3月20日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3水曜日 旧暦  2月11日、赤口(癸未)、月齢  9.7  
グレゴリオ暦で年始から80日目、年末まであと286日。
誕生花 チューリップ(黄)・スイートピー・ゼニアオイ・ミツマタ。

二十四節気・雑節等 
春彼岸。
雑節。彼岸の中日。彼岸とは悟りの境地のことで、この世の向こう側を指す。暦の上では「春分」がその中日に当たり、前後それぞれ3日を合わせた7日間を「彼岸」と称する。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟り(迷いの世界を超え、真理を体得すること)の境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」(波羅蜜とは、彼岸[悟りの世界]に到ることで、六波羅蜜は、この世に生かされたまま、仏の境涯に到るための6つの修行を指す)を1日に1つずつ修める日とされている。この期間に行なう仏事を彼岸会と呼ぶ。彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているともされ、日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は、原始宗教の頃からの付き物とも言える。因みに、京都市東山区松原通大和大路東入にある真言宗智山派の寺院、六波羅蜜寺は、踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が、平安時代中期、10世紀の中頃に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也は、疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって、多くの人を救ったという。10世紀後半に、比叡山の僧侶、中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降、天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。名称は、仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。
春分。
二十四節気の1つ、旧暦二月中気。太陽が春分点を通過した瞬間、即ち、太陽黄経が0度となった瞬間のことになる。
雀始めて巣くう。
七十二候の1つ(10候)。 
 
春分の日。
春分が起こる日。『暦便覧』に「日天の中を行て昼夜とうぶんの時なり」と記されている通り、春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。日本付近では、年により差があり、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。日の出は、太陽の中心が地平線から昇るより平均3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより平均3分25秒遅くなる。従って、春分の日の昼の長さは平均12時間7分、夜の長さは平均11時間53分である。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は、春分の4日程度前になる。春分日には、太陽は真東から昇って真西に沈む。赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。北極点、又は南極点の観測者から見ると、春分の太陽は丁度地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともない。日本の国民の祝日の1つで、1948(昭和23)年公布・施行の「国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)」によって制定された。「祝日法」では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。休日としては、1878(明治11年改正の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年6月5日太政官布告第23号)」による春季皇霊祭から続くもので、1947(昭和22)年に廃止される「休日ニ關スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)」までこの名称であった。春分の日の具体的日付は、大抵、3月20日から3月21日頃のいずれか1日となる。「祝日法」の上では「春分の日 春分日」つまり同法上の「春分の日」を「春分日」とすることのみが規定され、日付は固定されていない。実際の各年の春分の日は、理論・観測の両面から天文学を研究する研究所・大学共同利用機関である国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づき、閣議において決定され、決定する日の前年2月第1平日付の官報(国としての作用に関わる事柄の広報、及び公告をその使命とする政府の機関紙)で暦要項として公告される。即ち、天文学における「春分日」は、天文観測に基づいて地球の運行状態等が変わらないと仮定できる範囲で、2年後以降のものも計算により特定できるが、国民の祝日としての春分の日は、前年の2月にならなければその通りとまでは確定できない。但し、これまでのところ天文計算によって求められた「春分日」以外が「春分の日」とされたことはない。仏教各派では、この日「春季彼岸会」が行なわれ、宗派問わず墓参りをする人も多い。なお、第二次世界大戦前は、春季皇霊祭として祭日であった。皇霊祭は、歴代の天皇・皇后・皇親(天皇の親族)の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の1つであり、大祭(天皇が自ら行なう祭り)とされていた。元々、この日は彼岸であって、先祖を祭る日であった。また、彼岸に最も近い戊の日は、社日(古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する)として氏子が氏神たる神社に参詣し、春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがあった。古代中国では、祖廟を祀る日であった。1878(明治11)年、それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を。春と秋に纏め奉祀した。1908(明治41)年9月19日制定の「皇室祭祀令(明治41年9月19日皇室令第1号)」では、春季皇霊祭・秋季皇霊祭共に、大祭に指定された。「皇室祭祀令」は1947(昭22)年)5月2日に廃止されたが、1948(昭和23)年以降も、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行なわれている。イランを中心に、中東の広い地域で使われている暦法、イラン暦の元日、ノウルーズは、丁度春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。ヨーロッパ等でも、春分をもって春の開始とする。さらに、幾つかの国では休日とされる。キリスト教で、復活祭(十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭)の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。この算出方法を「コンプトゥス」という。但し、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、太陽黄経が0度の日とは必ずしも一致しない。「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しない。この算定法は、325(仁徳天皇13)年に開催された第1ニカイア公会議(キリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議[公会議])で定められた。
酒風呂の日。
日本酒製造の責任者である杜氏と同じ読み方の冬至や、四季の節目である春分、夏至、秋分の日に「湯治」として酒風呂に入り、健康増進を図ろうと、銘酒「松尾」の蔵元で、長野県上水内郡信濃町大字古間に所在する酒類製造業者、株式会社高橋助作酒造店の代表取締役、高橋邦芳が制定。 日付は、日本酒製造の責任者である杜氏(とうじ)と同じ読み方の冬至(とうじ)等には「湯治(とうじ)」を、との語呂合わせから。酒を風呂に入れると、美肌や健康に良いと言われる。効果のある酒の種類は、ビールやワイン、日本酒や焼酎とされる。ビール風呂は、ニキビや肌の炎症を抑える他、ビールに含まれているホップにより、リラックス効果が期待でき、ワイン風呂は、ワインに含まれているビタミンPによって、血行が良くなり冷え性の改善にも繋がり、日本酒風呂の効果には、美肌や美白の他、血行促進も期待できるという。焼酎をベースにした化粧水もあり、焼酎風呂は、焼酎のモロミによる美肌効果や、焼酎のアルコール成分が血管を拡張する効果がある、とされる。 
昔 ピュアな乙女達の同窓会の日。
「久しぶり」のひと言で、「あの頃」に戻れる同窓会。みんなで歩いた青春の日々が蘇る感動的な日を楽しんでもらいたい、との願いが込められている。日付は、青春をイメージし、卒業式のシーズンであり、みんなが集まり易い祝日の「春分の日」に。