1月16日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-027年 - 元老院(古代ローマの統治機関)のプリンケプス(元老院内での第一人者)オクタウィアヌス(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス)が、元老院からアウグストゥス(ラテン語[ギリシャ語と並ぶ西ヨーロッパの古典語で、古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた]で「尊厳ある者」)の尊号を受け、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスとなる。因みに、アウグストゥスは、現在のギリシャ語では「8月」の意になっている。「8月」の英語名「August」も、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスに由来するもので、アウグストゥスは、誤って運用されていたユリウス暦(共和政ローマ期の軍人・政治家で、民衆派の指導者であった独裁官[あらゆる領域に及ぶ強大な権限を有する政務官]ガイウス・ユリウス・カエサルによって制定された暦で、1年を原則として365日とするが、4年毎に閏年を置き、その年の2月末に1日を加えて366日とし、これにより、平均年を365.25日としている)の運用を修正すると共に、8月の名称を「6番目の月」を意味する「Sextilis」 から自分の名に変更する。よく見掛けられる通説に、アウグストゥスが、それまで30日であった8月の日数を31日に増やし、その分を2月の日数から減らしたため、2月の日数が28日となったというものがある。これは、11世紀のイギリス生まれの数学者・哲学者・天文学者、ヨハネス・ド・サクロボスコが提唱したものであり、8月の名称変更以前から、既に2月は短く、8月は長かったことを示す文献が複数発見されているため、この通説は、現在では否定されている。因みに、日本語での8月の異名には、あきかぜづき(秋風月)、かりきづき(雁来月)、かんげつ(観月)、けんゆうげつ(建酉月)、こぞめつき(木染月)、そうげつ(壮月)、ちくしゅん(竹春)、ちゅうしゅう(仲秋)、つきみつき(月見月)、つばめさりづき(燕去月)、はづき(葉月)、べにそめづき(紅染月)があり、極めて多数となっている。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは、志半ばにして倒れた養父ガイウス・ユリウス・カエサルの後を継いで内乱を勝抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始して、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現する。紀元前27年1月13日、オクタウィアヌスは元老院で突如、全特権を返上し、共和制への復帰を宣言する演説を行なう。元老院は驚喜したが、実際には、この時放棄した特権とは、三頭政治権等の内戦時の非常大権であり、これらは既に有名無実化しているものばかりであり、首都ローマ、及びイタリア、つまり、本国を直接支配する執政官職は放棄しなかったが、それに気付く者もなく、驚喜する元老院はまた、平和が回復するまで、属州(本国以外のローマ帝国の領土)の防衛も依頼する。これに対し、オクタウィアヌスは、比較的安全な地域と、軍団駐屯の必要のある国境地域とに分け、前者を、元老院が総督を選出できる元老院属州、後者を、軍団総司令官であるオクタウィアヌス自身が総督兼軍団指揮官の任命権を持つ皇帝属州とする逆提案で返す。厄介な地域はオクタウィアヌスが引受けてくれる分、公職キャリアの終着点とも言える属州総督を大過なくこなせるということで、元老院はさらに驚喜する。そして、その骨が折れる軍団指揮と属州統治を行なうため、プロコンスル命令権(インペリウム・プロコンスラレ)を元老院から取付けて、正式な法的根拠とし、この結果、ローマ全軍の一元管理が可能となり、オクタウィアヌスは名実共に「インペラトル」(ローマ軍の最高司令官・将軍の称号)となる。共和制復帰宣言から3日後の1月16日、かつてガイウス・ユリウス・カエサルの副官であったルキウス・ムナティウス・プランクスが、オクタウィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)の称号を贈ることを提案し、元老院は満場一致で国の全権を掌握するよう懇請する。オクタウィアヌスは数度に亘り辞退した上でこれを承諾し、この日以降、正式にインペラトル・カエサル・アウグストゥスと名乗るようになる。アウグストゥスは、紀元前27年秋から紀元前24年にかけて西方の再編に着手、紀元前23年にローマに帰還する。同年、連続して就任していた執政官を辞任する代わりに、1年限りの護民官職権を付与され、以後は例年更新されることになる。アウグストゥスは、この護民官職権の内、身体不可侵権については既に保持していたが、法案に対する拒否権等、残余の権限がこの時与えらる。さらに、プロコンスル命令権が上級プロコンスル命令権(インペリウム・プロコンスラレ・マイウス)に強化されたため、元老院属州でも権限施行が可能となり、この結果、皇帝権力はより強固なものとなる。これが皇帝権力確立の「第二段階」である。紀元前22年からは東方の再編に着手し、紀元前19年に帰還して、執政官命令権(インペリウム・コンスラレ)を得る。紀元前7年、それまでポメリウム(ローマの中心部を定める境界線)の内外程度しか区分がなかった首都ローマを、14の行政区に分割し、各区の行政上の責任を明確にする。アウグストゥスは、ローマ皇帝を頂点とする統治体制を樹立し、ローマ帝国における様々な官職や権限を一身に集めることで、中央集権体制を確立する。歴代ローマ皇帝の中で最長の在位年数を誇り(紀元前27年から紀元14年までの40年間)、内政の充実に努め、平和な時代が続くことになる。また、ローマ市を整備し、「煉瓦の市街であった首都ローマを受継いで、大理石の市街を残した」と自ら記した通り、首都の中心部から周辺部に至るまで整備を行ない、犯罪・出火対策を充実させる。「永遠の都ローマ」というフレーズも、アウグストゥスの時代に誕生したものである。さらに、ローマ史上初となる常備軍を編成し、国境に沿って軍団を配置する。辺境で長い兵役を勤める軍団の兵士達に報いるために、史上初めてとなる、軍隊の退職金制度を始める。世界初の年金制度とされるものを導入し、国家の平安に貢献した兵士達の退役後の生活をサポートした訳である。アウグストゥスは、文化面でも、大帝国となったローマの首都を比類なき都にするため、芸術に心血を注いでいる。ローマ帝国最高の芸術の水準は、アウグストゥスによって花開く。アウグストゥスの背丈は約170cm程度で、均整の取れた体格の、稀に見る美男子であったという。若い頃は病弱であり、その虚弱体質は一生付纏うが、不得手で消耗の激しい軍事は他の者に任せ、見栄を張らず、疲れたら休む等、無理をしない生活を心掛けたことで、当時としては長寿を全うすることとなる。また、元来皇帝としては短気で、残酷な側面をもっていたが、3度目の妻リウィアの影響を受け、寛大で温和な性格へと変わっていった、と言われている。小中高生向けの世界史の漫画、『まんが世界の歴史』(中央公論社[現在の読売新聞グループ本社傘下の出版社、中央公論新社の前身]の刊行で、監修は、「マンガの神様」と評された漫画家・アニメーター・アニメ監督で、医学博士でもある手塚治虫)は、宇宙人の兄弟が地球の歴史を観察する形式でストーリーが進められているが、全15巻の内、第3巻のローマの興亡で唯一、実在人物であるアウグストゥスを主役格にしている(他の巻は、民衆の視点から見るため、架空の人物を主役格にすることが多い)。