12月31日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1909年 - アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市のマンハッタン島とブルックリンを結ぶ、鋼製の吊り橋『マンハッタン橋』(全長2,089m)が完成。『マンハッタン橋』は、当時としては革新的なデザインとして知られる。補剛桁(橋の床等の通行部分に、剛性補強の目的で設置される桁)は軽ければ軽い程、長いスパン長(支間)の吊橋ができるという「たわみ理論」を、デッキ強度の向上に用いた最初の吊り橋で、近代的な吊り橋の先駆けとして、20世紀前半の多くの長大吊り橋のモデルとなる。 
1927年 - 除夜の鐘(現在の東京都台東区上野桜木にある天台宗関東総本山の寺院、寛永寺のもの)が、初めてラジオで中継放送される。
1931年 - 東京府東京市淀橋区角筈(現在の東京都新宿区新宿)に、軽演劇の劇場『ムーランルージュ新宿座』が開場する。「ムーラン・ルージュ」とは、本家であるフランスの首都パリのモンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」と同様に、フランス語で「赤い風車」という意味である。本家同様、建物の上に大きな赤い風車があったが、新しいジャンルの娯楽に押され、1951年に廃業。東日本旅客鉄道(JR東日本)新宿駅南口の「新宿国際会館ビル」が、ほぼ跡地に該当する。 
1942年 - 第二次世界大戦・ガダルカナル島の戦い: 日本軍(陸海軍)の最高統帥機関、大本営が、ガダルカナル島からの撤退を決定。太平洋南部に位置するニューギニア島(世界の島の中では、グリーンランドに次ぐ面積第2位の島であり、大陸を含めても8番目に広い陸塊である)の東に位置するソロモン諸島最大の島、ガダルカナル島は、島に展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称の「ガ島」を捩った「餓島(がとう)」とも呼ばれる。ガダルカナル島を巡る戦いは、第二次世界大戦対米英戦における攻守の転換点となり、日本は、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため、国力が大きく減少する。撤退決定から、さらに約1ヶ月を経た1943年2月1日から2月7日にかけて、撤退作戦が行なわれる。各部隊の殆どは、予定通りに撤退地点まで到着することができたが、身動きのできなくなった傷病兵を自決させ、或いは、「処分」することが、大規模に行なわれていたという。この時、撤退は「転進」という名で報道され、撤退した将兵も、多くはそのまま、南方地域の激戦地に留め置かれている。  
1942年 - 第二次世界大戦: バレンツ海海戦が行なわれる。 
1942年 - 香川県小豆郡苗羽村(現在は、香川県小豆郡小豆島町の一部)柚の浜沖合で、内海汽船所属の「錦丸」(42トン)が転覆。4名は柚の浜に泳ぎ着く等して生還したが、推定で72名の死者・行方不明者を出す。
1944年 - 第二次世界大戦: ハンガリーがドイツに宣戦布告。 
1945年 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、「修身・日本史および地理の授業停止と教科書回収に関する覚書」を提示。 
1947年 - 内務省が廃止される。内務省は、地方行政・警察・土木・衛生等の国内行政を担っていた中央官庁で、現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身に当たる。名称を内務省から公共省に変更し、地方局を自治局に、警保局を外局公安庁にする組織改編を目論み、事実上の内務省存続が模索されたが、結局は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により、内務省は解体されている。国内行政の大半を管掌した内務省は、初代内務卿(明治時代の太政官[最高行政機関]制における事実上の首相)、大久保利通の思想を反映して、設立当初から、行政事務の枠に留まらず、国民生活全般への強度の監視を課題としており、「官庁の中の官庁」「官僚勢力の総本山」「官僚の本拠」等とも呼ばれる最有力官庁で、1885年12月22日の内閣制度発足後の長である内務大臣は、内閣総理大臣に次ぐ副総理の格式を持ったポストと見做されており、中央警察官庁の最高長官であり、全国配置された中央集権型の警察機構を率いている。総務省、警察庁、国土交通省、厚生労働省の4省庁を指して、「旧内務省系官庁」と呼ぶことが多い。なお、内務省廃止の式典の最後に、中堅・若手の内務官僚が集まり「必ず将来、内務省を復活させます」と、内務省の先輩に誓って解散した、という秘話が伝えられている。 
1953年 - 『第4回NHK紅白歌合戦』が初の公開放送。この年から大晦日の放送となる。公開放送は、半世紀近くに亘り、日本興行界を代表する象徴の1つとして、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場で、日劇(にちげき)の通称で親しまれた劇場『日本劇場』で行なわれ、21時15分から22時45分に日本放送協会(NHK)で生放送される。この年2月1日より、日本放送協会(NHK)東京テレビジョンが本放送を開始したことから、ラジオに加えて、テレビでも放送を開始する。また、この年から、毎年大晦日の開催で固定化し、定期的に開催される目途が付いたことから、回次も振られるようになっている。
1953年 - 「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律(小額通貨整理法、昭和28年7月15日法律第60号)」により、1円未満(銭・厘単位)の通貨が廃止される。
1963年 - アフリカ南部に位置するイギリス保護領ローデシア・ニヤサランド連邦が解体され、北ローデシア(現:ザンビア)・南ローデシア(現:ジンバブエ)・ニヤサランド(現:マラウイ)に分裂。 
1963年 - 『第14回NHK紅白歌合戦』で、最高視聴率81.4%(紅白史上最高、瞬間最高視聴率は85.3%)を記録。 
1965年 - アフリカ中央部に位置する中央アフリカの国軍参謀総長ジャン=ベデル・ボカサが、軍事クーデターを開始する。 
1966年 - 在京キー局の1つ、フジテレビ系列で放送されていた、日本初の長編連続テレビアニメ『鉄腕アトム』が放送を終了する。最終回「地球最大の冒険」の内容は、地球を救うための、太陽活動を抑える装置を載せたロケットを、アトムが抱えて太陽に突入するというもので、当時の子ども達に与えた影響には大きいものがある。視聴率は、この時点でも20%を超え好調であったが、終了は、輸出先のアメリカのテレビがカラー化が進行していて、モノクロの本作品が売れなくなったこと、長期に亘る放送で、アトムの商品イメージが限界に来たという、スポンサーの明治製菓(現在の株式会社明治の前身の1つ)の意向が理由であった、とされている。
1966年 - 「核兵器の不拡散に関する条約(核拡散防止条約、NPT)」での、保持を許された核兵器国と定められた期限。「核兵器の不拡散に関する条約(核拡散防止条約、NPT)」は、核軍縮を目的に、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5ヶ国以外の核兵器の保有を禁止する条約である。条約では、全加盟国を1967年1月1日の時点で(つまり、1966年12月31日までに)既に核兵器を保有している国(保持を許された核兵器国)であると定められた、アメリカ、ソビエト連邦(後のロシア連邦)、イギリス、1992年批准のフランスと中華人民共和国の5ヶ国と、それ以外の加盟国(保持しておらず、また、許されない非核兵器国)とに分けられる。日本は、1970年2月に署名し、1976年6月に批准している(昭和51年条約第6号)。 
1968年 - 海面気圧世界最高記録 (1,083.8hミリバール[現在の単位はヘクトパスカル]) が記録される。記録地点は、ソビエト連邦中東部、中央シベリア高原のアガタ(Agata/北緯67度、東経93度)。 
1977年 - 東南アジアのインドシナ半島南部に位置するカンボジアが、ベトナム軍の国境侵略を理由として、東隣国のベトナムと断交する。 
1981年 - 西アフリカに位置するガーナで、ジェリー・ローリングスが2度目の軍事クーデターを起こし、ヒラ・リマン政権を打倒する。 
1983年 - ソビエト連邦北西部にあるリトアニア(現在はリトアニア共和国として独立)で、1986年に原発事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所と同型(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)の原子力発電所、イグナリナ原子力発電所の運転が開始される。危険性が指摘されていたため、2009年12月31日に運転を終了する。