ける企業、カネテツデリカフーズ株式会社が制定。カネテツデリカフーズ株式会社の「ほぼカニ」は、本物のカニではなく、限りなく本物のズワイガニに近付けたカニ風味のかまぼこ。相手を驚かし、互いに笑い合えるような嘘をついても良い日とされる「エイプリルフール」の4月1日に、本物のカニと「ほぼカニ」を食べ比べ、楽しい嘘をついて食卓を盛上げてほしい、との想いが込められている。カネテツデリカフーズ株式会社が販売している、魚を再現した練り製品、ほぼシリーズは、2021(令和3)年12月時点で累計約5,000万パック以上を売上げる人気商品となっている。カネテツデリカフーズ株式会社は、既にカニカマ(風味・食感・形・色等を蟹の身に似せて作られた蒲鉾)を販売していたが、より本物のズワイガニに近付けることを狙って開発された。2014(平成26)年発売のほぼカニに続き、ほぼホタテ、ほぼエビフライ、ほぼカキフライ、ほぼうなぎ、ほぼタラバガニ、ほぼいくら等が発売されている。
親鸞聖人誕生会。
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の1173(承安3)年の誕生日(旧暦)。新暦4月1日の他、グレゴリオ暦に換算した5月21日に法要を行なう寺院もある。親鸞は、後に浄土宗の開祖と仰がれる法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めることに力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つことはせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形を取る。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受ける等する中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立されることとなる。
三鬼忌、西東忌。
俳人、西東三鬼の1962(昭和37)年の忌日。西東三鬼は、医師として勤める傍ら30代で俳句を始め、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で、昭和初期に始まった画期的な俳句革新運動、新興俳句運動の中心人物の1人として活躍した。1937(昭和12)年には、季語を持たない俳句である無季俳句の制作に没頭、特に、戦争を主題とした句を多く作る。第二次世界大戦後は、有季を基本とした作風に戻り、俳句雑誌『天狼』を創刊。1956(昭和31)年には、大手出版社である角川書店の総合誌『俳句』編集長に就任。翌年に辞職し、俳人専業となる。異国でのボヘミアン(伝統や習慣に拘らない自由奔放さ)的な生活を経て、遅れて30代で俳句の世界に身を投じたことから、従来の俳句的伝統の束縛を受けず、自由な発想の句を多く作った。句材も基地や地下街、空港、異人といった新鮮な題材を好んで取上げている。 
愛子忌。
俳人、森田愛子の1947(昭和22)年の忌日。森田愛子は、1917(大正6)年11月18日に、福井県坂井郡三国町(現在の福井県坂井市三国町)で生まれ、福井県立三国高等女学校(現在の福井県立三国高等学校)を経て、東京の女子大学へ進学する。病弱であった森田愛子は、神奈川県鎌倉で療養生活に入るが、その地で、俳誌『ホトトギス』を主宰し、伝統的な季題や定型を守る立場を取った俳人、高浜虚子門下の俳人、伊藤柏翠に出会い、弟子入りする。高浜虚子は、美人聡明であったこの孫弟子を大変可愛がった。森田愛子は、抒情的な句風で知られるが、結核を患い、29歳の若さで死去している。句集に『虹』(伊藤柏翠共著)がある。病弱な身辺は、高浜虚子の写生文(写生によって、物事をありのままに書こうとする文章で、高浜虚子らによって俳誌『ホトトギス』誌を中心に発展し、近代的な日本語による散文の創出に大きな役割を担った)『虹』(1947[昭和22]年)のモデルにもなっている。2018(平成30)年には、生誕百年を記念し、福井県坂井市三国町にある坂井市立の総合博物館「みくに龍翔館」で、俳句と共に生きた森田愛子と、高浜虚子の著書である写生文、『虹』に関する資料を展示する企画展が実施された。