1月28日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0934年 - 公家で歌人の紀貫之が、『土佐日記』の旅に出立する。『土佐日記』は、平安時代に成立した日記文学の1つで、紀貫之が土佐国(現在の高知県)から京(現在の京都市)に帰る道中に起きたできごとを、虚構を交えて綴ったもので、日本文学史上、初めての日記文学ともされている。紀行文に近い要素を持っており、その後の仮名による表現、特に、女流文学の発達に大きな影響を与えている。紀貫之は、日本文学史上において、少なくとも歌人として、最大の敬意を払われてきた人物で、紀貫之の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされたという、「歌徳説話」も数多く伝わっている。930年から934年にかけての時期、紀貫之は土佐国に国司(国の行政官として中央から派遣された官吏)として赴任していたが、『土佐日記』は、その任期を終えて土佐から京へ帰る紀貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、殆どを仮名で日記風に綴った作品である。57首の和歌を含む内容は様々であるが、中心となるのは、土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして、行程の遅れによる帰京を逸る思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落等といったユーモア)を多く用いていることも特筆される。『土佐日記』の成立の過程は不明で、紀貫之はおそらく、帰京の途上で漢文の日記を付け、『土佐日記』を執筆する際には、それを参照したと考えられるが、『土佐日記』そのものは虚構を交えたものであり、また、明らかに実録の日記そのものではなく、文学作品である。 
1077年 - カノッサの屈辱: ローマ教皇グレゴリウス7世が、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の破門(異端的信仰をもつ信者になされる措置)を解除。 
1393年 - 燃える人の舞踏会。フランス王国国王シャルル6世の妃、イザボー・ド・バヴィエール主催の舞踏会で、シャルル6世は、5名の貴族と共に仮装してダンスを披露する。その際、シャルル6世の弟ルイ・ド・ヴァロワが会場に持込んだ、松明を火元とする火災が発生し、ダンスを行なった6名の内の4名が焼死したが、シャルル6世ともう1名の貴族は事無きを得る。パリ市民は、このできごとを宮廷が堕落している証左と考え、支配層の貴族に対して反乱を起こす兆候を示す。一般市民の怒りを鎮めるため、シャルル6世と王弟ルイ・ド・ヴァロワは、罪を償うための苦行の実施を強いられる。
1502年 - 越後南西部地震。現在の新潟県南西部付近を震源として、推定マグニチュード(M)6.5から7.0の規模の地震が発生する。越後国(現在の新潟県本州部分)の国府(現在の新潟県上越市直江津)で甚大な被害となる。新潟県と長野県との県境付近では、姫川(長野県の北西部から日本海に流れ込む河川)に面した真名板山で山体崩壊が発生。葛葉峠や姫川本流に天然ダムが形成され、後日、破堤したものと考えられている。 
1521年 - ヴォルムス(現在のドイツ中西部にある都市)で神聖ローマ帝国の帝国議会、「ヴォルムス帝国議会」が開始される。司祭で神学者のマルティン・ルターが、異端として教会から破門される。 
1549年 - 長尾景虎(後の戦国大名、上杉謙信)が家督を継ぎ、春日山城(現在の新潟県上越市春日山町に所在)へ入城する。長尾景虎は、最終的には上杉輝虎と名乗っており、有名な「謙信」という名は、さらに後に称した法号(仏門に入った者に授けられる名)である。内乱続きであった越後国を統一し、合戦や政治だけではなく、産業を振興して国を繁栄させる。「義」を重んじ、戦乱の世にあっても、侵略のための戦いはしない一方、他国から救援を要請されると、秩序回復のために幾度となく出兵し、武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰広げたが、特に、宿敵武田信玄との5回に亘る川中島の戦いはよく知られている。その後、足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して、北陸方面へ勢力を拡大したが、志半ばで死去する(49歳で死没)。 
1547年 - イングランド王ヘンリー8世が死去し、ヘンリー8世の男児で唯一存命していた、9歳のエドワード6世が即位する。戴冠(国王が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位への就任を宣明する儀式を行なうこと)は2月20日。 
1671年 - 中央アメリカにあるパナマのパナマ・ビエホ(パナマの首都であるパナマシティの東に位置し、世界遺産に登録されている文化財として貴重な建造物群)が、イギリスの海賊ヘンリー・モーガンによって襲撃、焼討ちされる。 
1754年 - イギリスの政治家で作家のホレス・ウォールポールが、友人宛の手紙の中で初めて「セレンディピティ(何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能)」という言葉を使う。 
1813年 - イギリスの作家、ジェーン・オースティンの長編小説『高慢と偏見』がイギリスで発刊される。恋愛小説の『高慢と偏見』は、精緻を極めた人物描写と軽妙なストーリー展開で、ジェーン・オースティンの著作の中でも傑作と名高い。 
1871年 - 普仏戦争: パリ包囲戦が終結。プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部に所在した国)が、フランスの首都パリを占領する。 
1871年 - 横浜毎日新聞が創刊(日本初の日刊新聞)。横浜毎日新聞は、1940年に帝都日日新聞(現在のやまと新聞社[東京にある新聞社で、2013年に紙媒体の定期発行を終了し、以降は不定期、及びWEBニュースに移行する]の前身)に吸収合併される。 
1902年 - スコットランド生まれのアメリカの実業家、アンドリュー・カーネギーが、1億ドルを投じてカーネギー研究所を設立する。カーネギー研究所は、科学研究を支援する財団法人である。設立時の名称はワシントン・カーネギー協会。今日、カーネギー研究所は植物生物学、発生生物学、天文学、材質科学、環境生態学、地球惑星科学の6分野の研究をサポートしている。 
1905年 - 日本政府が、竹島を「島根県隠岐島司の所管の竹島」と閣議決定。 
1909年 - 米西戦争(アメリカ合衆国とスペインとの間で起きた戦争)以来、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海洋上の大アンティル諸島に位置するキューバに駐留していたアメリカ軍が撤退する。
1912年 - 陸軍軍人、白瀬矗に率いられた日本の南極探検隊が、南緯80度05分に到達。その一帯を「大和雪原」と命名する。現在では、「大和雪原」は陸上ではなく、南極大陸の周辺にあり、南極海の海域の1つで太平洋の方向にあるロス海の南部を覆っているロス棚氷(氷陸上の氷河、又は氷床が海に押出され、陸上から連結して洋上にある氷)上にあることが判明している。 
1915年 - アメリカで、税関監視艇局と救命局を統合してアメリカ沿岸警備隊(USCG)を設置。アメリカ沿岸警備隊(USCG)は、アメリカ軍を構成する陸軍・海軍・空軍・海兵隊に次ぐ5番目の軍隊(準軍事組織)であり、最小規模の武装組織でありながら、法の強制執行権を有し、捜索救難、海洋汚染の調査から沿岸整備や監視まで幅広い任務に当たっている。アメリカ合衆国の運輸を統括する官庁、運輸省の隷下にあったが、現在は、テロリストの攻撃や自然災害等、あらゆる脅威から国土の安全を守る(オールハザードアプローチ)ために、2002年11月に設立された国土安全保障省に移管されている。アメリカ沿岸警備隊(USCG)は、陸海空軍の各省の統括組織である国防省(主に、他国による侵略や、テロリストによるテロから国家、及び国民を防衛することを任務とし、国軍を統制する)、国防総省の機関ではないが、常設の軍の組織として、防衛準備態勢を維持している。 
1918年 - ロシアの人民委員会議が、労農赤軍(後のソビエト連邦地上軍[陸軍])の創設を布告。1937年に海軍が赤軍から独立した後、ソビエト連邦の地上軍(陸軍)を指す呼称となった赤軍は、ドイツを中心とする枢軸各国と、ソビエト連邦との間で戦われた独ソ戦(大祖国戦争)開戦時、赤軍の兵力は約570万であったが、祖国防衛のためにソビエト連邦政府は大動員を実施し、第二次世界大戦中は、後方の部隊も合わせると、約1,500万から約2,000万という空前絶後の大兵力に膨れ上がっている。しかし、その内で、約700万から約1,000万ともされる(つまり、約半数にもなる)、膨大な数の戦死者を出している。