1月19日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3金曜日 旧暦 12月 9日、友引(壬午)、月齢  7.6  
グレゴリオ暦で年始から19日目、年末まであと347日。
誕生花 コンロンカ・バンダ・マツ・ユキヤナギ・春蘭。

のど自慢の日、カラオケの日。
日本放送協会(NHK)が制定。1946(昭和21)年1月19日、日本放送協会(NHK)のラジオ番組『のど自慢素人音楽会』(現在の『NHKのど自慢』)が開始されたことに由来する。この日は、「のど自慢の日」であると共に、「カラオケの日」ともされる。『NHKのど自慢』は、公開視聴者参加の生オケ(生のバンドに合わせて歌うもの)番組、音楽番組で、放送開始以来、長きに亘って継続されている長寿番組である。日本各地の都市(年に一度、外国からの場合もある)を巡回し、アマチュア(原則)出場者が、書類審査、会場での予選審査を経て本番組に出場し、持ち歌を歌い、採点されて競う。毎回、書類審査と会場での予選審査を勝ち上がった20組の出場者が、自慢ののどとパフォーマンスを披露し、ゲスト審査員2名を交えた審査により、チャンピオンと熱演賞(審査員特別賞)が1組ずつ表彰される。1970(昭和45)年3月までの番組名は『のど自慢素人演芸会』で、この当時までは、漫才や浪曲、ものまね等を披露する出場者もおり、現タイトルとなってからも、1970年代前半頃までは、歌以外の芸を披露する者が稀に見られた。出場者は様々で、中には、プロ歌手を目指す者や、アマチュアバンドのメンバーもいる。また、日本人のみに留まらず、在日外国人(黒人演歌歌手として、後にプロデビューを果たしたアメリカ出身の演歌歌手ジェロ等)や日系南米人、交換留学生等が出場することもある。年に一度行なわれるグランドチャンピオン受賞者を中心に、後にプロ歌手やタレントとしてデビューした者もいる。番組の企画者は、大晦日の夜に公開生放送される男女対抗形式の大型音楽番組『NHK紅白歌合戦』も企画立案した、日本放送協会(NHK)音楽部のプロデューサー、三枝嘉雄(健剛)で、軍隊時代に経験した余興大会にヒントを得たという。東京都麹町区内幸町(現在の東京都千代田区内幸町)のNHK東京放送会館(現在の日比谷シティの場所にあった、日本放送協会[NHK]が1938[昭和13]年から1973[昭和48]年まで本部として使用していた施設)から、午後6時から1時間30分に亘って公開放送されたことが始まりとなる。翌1947(昭和22)年に『のど自慢素人演芸会』と改称し、1949(昭和24)年10月頃から、日本放送協会(NHK)で「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の1人とされ、後に参議院議員も務めた宮田輝アナウンサーが17年余りに亘って毎週司会を務めていた。テレビ放送は、1953(昭和28)年3月15日午後2時から2時間放送したことが始まりで(ラジオと同時公開放送)、当初はスタジオのあった東京での公開のみ放送された。なお、1946(昭和21)年1月19日の第1回目の放送をラジオで募集したところ、最終的に応募者数は900名を超えたという。1965(昭和40)年度までは、別な番組と平行して放送されていた。単独放送となったのは、1966(昭和41)年度からである。宮田輝アナウンサーが新たに始まった日本放送協会(NHK)の大型公開番組『ふるさとの歌まつり』に移った1966(昭和41)年から1970(昭和45)年まで、番組の人気は下降した。起死回生策が図られるも悉く失敗し、1967(昭和42)年4月から1970(昭和45)年3月まで、東日本地区と西日本地区で司会が違っていた。1970(昭和45)年4月に現在の『NHKのど自慢』にタイトルを変更。伴奏も、それまでのピアノとアコーディオンが交互に弾くスタイルから、5人体制のバンド(ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、シンセサイザー)に変更し、程なくして金子辰雄アナウンサーが司会に就任し、全国統一されてから、現在に至る人気が回復した。毎週地方からの中継のため、全国を結ぶカラー放送用マイクロ回線網が完成するまで白黒放送が続けられた。『NHKのど自慢』は、NHK総合テレビの中ではカラー化が遅れた番組の1つであり、カラー化されたのは1971(昭和46)年4月である。なお、その後も一部の回は白黒で放送された。番組開始当初は、出場者の合格不合格を知らせる際には、司会者が口頭で結果を伝えていた。合格の場合は「合格です」、不合格の場合は「もう結構です」であった。しかし、「結構です」を合格と勘違いする出場者が多かったため、鐘を使って合図をする方式に変更されている。『NHKのど自慢』では1998(平成10)年に、南アメリカ東部に位置するブラジルの日系ブラジル人移民90周年事業として、ブラジル南東部に位置するサンパウロ市で初めての海外大会を開催した。以後、海外大会が多く行なわれるようになる。この海外大会で、チャンピオンになると、毎年NHKホール(東京都渋谷区に所在する多目的ホール)で開催する「NHKのど自慢・チャンピオン大会」に出場できる。2005(平成17)年を最後に暫く開催されていなかったが、2011(平成23)年10月2日に中華民国の首都台北市にある国立国父紀念館で、6年振りに開催された。その週のチャンピオンに輝くと、更に厳正な審査(VTR審査)の上15組程度が、毎年3月上旬にNHKホールを会場に開く「NHKのど自慢 チャンピオン大会」に進出し、その年の日本一ののど自慢(年間王者・年間女王)が決定する。ゲストには通常放送同様、歌手が2組(3組の年もある)招かれる他、審査員にも5組から7組の作詞・作曲家や芸能人・著名人が当たる。以前は歌謡曲の部、民謡の部の2つで行なっていたが、現在は部門別の審査ではなく、全てのカテゴリーから2名の優秀賞と、そして、栄光の日本一とも言えるグランドチャンピオン(優勝者)が出ることになっている。グランドチャンピオンを達成すると、ゴールデントロフィーが授与される。更には、海外公演のチャンピオンも1名か2名程度参加する。因みに、『NHKのど自慢』出場者の「選曲」が、『NHK紅白歌合戦』の出場歌手選考の参考にされるという。さらに、日本放送協会(NHK)への出演を本人が拒んでいた歌手・タレント・司会者・ラジオパーソナリティ、やしきたかじんや、過去の騒動以降、日本放送協会(NHK)に事実上出演できない状態となっているロックバンド氣志團(氣志團のメンバー、綾小路翔のソロ名義を含む)の楽曲も問題なく歌われている。アニソンのど自慢は、日本初の長編連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の原作者で、 第二次世界大戦後日本におけるストーリー漫画の第一人者として、現代にまでに繋がる日本の漫画表現の基礎を作った漫画家・アニメーター・アニメ監督、手塚治虫の生誕80年を記念して制作され、2009(平成21)年5月4日にNHK大阪ホール(大阪市中央区大手前にある、日本放送協会[NHK]系列のコンサートホール)で収録され、2009(平成21)年5月5日(こどもの日)に、日本放送協会(NHK)大阪放送局制作(関西ローカル)で放送された公開視聴者参加番組である。歌われた楽曲は、アニメや特撮の主題歌・挿入歌限定で構成され、BGMには『鉄腕アトム』の主題歌が使用されている。司会は、アイドル歌手としてデビューし、バラエティとして活躍している森口博子(アニメソングにもヒット曲を持っている)。ゲストとして、数々のアニメ・ゲーム・映画作品の主題歌・EDテーマを担当する歌手のMay'nと、「アニメソング界の帝王」と呼ばれる、歌手・声優・タレント・ナレーターの水木一郎が出演している。また、前日に行なわれた予選会には、選考に残った3歳から70歳という幅広い年代の人々が149組参加し、その中から勝残った15組がのどを競った。審査員1人に付き、3点の持ち点で15点満点・11点以上で合格となり、ロボットアニメ『ゲッターロボ』主題歌のイントロと同時に、審査得点がメーター表示された後、合否の鐘が鳴らされる、というスリリングな演出が用いられつつ、審査員特別賞2組とチャンピオンが選ばれた。そして、この第1回以降、2011(平成23)年まで、毎年5月にNHK近畿ブロックの特別番組として行なわれた。