3月14日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0313年 - 永嘉の乱: 五胡十六国時代(304年の漢の興起から、439年の北魏による華北統一までの時代で、五胡十六国は、当時、中国北部、華北に分立興亡した民族・国家の総称である)に存在した王朝、漢(後の前趙)の捕虜となった西晋の皇帝、懐帝が、漢の皇帝、劉聡により処刑される。 
1794年 - アメリカの機械技術者、イーライ・ホイットニーが、綿繰り機の特許を取得する。イーライ・ホイットニーは、1793年に綿繰り機を発明する。それまでの種採り作業は大変な重労働であったが、この綿繰り機は、フックのついた木製のドラムを回転させ、金網越しに、木綿の繊維だけをドラムが巻取る方式で、種は金網を通らない。1台の綿繰り機は、1日に約25kgの木綿から種を除くことができる。これにより、作業能率が従来の約50倍も向上することになり、綿花の産地である南部の経済発展に寄与する。一部の歴史家は、この発明こそが、アメリカ南部で、アフリカ人を奴隷として使う制度が定着することを可能にした、と考えている。また、イーライ・ホイットニーは、互換性部品の普及に努めたことで知られている。そして、綿繰り機の発明と、互換性部品の普及が、アメリカを2分する南北戦争(アメリカ合衆国と、奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州の内、11州が合衆国を脱退して結成した、アメリカ連合国との間で行なわれた戦争)の遠因ともされる。南部では、綿繰り機が木綿生産に革命をもたらし、綿花の増産のために奴隷制度が蘇り、北部では、互換性部品の採用が製造業に革命をもたらし、南北戦争での北軍(アメリカ合衆国側)の勝利に大いに貢献している。 
1872年 - 浜田地震。島根県那賀郡浜田町(現在の島根県浜田市)沖で、マグニチュード(M)7.1の地震が発生し、死者551名、家屋全壊4,506棟、家屋焼失230棟等の大きな被害となる。この地震によって、浜田市北東部にある国分海岸一帯が隆起して、千畳敷と断崖が融合した景観の石見畳ヶ浦ができる。石見畳ヶ浦一帯は、古くから「床浦」と呼ばれた景勝地であるが、1872年に発生した浜田地震によって海底が約30cm隆起し、現在にみられるような、千畳敷(平らに広がった地形を、畳千畳の広さと形容したもの)と断崖が融合した景観となる。地質学的に大変貴重であり、1932年には、国の天然記念物(法律の指定を受けて保護が図られている動物、植物、地質・鉱物等の自然物)に指定されている。 
1873年 - 日本政府が、日本人と外国人の国際結婚を初めて公式に認可する。 
1885年 - オペレッタ(台詞と踊りのあるオーケストラ付きの歌劇)『ミカド』が、イギリスの首都ロンドンで初演。『ミカド』は、イギリスの劇作家、ウィリアム・S・ギルバートが脚本を担当し、イギリスの作曲家、アーサー・サリヴァンが作曲した、二幕物の喜歌劇(オペレッタ)作品である。当時、ロンドンで日本展が人気を博し、イギリスでは空前の日本ブームが起きていたことから、『ミカド』は、このブームに乗じた一種のジャポニスム(ヨーロッパで見られた日本趣味)、又は、オリエンタリズム(ヨーロッパで見られた東洋趣味)とされる。現在も時折上演されているだけでなく、アマチュア劇団や学校演劇でも演じられている。様々な言語に翻訳され、歌劇史上最も多く上演される作品の1つとなっている。 
1898年 - スイスの首都ベルンに本拠を置くサッカークラブ『BSCヤングボーイズ』が創設される。『BSCヤングボーイズ』は、1909年、1910年、1911年と国内優勝を成遂げ、スイスのサッカー史において初の三連覇を達成する。1950年代にもリーグ戦四連覇を果たす等、大成功を収めたが、1986年のリーグ優勝、1987年のカップ戦優勝以来、かつてのような輝かしい戦果を収めるには至っていない。 
1899年 - 俳人・歌人の正岡子規が、後にアララギ派(写実的、生活密着的歌風を特徴とし、近代的人間の深層心理に迫り、知性的で分析的な解釈をする歌人の一派)に発展する短歌結社『根岸短歌会』を創始する。 
1900年 - アメリカで、金本位制(一国の貨幣価値[交換価値]を金に裏付けられた形で金額で表わすもの)を採用した金本位法が公布される。 
1905年 - イングランドの首都、ロンドン西部チェルシー地域をホームタウンとし、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するサッカークラブ『チェルシーFC』が創設される。同じロンドンに本拠地を置く『アーセナルFC』は、労働者階級の支持層が多かったのに対し、『チェルシーFC』は富裕層の支持層が多かったが、古くには、熱狂的で凶暴なサポーターが多いことで知られている。それでも、1992年にプレミアリーグ(イングランドのサッカーリーグにおけるトップディヴィジョン[1部リーグ])が誕生して以降は、スタジアム周辺の整備に力を入れたこともあり、今では、問題が起こることは殆ど無くなっている。富裕層が多いのは、高級住宅地の中にスタジアムがあることと関係がある。 
1915年 - 第一次世界大戦: ドイツ海軍の巡洋艦『ドレスデン』が、南アメリカ南西部に位置するチリ沖で、イギリス海軍の攻撃を受け沈没する。1914年12月8日、南大西洋上、南アメリカ南東部に位置するアルゼンチンの最南部沖にあるイギリス領フォークランド諸島の沖合で、ドイツ海軍とイギリス海軍が戦った海戦、フォークランド沖海戦では、イギリス海軍が圧倒的な速力を背景に勝利するが、『ドレスデン』は逃走に成功。イギリス海軍は総力を挙げて追跡したが、その後、『ドレスデン』は約3ヶ月も逃走を続けている。 
1927年 - 国会で、大蔵大臣(大蔵省[現在の財務省と、内閣府の外局{特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織で、独任制の庁}である金融庁の前身]の長)片岡直温が、東京渡辺銀行が倒産したと失言。日本中の銀行が預金取付の大津波に襲われ、異例の支払猶予令(モラトリアム)が断行された、昭和金融恐慌のきっかけになる。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)に本店を置いていた東京渡辺銀行は、好況期に放漫経営が続いたことから、昭和金融恐慌により経営が破綻する。 
1927年 - アメリカの親日家であった牧師・宣教師、シドニー・ギューリックが、日本に贈呈した青い目の人形の「ミス・アメリカ」等、各州代表人形が日本に到着する。シドニー・ギューリックは、長年キリスト教団体の要職にあって日本人移民排斥の問題に取組み、いわゆる「排日移民法」の改正運動、及びアメリカ一般世論に対する対日啓蒙活動、また、日米親善を目的とする民間外交に尽力する。滞日通算20年を越える日本通であり、友情人形(日本での通称「青い目の人形」)の贈答活動で知られる。シドニー・ギューリック一族は、日本と非常に関わりが深く、父ルーサー、シドニー本人の他、叔父オラメル、叔父ジョン、叔母ジュリア、次男リーズ、いずれもかつて日本で伝道に従事しており、祖父母は晩年日本に移住し、共に神戸で亡くなり、当地に埋葬されている。また、母ルイーザも同じく、神戸の墓地に眠っている。孫のデニー・ギューリック(ギューリック3世)も、祖父が友情人形を通じての日本との交流を行なったことを知り、祖父の遺志を受継いで、日本の児童達に友情人形を贈っている。
1929年 - 石岡大火。茨城県新治郡石岡町(現在の茨城県石岡市)の中心部、中町より出火して、強風やガソリンタンクが誘爆した影響もあり、中町・守横町が全焼し、金丸町・富田町・守木町・守横町・貝地町・木之地の一部地域も燃え、合計約2,000棟が全焼、被災者約3,000名の被害となる。火災後は目抜き通りの中町通りが拡幅され、当時東京で流行していた看板建築や、ガス灯風の街路灯やプラタナスが並ぶ、洒落た通りとして復興する。石岡は古くから開けた地域であったが、「火事の多い町」と呼ばれる。その中で、この石岡大火は、最も焼失面積、及び焼失規模の大きい災害となる。
1937年 - ローマ教皇ピウス11世が、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)の宗教・人種政策を批判する回勅(ローマ教皇から全世界のカトリック教会の司教へ宛てられる形で書かれる文書)『ミット・ブレネンデル・ソルゲ』を発する。 
1939年 - チェコスロバキア併合: ナチス・ドイツによってチェコスロバキアが解体され、スロバキアが独立宣言。 
1943年 - 第二次世界大戦: 五大ゲットー(ユダヤ人隔離居住区)の1つ、クラクフ・ゲットーの全住民が強制収容所へ移送、若しくは殺害され、ゲットーが解体される。
1943年 - 和歌山県西牟婁郡東富田村(現在の和歌山県西牟婁郡白浜町の北西部)で山火事が発生。約10日間に亘り、周辺10ヶ村に延焼する。焼失面積は合計約14,000町歩(約14,000ヘクタール)で、記録が残るものでは第二次世界大戦前最大規模となり、和歌山県東牟婁郡明神村(現在の和歌山県東牟婁郡古座川町の南部)の村役場や、民家32戸も焼失する。 
1945年 - 第二次世界大戦: イギリス空軍の第617中隊が、グランドスラム爆弾(小型爆弾では有効な攻撃を与えられない巨大な建造物や、堅牢な構築物を破壊するために製造された超大型爆弾)を初めて使用し、ドイツ西部にあるビーレフェルト鉄橋の2ヶ所の目標を破壊する。