3月15日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-044年 - 民衆派の指導者であった独裁官(あらゆる領域に及ぶ強大な権限を有する政務官)で、文筆家でもあったガイウス・ユリウス・カエサルが、共和政ローマ末期の政治家・軍人、マルクス・ユニウス・ブルートゥス(英語読みのブルータスという名がよく知られる)らに暗殺される。暗殺された際、ガイウス・ユリウス・カエサルは「ブルートゥス、お前もか」と叫んだとされ、これは、イギリスの劇作家・詩人、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲(政治劇・悲劇)で、ガイウス・ユリウス・カエサルに対する陰謀・暗殺と、その死の余波が描かれている『ジュリアス・シーザー』の中の台詞として有名であるが、それ以前にも、ガイウス・ユリウス・カエサルがこのような意味のことを言った、という説は存在している。因みに、『ジュリアス・シーザー』において、ジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)は中心的人物ではなく、3場面に登場するに過ぎず、第3幕の始めに死んでしまう。この劇の主人公は、マルクス・ユニウス・ブルートゥス(マーカス・ブルータス)であり、その名誉欲・愛国心・友情の間の葛藤が描かれている。 
0797年 - 『続日本紀』全40巻が完成する。『続日本紀』は、公卿の菅野真道らにより、平安時代初期に編纂された勅撰史書である。『日本書紀』に続く六国史(古代日本の律令国家が編纂した、6つの一連の正史)の第2に当たる。697年から791年まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。 
1493年 - イタリア出身(定説)の航海者・探検家、クリストファー・コロンブスが、キリスト教世界の白人としては、最初にアメリカ海域へ到達した航海からスペインに帰還する。帰還したクリストファー・コロンブスを歓迎して、宮殿では盛大な式典が開かれ、航海に先んじて、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていたクリストファー・コロンブスは、現地の先住民達から強奪した金銀宝石、真珠等の戦利品の10分の1を手に入れている。 
1545年 - トリエント公会議(トリエント[現在のイタリア北部にあるトレント]で召集されたカトリック教会の公会議[キリスト教において、全世界の教会から司教等の正規代表者が集まり、教義・典礼・教会法等について審議決定する最高会議])が招集される。 
1564年 - ムガル帝国(インドのトルコ系イスラーム王朝)皇帝アクバルが、非ヒンドゥー教徒に対するジズヤ(人頭税)の徴収を廃止。
1717年 - 江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が、普請奉行の大岡忠相を江戸南町奉行に登用する。大岡忠相は、徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わった他、評定所一座に加わり、関東地方御用掛や寺社奉行を務める。越前守であったことと、『大岡政談(大岡忠相が江戸町奉行として活躍した物語であるが創作)』や時代劇での名奉行としてのイメージを通じて、現代では大岡越前として知られている。
1774年 - イギリスの自然哲学者、ジョゼフ・プリーストリーが、酸素を「再」発見する(酸素の単離に成功する)。教育者、神学者、非国教徒の聖職者、政治哲学者でもあり、150以上の著作を出版したジョゼフ・プリーストリーの生涯における主な科学的業績として、炭酸水(二酸化炭素[炭酸ガス]を含む水のことで、ソーダ水やソーダとも言われる)の発明、電気についての著作、幾つかの気体(アンモニア、塩化水素、一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化硫黄)の発見等があるが、最大の功績は、「脱フロギストン空気」(酸素)の命名である。当時は、「燃焼とは、フロギストン(燃素)という物質の放出の過程である」という科学史上の1つの考え方、フロギストン(燃素)説の時代で、ジョゼフ・プリーストリーは、酸素を「脱フロギストン空気」と考えたが、自らはフロギストン(燃素)説に固執し、化学革命を拒否したため、科学界で孤立することになる。17世紀中期のイギリスの医師で、化学者・生理学者のジョン・メーヨーは、暗赤色の血液が空気に触れると、鮮やかな赤色になることから、空気中に特殊な物質、つまり酸素があることを唱えたが、世人には理解されずに終わる。ジョゼフ・プリーストリーは、酸素の発見論文をロンドン王立協会(イギリスにおける科学者の団体の頂点に当たる任意団体で、現存する最も古い科学学会である)に提出しているため、化学史的には、酸素の発見者とされる。ジョゼフ・プリーストリーは、酸素が「脱フロギストン空気」、との考えを、フランスの化学者、アントワーヌ・ラヴォアジエに話している。化学反応の前後では質量が変化しない、という質量保存の法則を発見したアントワーヌ・ラヴォアジエは、フロギストン(燃素)説を退け、燃焼を「酸素との結合」として説明した最初の人物で、1779年に酸素を「オキシジェーヌ」と命名する。但し、これは酸と酸素とを混同したための命名であったという。質量保存の法則を発見し、酸素を命名し、フロギストン(燃素)説を打破したことから、アントワーヌ・ラヴォアジエは、「近代化学の父」と称されるようになる。
1781年 - アメリカ独立戦争: ギルフォード郡庁舎の戦い。 
1806年 - 江戸幕府が「文化の薪水給与令」(外国船に対して飲料水・燃料の給与を認める法令)を出す。19世紀初頭、遣日使節として日本に来航したロシア帝国の外交官、ニコライ・レザノフを初め、外国船が日本に通商を求めて来航するようになる。そこで、江戸幕府第11代将軍徳川家斉統治下の幕府は、「文化の薪水給与令」を出し、穏便に出国させる方向性を打出すこととなる。しかし、翌年の文化露寇(通商を拒絶し続けた江戸幕府に業を煮やしたニコライ・レザノフが部下に命じて、日本側の北方の拠点を攻撃させた事件)を受けて「ロシア船打払令」が出され、僅か約1年で撤回される。1825年には、反動的な「異国船打払令(文政の打払令等とも呼ばれる外国船追放令)」が打出されるものの、現在の中国南部に所在するマカオで保護されていた日本人漂流民を乗せて、江戸湾(近世、概ね江戸後期の東京湾を指す明治時代以降の造語)の入り口に位置することから、湾に出入りする船が必ず寄港する要衝となっていた浦賀(現在の神奈川県横須賀市東部に所在)に来航したアメリカの商船『モリソン号』を、浦賀奉行が「異国船打払令」に基づき砲撃した、モリソン号事件を契機に批判が高まった上に、1840年のアヘン戦争(麻薬の1つであるアヘンの密輸が原因となった、清国[中国]とイギリスとの間の戦争)における清国の敗北による南京条約(香港[中国大陸南岸に所在]のイギリスへの割譲や、巨額の賠償金支払い等を内容とする)の締結に驚愕した江戸幕府は、政策を転換し、1842年には、遭難した船に限り給与を認める「天保の薪水給与令」を発令している。  
1820年 - ミズーリ妥協: アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州メイン地区が独立して、アメリカ合衆国23番目の州、メイン州となる。マサチューセッツ州メイン地区は、マサチューセッツ州の本土とは物理的に離れており、分離する提案が行なわれていたが、一旦は否決されて叶わずに終わる。それでも、人口が急増していたメイン地区で住民投票が実施され、マサチューセッツ州からの分離を承認する。当時、全国的には、奴隷制度の拡大に地理的な制限を設ける動きがあり、アメリカ合衆国中西部にあるミズーリ準州の州昇格と引替えに、奴隷州と自由州のバランスを取る必要があり、その結果としてできたミズーリ妥協の一部として、メイン地区はマサチューセッツ州からの分離を認められ、アメリカ合衆国23番目の州(奴隷制を採用していなかった自由州)に昇格している。 
1827年 - カナダ屈指の名門大学で、世界的にも非常に評価の高いトロント大学が創立される。トロント大学は、カナダ東部、オンタリオ州トロントに本部を置くカナダの州立大学で、キャンパス敷地内に美術館や遺跡、公園、博物館、歴史的建造物等がある。