3月29日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1461年 - 薔薇戦争: タウトンの戦い。 
1792年 - 北ヨーロッパに所在するヨーロッパ最大の半島、スカンディナヴィア半島に位置するスウェーデン王国の国王、グスタフ3世が死去し、13歳のグスタフ4世アドルフが即位する。グスタフ3世は、ロシア帝国やデンマークと戦って勝利し、ヨーロッパでの名声を高めたが、3月16日、背後から拳銃で撃たれた後、合併症を併発して、46歳でこの世を去っている。
1806年 - アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンが、カンバーランド道路の建設を承認する。ナショナル道路とも呼ばれるカンバーランド道路は、アメリカ合衆国連邦政府によって建設された、初期主要改良道路の1つである。建設は1811年に、メリーランド州(アメリカ合衆国東部の大西洋岸)のポトマック川沿いの街カンバーランドで始まる。その後、アメリカ合衆国とカナダの東部に連なる長大なアパラチア山脈の一部(北東部)をなす山脈、アレゲーニー山脈とペンシルベニア州(アメリカ合衆国北東部の大西洋岸中部)南西部を越え、1818年にバージニア州(今日では、アメリカ合衆国東部、ウェストバージニア州)のオハイオ川沿いホイーリングに達する。計画では、ミズーリ州(アメリカ合衆国中西部)セントルイスを抜けてミシシッピ川のジェファーソンシティまで達する予定であったが、予算が尽きて1839年にイリノイ州(アメリカ合衆国中西部)バンダリアで工事が止まる。約620マイル(約1,000km) のこの道路は、ポトマック川とオハイオ川を繋ぎ、数多い開拓者達にとって西部への入り口となる。 
1807年 - 4番目の小惑星ベスタが発見される。ベスタは、将来的に準惑星(太陽の周囲を公転する惑星以外の天体の内、それ自身の重力によって球形になれるだけの質量を有するもの)に分類される可能性がある、太陽系の小惑星の1つである。ドイツ北西部のブレーメンで、医師で天文学者のハインリヒ・オルバースによって発見され、古代ローマの女神ウェスタに因んで名付けられる。小惑星帯(太陽系の中で第四惑星、火星と第五惑星、木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域で、アステロイドベルトとも呼ばれる)に位置するベスタの直径は、約468kmから約530kmで、表面は他の小惑星に比べて格段に明るいため、条件さえ揃えば小惑星の中では唯一、肉眼で見ることができる。 
1809年 - スウェーデンで、クーデターによる臨時政府が、国王グスタフ4世アドルフの王位を剥奪し、叔父のカール・ヨハン(後の国王カール13世)を摂政に任命する。 
1849年 - イギリスが、パンジャーブ地方(インド北西部からパキスタン北東部に跨る地域)を併合する。 
1867年 - イギリスの北アメリカ植民地を自治領カナダとする、英領北アメリカ法が成立する。 
1871年 - イギリスの首都ロンドンに、イギリスのヴィクトリア女王の夫であるアルバート公(ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート)に捧げられた演劇場『ロイヤル・アルバート・ホール』が開場。8,000名を収容でき、ホールの天井は鉄骨のドームにガラス張りとなっており、高さは41mである。1941年より毎年夏に開催されている、8週間に及ぶ一連のクラシック音楽コンサート・シリーズ「BBCプロムナードコンサート(The Proms)」の会場としても有名である。また、他にも、クラシックからポップスまで、様々な音楽のコンサートが開催されている。1968年には、欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって開催される、毎年恒例の音楽コンテスト「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」が、1969年から20年間は、毎年開催されている世界を代表するミス・コンテスト「ミス・ワールド」世界大会の会場として使用されている。さらに、ボクシングやプロレスリング、テニス等のスポーツイベントが開催されることもある。1991年に日本の大相撲が、イギリスで公演を行なった会場でもある。
1872年 - 東京日日新聞(現在の毎日新聞の前身)が創刊される。 
1886年 - アメリカ合衆国南東部、ジョージア州アトランタの薬剤師、ジョン・ペンバートンが、世界初のコーラ飲料とされるコカ・コーラを初めて製造する。 
1897年 - 一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額で表わす金本位制の「貨幣法(明治30年3月29日法律第16号)」が公布される。この法律は、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)」施行に伴ない、1988年3月末を以て廃止される。 
1900年 - 改正「衆議院議員選挙法(明治33年3月29日法律第73号)」が公布される。選挙権が、それまでの直接国税15円以上から10円以上に引下げられる。 
1911年 - 日本初の労働法(労働関係、及び労働者の地位の保護・向上を規整する法)となる「工場法(明治44年3月29日法律46号)」が公布される。この法律は、1947年に「労働基準法(昭和22年4月7日法律第49号)」が施行されたことによって廃止となる。「工場法」の主な内容は、工場労働者(職工)の就業制限と、業務上の傷病死亡に対する扶助制度である。但し、小規模工場は適用対象外であり、就業制限についても、労働者全般を対象としたものではなく、年少者と女子労働者(保護職工)について定めたに留まる等、労働者保護法としては貧弱なもので、「産業の発達」と「国防」という面が強調されており、今日の労働法のような「労働者の保護」を目指した法というよりは、人的資源としての「労働力の保護」という思想の下に制定されたものとなる。財界からの反対等により、約30年という年月を経て、ようやく公布された「工場法」は、施行まではさらに約5年余りを要し、1916年9月1日に施行されている。  
1945年 - 第二次世界大戦: ドイツのV1ロケット(正式名称は「フィーゼラー Fi 103V1」で「V1飛行爆弾」とも呼ばれる、現在の巡航ミサイル[飛行機のように翼とジェットエンジンで水平飛行するミサイル]の始祖とされる、ドイツ空軍が開発したミサイル兵器)によるイギリス本土への攻撃が終息する。飛行爆弾は、大きな弾頭を持つ無人飛行物体、又は小型の航空機をいい、今日の巡航ミサイルの前駆をなすものである。ドイツ敗戦後、この飛行爆弾の研究、及びそれに携わっていた人は西側、東側どちらにも流れ、それが双方共に、殆ど全てのミサイル技術に適用されていくようになる。アメリカでは、V1ロケットの破片等を鹵獲、研究し、命中精度を上げる研究を、特に熱心に第二次世界大戦末期に行なっている。第二次大戦後は、米ソ共に巡航ミサイルを開発したが、ソビエト連邦が一連の核弾頭搭載の大型対艦ミサイルをシリーズ化する。それに対して、アメリカでは、長距離弾道ミサイル実用化前に、核搭載巡航ミサイルを開発している。核搭載巡航ミサイルは、弾道ミサイルより着弾時間や被迎撃性で劣り、長距離弾道ミサイルの実用化に伴ない退役したが、アメリカで巡航ミサイルBGM-109トマホークが開発され、核弾頭、非核弾頭、対地、対艦ミッション等のバリエーションを増やし、東西冷戦(第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造)終結以降は、「ならずもの国家(世界平和に対する脅威を画策する国家、或いは体制)への挨拶状」代わりに多用されるようになる。巡航ミサイルは、主に通常弾頭で固定施設への精密攻撃に使用されている。