3月5日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ミスコンの日(ミス・コンテストの日)。
1908(明治41)年3月5日、アメリカ合衆国中西部における主要な新聞「シカゴ・トリビューン」の依頼により、時事新報(著述家・啓蒙思想家・教育者の福沢諭吉が創刊した、かつて存在した日刊新聞)が全国から「良家の淑女」(淑女とは、しとやかで上品な、品格の高い女性)を対象に写真を募集し、『全国美人写真審査』を主催して、その審査結果を公表した。これが、日本初のミスコンテストとなった。1等に選出されたのは、福岡県小倉市(現在の福岡県北九州市小倉北区と小倉南区に相当)の市長であった末弘直方の四女、末弘ヒロ子(当時16歳)で、学習院女子部3年に在学中であった。コンテスト参加は、旧宮内省(現在の宮内庁の前身)管轄の官立学校であった、当時の学習院で大問題となり、末弘ヒロ子は退学処分となった。ミス・コンテストとは、ミスの敬称が示す通り独身女性の美を競うイベントである。一般的には、容姿を基準に審査員が優劣を決めるため、コンテストの上位入賞者は美人の肩書を得ることになる。日本語では「ミスコン」と省略されたり、「美人コンクール」と呼ばれたりもする。日本では、芸者等の職業毎の人気投票は、明治時代中期には存在した。明治20年代に、高所からの眺めを売り物にした望楼建築がブームとなり、1889(明治22)年には、大阪の北野茶屋町(現在の大阪市北区茶屋町)の和風庭園「有楽園」内に、「キタの九階」「キタの九階・凌雲閣」等とも呼ばれた『凌雲閣』(9階建てで、高さは39m)が、翌1890(明治23)年には、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)浅草に、「十二階」「浅草十二階」等の名で知られる12階建ての塔、『凌雲閣』(高さは約52mで、当初は約66.7mと報じられた)が建設された。開業から約半年を迎えた東京浅草の『凌雲閣』で、1890(明治24)年7月15日から、「百美人」と呼ばれる催しが行なわれた。帝都の新名所として、『凌雲閣』は評判を呼んでいたが、客寄せの目玉でもあった日本初のエレベーターは、度々故障に見舞われ、結局約半年程で警察から業務停止命令を受け、撤去されてしまった。このエレベータを失った『凌雲閣』の運営会社が、新たな客寄せとして企画したのが、当時の花街(芸妓屋、遊女屋が集まっている区域)であった新橋 (現在の東京都港区新橋)や芳町(現在の東京都中央区日本橋人形町周辺に所在)等の花柳界(芸妓や遊女等の社会)より100名の美人芸妓を選び抜き、その写真を『凌雲閣』の4階から7階にかけて展示し、来館者に人気投票をして貰おうと言うものであった。つまり、これは、素人ではなく、プロの芸妓達の美人コンテストである。この「百美人」はその後、1892(明治25)年、1894(明治27)年と、第3回まで開催されたようであるが、一般女性を対象にしたミスコンテストは、『全国美人写真審査』が最初とされる。ミス・コンテスト出身の女優やタレント、アナウンサーは数多く、また、日本の大学では、学園祭の催事としてミス・コンテスト(ミス・キャンパス)が行なわれている大学が多くあり、学園祭実行委員会や学友会等が主催している。ミス・コンテストは一部、有名大学を中心に、キー局のアナウンサーである「女子アナ」への登竜門と言われ、実際に、ミス・コンテスト経験者のアナウンサーも多い他、キャスターやタレントも多く輩出している。ミス・コンテスト入賞者(特に、世界を代表するミス・コンテストであるアメリカのミス・ユニバースやイギリスのミス・ワールド、美容研究団体の和田研究所によって毎年開催されている日本のミス・コンテストであるミス日本、自治体のキャンペーンガール等)に対しては、それを示すたすきやユニフォーム、帽子(これらは、キャンペーン活動を含む公式行事に着用する)が贈呈される。また、コンテストの審査結果発表時には、これにガウンや王冠・ティアラ(宝冠)も贈呈されることもある。任期が定められているものもあり、任期は1年間のものが多いがそれよりも長い場合もある。女性を外見で評価するため、反対運動が根強く、規模を縮小する例がある。
巫女の日。 
3月5日の「3」と「5」で、「巫女(み[3]こ[5])」の語呂合わせから生まれた、ネット上でのイベントとされ、主に巫女を題材の中心とする絵師が、この日に合わせてイラストを発表する。巫女は、主として日本の神に仕える女性のことで、神子(みこ、ふじょ)や舞姫(まいひめ)、御神子(みかんこ)と呼称される場合もある。古来より、巫女は神楽を舞ったり、祈祷をしたり、占いをしたり、神託を得て他の者に伝えたり、口寄せ等をする役割であったが、明治以降は神社で神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割へと変化していった。現代日本では、巫女は神社に勤務し、主に神職の補助、また、神事において、神楽(神に奉納するため奏される歌舞)や舞を奉仕する女性を指すようになっている。巫女には資格が不要なため、心身共に健康な女性ならば巫女になれる。本職巫女の多くは神職の娘や近親者等、その神社に縁がある人が奉仕することが多く、本職巫女の求人はあまり多いとは言えない(本職巫女を置けるのは、概ね大規模神社に限られる)。なお、神楽を奉仕、指導する巫女については、結婚後も、技術継承等の問題から神社職員として勤務する例もある。正月等の繁忙期には、神社の大小に係わらず、臨時のアルバイトを採用している例が多い。一般的に、アルバイトは神社では「助勤」「助務」と呼称される。
産後ケアの日。
尿もれ等の産後のトラブルを改善し、その予防と健康のために産後ケアの大切さを知ってもらおうと、尿ケア専用品のパイオニアである「ポイズ」を販売する、東京都千代田区神田駿河台に本社を置く、トイレットペーパーやティッシュペーパー等のメーカー、日本製紙クレシア株式会社が立上げた、「産後ケア」の日実行委員会が制定。出産を経験した全ての女性達が産後トラブルから解放され、いつまでも内面から美しく、毎日がもっと楽しく、もっと心地よく過ごせるように、との願いが込められている。日付は、3月5日の「3」と「5」で、「産後(さん[3]ご[5])」と読む語呂合わせから。「ポイズ」は、1994(平成6)年に日本で初めて発売して以来、日本だけでなく世界各国で発売され、多くの女性に愛されている世界的ブランドで、吸収体の構造が吸水ケア専用品に特化しており、安心して使うことができる。   
産後ママスマイルデー。
神奈川県藤沢市遠藤に所在する慶應義塾大学のキャンパスの1つ、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)にある大学院政策・メディア研究科、総合政策学部、環境情報学部の附属研究所、SFC研究所の「健康情報コンソーシアム」内に事務局を置く「産後ママSOSプロジェクト」が制定。日付は、3月5日の「3」と「5」で、「産後(さん[3]ご[5])」と読む語呂合わせから。2020(令和2)年1月頃から世界的に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行している。そして、日本では史上初めて、緊急事態宣言が発出される事態となった。2021(令和3)年3月時点において、そんなコロナ禍の中で出産をした母親達は、外出や相談すること等がままならず、切実な悩みを抱えて日々を過ごしている。「健康と情報の力で、産後ママの笑顔のためにできること」を考える「産後ママSOSプロジェクト」では、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、インターネット上の交流を通して社会的ネットワークを構築するサービス)上等で叫ばれる産後ママの悩みを分析し、課題の解決方法を「産後ママスマイルアクション = 35ママスマ」として提案していく。なお、「健康情報コンソーシアム」は、産官学連携による健康情報の創成を目的として、人の生活をより豊かで健康にする社会構築のために、健康情報獲得技術や健康情報サービス等の研究を進行し、健康情報の力を活用した未来社会を目指している。その研究対象となるテーマは5つあり、「女性の健康」「骨の健康」「笑顔の健康」「食」「高齢化社会」となっている。
スリランカカレーの日。
神奈川県川崎市高津区北見方で、スパイスや雑貨の輸入事業等を手掛ける企業、株式会社アクティブインターナショナルが制定。株式会社アクティブインターナショナルは、南アジア、インド亜大陸の南東に位置する島国、スリランカとの貿易業を営んでおり、記念日を通して、スリランカカレーの認知度を高めると共に、国としてのスリランカにも興味をもってもらい、交流を深めることが目的。日付は、スリランカカレー作りでよく使われるミックススパイス「トゥナパハ」は、主に3つの基本スパイスと5つの応用スパイスをミックスしたもので、その語源は、スリランカで話されるシンハラ語(スリランカの公用語の1つ)で「トゥナ」は「3」、「パハ」は「5」を指すことから、3月5日を記念日とした。スリランカは海洋国であるため、新鮮な魚介類のカレーが多い。また、小麦粉を使用しない点が、多くの地域のカレーとは異なる特徴である。バターやヨーグルトといった乳製品、油も殆ど使わない。