3月23日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

スジャータの日。
愛知県名古屋市天白区中砂町に本社を置く、乳製品を中心に食品事業等を手掛ける企業グループ、スジャータめいらくグループ株式会社が制定。スジャータめいらくグループを代表する商品である「スジャータ」は、コーヒーのおいしさを引立てるコーヒーフレッシュ。記念日を通して、さまざまなスジャータ製品をPRしていくことが目的。日付は、1976(昭和51)年3月23日に、「褐色の恋人 スジャータ」として初めて発売されたことから。2021(令和3)年には、発売45周年を迎えている。スジャータめいらく株式会社と名古屋製酪株式会社を中核企業とする企業グループ、スジャータめいらくグループは、コーヒーフレッシュ、チルドスープ(凍結寸前の温度まで冷却して保存するスープ)では、販売シェア第1位(2009[平成21]年)である。また、豆乳類や低果汁入清涼飲料水も、販売シェア上位となっている。スジャータのイメージが強いが、多岐に亘る乳製品を中心とした食品の開発、製造、販売を行なっている。「スジャータ」という商品名の由来は、仏典に登場する釈迦牟尼に乳粥を差上げた少女の名「スジャータ」からである。現在のポーションタイプ「スジャータP」は1977(昭和52)年3月に発売され、その後、東海道・山陽新幹線「ひかり」で採用され、全国へ広まった。植物性脂肪シリーズと乳脂肪シリーズがある。容器アルミ蓋のデザインが特徴で、366種類の誕生花を始め、過去には日本の昔話、健康体操エクササイズ、大相撲の決まり手等があった。後には、コーヒーフレッシュ以外の商品でも「スジャータ」がブランドとなり、配送トラックに「スジャータ」と大きく描かれていたり、ラジオ時報CMでも「スジャータ」を強調していることから、「スジャータ」が会社名と勘違いする人も少なくない。業務用商品の「スジャータ スーパープレミアムアイスクリーム」は、新幹線の車内販売での定番商品として広く知られている。一般的なアイスクリームに比べ、極端に固いことから「シンカンセンスゴイカタイアイス」という俗称がある。新幹線以外でも取扱っている列車は存在する(近鉄特急の一部列車等)。山陽新幹線では、新型コロナウイルスの感染拡大による昨今の状況を踏まえ、2021(令和3)年2月から車内販売を休止しているため、一時的な販路として、2021(令和3)年2月15日から、山陽新幹線における車内販売再開までの間、西日本旅客鉄道(JR西日本)の完全子会社で、レストランやカフェ等の運営や、駅弁の販売、山陽新幹線での車内販売等を手掛ける企業、ジェイアール西日本フードサービスネットのネットショップにて、「バニラ」と「抹茶」を、それぞれ12個入りセットで通信販売している。スジャータめいらくグループはかつて、全国の民放ラジオ局でラジオ時報CMを放送していた。特に、主要都市圏のAMラジオ局では、約35年間に亘って放送されていたこともあり、時報CMとしての知名度は高かったが、会社の事情により、いずれの局も2012(平成24)年12月31日深夜(翌年1月1日4時放送分まで)に終了した。2018(平成30)年4月7日より、中京テレビ(中京広域圏)にて時報CMが復活し、毎週土曜日の20時59分45秒から、15秒のCMを放送している。コーヒーフレッシュ(コーヒー等に加える小型のクリームを意味するポーションクリーム[和製英語: potion cream]で、食品分類上の区分は「植物性油脂食品」や「植物油脂クリーミング食品」である)という呼称は、主に関西圏や中京圏で用いられ、他の地域では、(ホイップ)クリーム、若しくは、(コーヒー)ミルク等の呼称が一般的である。コーヒーフレッシュが開発されるまでは、牛乳や生クリームを用いたが、流通や保存に冷温保存を要するため、1950年代に代替品として、クリーミングパウダーが開発された。液体タイプは、1958(昭和33)年にアメリカのカーネーション社が、「コーヒーメイト」のブランドで発売したものが最初である。カーネーション社は、後に、スイス西部のヴヴェイに本社を置く、世界最大の食品・飲料会社、ネスレが買収しており、「コーヒーメイト」は、アメリカではクリーマー(喫茶飲食に供する加工乳製品)の代表的な製品である。日本では、1975(昭和50)年に、大阪府八尾市旭ヶ丘に本社を置く、コーヒーフレッシュやシロップの製造を行なう食品メーカー、日興乳業株式会社(1989[平成元]]年に、メロディアン株式会社と社名変更)が「メロディアンミニ」を、1977(昭和51)年には、スジャータめいらく株式会社が「スジャータ」を、それぞれ発売し、コーヒーフレッシュが広まった。1970年代に他社の製品も販売され、安さと便利さで、家庭用、業務用共に全国で使用されている。主原料は植物性脂肪で、植物性油脂と水に乳化剤を加え、クリーム状にした後、着色料、及び香料で、色合いや香りを調整している。
ホットサンドを楽しむ日。
食品・酒類の総合卸売業等を手掛け、「K&K“CAN”Pの達人 ホットサンドの具」を販売する企業、国分グループ本社株式会社が制定。屋外でのキャンプや、自宅時間を楽しむためのおうちキャンプ等で人気のホットサンドを、より一層楽しく美味しく味わってもらうことが目的。一般の人々はもちろん、ホットサンドメーカーの販売会社とも協力して記念日を盛上げる。日付は、「1」が「3」で挟まれていることから「サンドイッチの日」とされる3月13日から、サンドイッチを焼く音「ジュウ(10、十)」を足して、3月23日としたもの。東京都中央区日本橋に本社を置く、酒類・食品の卸売会社、専門商社、国分グループ本社株式会社は創業当時、醤油の製造・卸売業者であったが、明治以後は専門商社に専念した。現在、食品総合商社としては、グループ会社と経営統合し規模を拡大した、三菱商事株式会社(大手総合商社)系の三菱食品株式会社や、伊藤忠商事株式会社(大手総合商社)系の株式会社日本アクセスに次ぐ、全国3位の売上高を誇る。ホットサンドイッチ、或いはホットサンドとは、温かいサンドイッチのことで、食パンの耳を落としてトーストしたもの、或いは、パンに温かい具(チーズ、トマト、チキンやマッシュポテト等、好みで、それにタルタルソースやオリーブオイル等の調味料)を挟んだもの、若しくは、パンに具を挟み、焼いたものである。何を具にするかにより、イタリアンやアイリッシュ、レッドホット等の呼び名が付加えられる。トーストしたパンに冷たい具を挟んだものは、「トーストサンドイッチ」と呼ぶ。ホットサンドイッチを作るための専用の器具、ホットサンドメーカーも市販されている。代表的なホットサンドに、クロックムッシュやルーベンサンド等がある。クロックムッシュは、1910(明治43)年にフランスの首都パリにある歌劇場、オペラ座近くのカフェで作られたトーストの一種で、カフェやバー等において、軽食のメニューとして提供される。パンにハムとチーズを挟み、バターを塗ったフライパンで軽く焼いて、ベシャメルソース(白、或いは黄色いルーを、牛乳で溶いて煮詰めた白いソース)やモルネーソース(ベシャメルソースにチーズを加えたもの)を塗り、温かいうちに食べる。ゆで卵や野菜を挟む場合もあり、上面に目玉焼きを盛り付けたものは、クロックマダムと呼ばれる。ルーベンサンドイッチ(ルーベンサンド)は、ライ麦パンにコンビーフ、ザワークラウト、スイスチーズ、ロシアンドレッシング、又はサウザンドアイランドドレッシングを挟んでグリルしたホットサンドである。具材には、コンビーフの代わりにパストラミ、ザワークラウトの代わりにコールスローを用いる等、バリエーションが豊富に存在する。最高水準の世界都市の1つ、アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市の定番サンドイッチ、及び、名物料理の1つに挙げられる。ホットサンドを調理する調理器具、又は電気製品がホットサンドメーカーで、調理前のホットサンドを挟んで閉じ、焼上げるものである。直火で焼上げるものは、フライパンを2枚向かい合わせに重ねた構造をしている。電気式は、ニクロム線ヒーターを内蔵した2枚の加熱プレートを、蝶番で繋いだ構造をしており、食パン2枚が並べられるサイズのものが多い。
裏旬ぶどうの日。
東京都中央区日本橋室町に本社を置く総合不動産会社(デベロッパー)、三井不動産株式会社の社内ベンチャー企業で、日本とニュージーランドの2つの拠点で日本品種の高級ぶどうを栽培、販売する株式会社GREENCOLLARが制定。株式会社GREENCOLLARでは、日本品種のクラフトぶどう「極旬」を、日本の山梨県とニュージーランドで育てており、ニュージーランドでは、日本のぶどうの旬とは真逆の季節である、冬から春にかけて旬を迎えることから、それを「裏旬」と名付けている。記念日を通して、「裏旬」をより多くの人に知ってもらい、ぶどうの新たな旬を楽しく味わってもらいたい、との想いが込められている。日付は、3月が裏旬ぶどうの出荷のピークを迎え、日本でも味わえることと、ぶどうの「房(ふ[2]さ[3])」の語呂合わせの23日を合わせた、3月23日としたもの。山梨県はぶどう出荷量日本一を誇る名産地で、ぶどうの主な収穫シーズンは8月中旬頃から10月初旬頃となり、これは「表旬」と呼ばれる。また、ニュージーランドは日照時間が長く、乾燥しており、ぶどうの生産に最適な環境である。
焼肉開きの日。
3月第4土曜日。神奈川県横浜市西区みなとみらいに本社を置く、焼肉のたれ等、さまざまな調味料食品の製造販売を行なう企業、エバラ食品工業株式会社が制定。卒園、卒業、入学、新学期、新生活のスタート等、お祝いの機会が多い春休みに、焼肉を囲んで新たな門出を祝って欲しい、との思いが込められている。日付は、春休みの最初の土曜日となることが多い、3月の第4土曜日としている。なお、8月29日の「8」と「29」で、「焼肉(ヤ[8]キニ[2]ク[9])」の語呂合わせから。この季節、夏バテ気味の人々に焼肉を食べて、スタミナを付け、残暑を乗切ろうと、事業協同組合全国焼肉協会が1993(平成5)年に、「焼肉の日」を制定している。東京都北区王子に事務所を置いていた事業協同組合全国焼肉協会は、2016(平成28)年、東京都中央区日本橋茅場町に事務所を移転した。焼肉店事業者により構成される事業協同組合で、農林水産大臣に認定を受けた業界で唯一の組織でもあり、焼肉業を営む企業や、その周辺企業が構成会員となっている。日本語の「焼肉」という言葉は、大きく2つの意味を持ち、肉を焼いた料理全般を指す場合と、肉や内臓にタレをつけ、直火で焼きながら食べる特定の東洋料理を指す場合がある。焼いた肉料理を指す「焼肉」という語の使用は古く、明治初期には、バーベキューの訳語として使用されている。一方、東洋料理を指す「焼肉」は、現在広く使用されており、調理器具として主に鉄板や焼網を用いたものをいう。一般的に、「焼肉店」と称するレストランは、この料理を提供している。この場合、串焼きや陶板等を用いた調理法とは区別して呼称する。日本に於いても、古くから獣肉食の歴史がある。最も一般的な説では、江戸時代のももんじ屋(江戸近郊農村において、農民が鉄砲等で捕獲した農害獣の猪や鹿を、利根川を利用して江戸へ運び、その他、犬、狼、狐、猿、牛、馬等を肉食させたり、売っていた店のことで、表向きは肉食忌避があったため、これらを「薬喰い」と呼んだ)等でひっそり続いていた食肉文化があり、これは、猪や鹿、犬、牛、馬等、各地方や食文化により多種多様な様態をもっていた。幕末の開国期には、日本各地の開港場で日本国外の人向けとして食肉処理(屠蓄業)が始められ、当初は英国人・米国人・清国人等が経営を行なった。第二次世界大戦後の深刻な食糧難の際に、在日朝鮮人が料理屋として内臓類を調理して販売したところ、瞬く間に好評を得、安価な食材で店を繁盛させられると気付いた在日朝鮮人により、「朝鮮料理」として全国的に店舗を拡大させた。しかし、後に朝鮮戦争(大韓民国[韓国]と朝鮮民主主義人民共和国[北朝鮮]の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境線と化していた38度線を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争)が勃発し、在日朝鮮人の中で韓国を支持し「韓国料理」と名を変える者と、北朝鮮を支持し朝鮮料理を主張する者の二派に分かれたが、主な客である日本人には理解されず、日本人にも理解し易い様、肉を焼くという意味で「焼肉」に統一され、これが第二次世界大戦後の日本で、一般的に知られる焼肉のルーツと言われている。焼肉は、一般的には、焼いた肉をタレ(醤油を基本に酒、砂糖、ニンニク、ゴマ等を調合して作った配合調味料)や塩、胡椒、若しくはレモン汁等に付けて食する。同時に野菜も調理する場合もあるが、それらを含めて「焼肉」と呼ぶことが多い。材料には牛肉がよく用いられるが、焼肉店では、豚肉、鶏肉等の獣肉、ウィンナーやソーセージ、魚介、野菜、杏仁豆腐やフルーツカット等のデザートも提供されている。また、キムチやクッパ、ビビンバ、朝鮮式冷麺等、朝鮮の食文化を象徴するサイドメニューも豊富に提供されている。肉を焼く方法には、直火焼き(網焼き、串焼き等)と鉄板焼きがある。直火焼きは、焼く時に脂が滴り落ち、表面がカリッと仕上がるので、比較的さっぱりとした味となる。また、火で直接炙るので焦げ目が付き易く、落ちた脂による煙により、多少燻されるので、香ばしい風味となる。一方、鉄板焼きは脂が落ちにくく、直火で炙られることが無いため、水分が飛ぶことが少なく、比較的シットリとしてコクのある食感となる。調理師により調理されたものを供(サービス)されるものや、ガスや電熱台等を使用するものよりも、七輪やグリルに木炭を使用して、直火炙りで各自が焼くものの方が、野趣めいて好まれることがある。