12月3日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

みかんの日。
全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定。11月3日の「11」と「3」で、「いい(11)みか(3日 = みっか)ん」の語呂合せ。なお、11月3日と12月3日の年2回実施されている。一般的に、みかんが旬の時期は11月から1月にかけてとされる。そのため、11月と12月の各みかんの日は、みかんが旬な時期に該当しており、みかんを食べる人が増える季節にもなる。また、12月は、みかんの出荷量がピークを迎えるタイミングにもなるため、みかんの日として記念する価値が非常に大きいとも言える。11月3日、12月3日については、晩秋から冬にかけての時期であり、みかんの消費も活発になる。さらに、毎月第1日曜日も「みかんの日」とされている。みかんは日本の代表的な果物で、バナナのように、素手で容易に果皮を剥いて食べることができるため、冬になれば炬燵の上にみかん、という光景が一般家庭に多く見られる。甘い柑橘ということから、漢字では「蜜柑」と表記される。日本で最も消費量の多い果実であったが、近年の総務省の家計調査では、1世帯当たりの購入量において、バナナに抜かれて2位に転落している。生産量は首位を争う和歌山県と愛媛県が特に多く、静岡県が続く。主な産地の殆どが、太平洋や瀬戸内海に面した沿岸地である。また、語呂合わせとして「愛は静かに」というものがある。「愛」が愛媛、「は (wa)」が和歌山、「静か」が静岡を、それぞれ表わす。日本の文献で最初に柑橘が登場するのは、日本最古の歴史書である『古事記』と日本に伝存する最古の正史『日本書紀』であり、その後も中国からキンカンやコウジ(ウスカワミカン)といった様々な柑橘が伝来したが、当時の柑橘は、食用としてよりもむしろ薬用として用いられていた。みかんとして最初に日本に広まったのは、キシュウミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現在の熊本県八代市)に、中国中東部の浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培されて、肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが15世紀から16世紀頃、紀州有田(現在の和歌山県有田郡)に移植され、一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また、江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得た伝説でも有名である。但し、これは史実ではないとされる。明治時代に入ると、以前よりみかん栽培に力を注いできた紀州有田はもとより、静岡県や愛媛県等でもみかんの栽培が本格化する。産地の拡大により市場競争が始まり、栽培技術の改善や経営の合理化が図られるようになった。また、アメリカ合衆国東南部のフロリダに苗木が送られたのを皮切りに、北アメリカや朝鮮にも輸出されるようになり、日本国外への展開も始まった。その後、第二次世界大戦に突入すると、食糧増産の煽りを受けて栽培面積は減少し、資材の不足と徴兵による労働力の減少により、果樹園は荒廃した。第二次世界大戦後の復興期も、暫くは食糧難の解消が最優先とされ、栽培面積の減少が続いたが、数年後には増加に転じ、1952(昭和27)年に第二次世界大戦前の水準まで回復した。そのまま高度経済成長の波に乗り、みかん栽培は飛躍的な伸びを見せる。復興ブームによる果実消費の増大によって、みかんは高値で取引されるようになり、一部では「黄色いダイヤ」とも呼ばれた。1960(昭和35)年以後は行政施策の後押しもあって、全国的に過剰なまでに増産されるようになる。生産過剰に加えて、1970年代よりアメリカからオレンジ輸入枠拡大の要請が強まり、政府はみかん栽培縮小へ方針を転換した。政府の政策は他種への改植を促すことにもなり、みかんの栽培面積が年々減り続ける一方で、他の柑橘の栽培は拡大した。1980年代からの日米貿易摩擦の中で、1991(平成3)年にオレンジの輸入自由化が始まった。円高も相まってオレンジの輸入が増大する一方で、主に北アメリカ向けに行なわれていた輸出は途絶え、みかん栽培は危機を迎えた。これに対して、各産地では生産調整、品質の向上、価格が高い早生や極早生への切替え等で対応し、みかんの価格は傾向として一時的に上昇した。しかし、農家の後継者不足や果樹消費の多角化等、日本のみかん栽培は、今なお様々な問題を抱えている。みかんのおいしさは、含まれている糖と酸の量、バランスやホロの薄さ等によって決まる。糖度が高いことは重要であるが、酸の量も同様に味の決め手になる。夏場のウンシュウミカンの未熟な果実を収穫・出荷したものは青みかんと呼ばれ、果汁が少なく、ポリフェノール(光合成によってできる植物の色素や苦味の成分で、植物細胞の生成、活性化等を助ける働きを持つ)の一種、ヘスペリジンが豊富に含まれている。生食されることが多く、内皮(瓤嚢膜)を丸ごと食べる人と食べない人で、個性も分かれている。また、むき方も「へそ」から剥く方法と、へたから剥く方法と、刃物で切る方法とさまざまある。他に、北陸地方、東北地方、九州地方等、地域によっては、焼きミカンといって、焼いて食べる所もある。また、凍らせて冷凍みかんにしたり、用途に応じて様々な加工品も作られている。みかんの全生産量の約2割は、ジュースや缶詰に加工されている。みかんは、日本の代表的な果物であり、冬になれば「炬燵の上にミカン」という光景が一般家庭に多く見られる。みかんは腐り易い上、箱詰めされて出荷されるため、1つでも腐ったみかんがあると、すぐに他のミカンも腐ってしまう。この様子は、比喩として使われることもある。
プレママの日。 
ベビー総合専門店「ベビーザらス」の国内第1号店、新浦安店の開店日が12月3日であることと、12月3日を「いい(1)妊婦(に[2]ぷ)さん(3)」と読む語呂合わせから、「プレママの日」を制定したのは、玩具大型量販店のチェーンストア「トイザらス」等の運営を手掛ける企業、日本トイザらス株式会社。プレママとは、これからママになる妊婦さんのことである。神奈川県川崎市幸区大宮町に本社を置く日本トイザらス株式会社は、世界最大のファストフードチェーンストア「マクドナルド」を、日本で経営する日本マクドナルド株式会社設立に寄与した実業家の藤田田が、1989(平成元)年にアメリカ合衆国発祥の玩具量販店、トイザラスの本部と提携して設立した、フランチャイズチェーンである。社名は「Toys are us.(おもちゃのことなら私たちに)」の意味で、日本では、藤田田が設立に際し、「R」だけを反転させた表記に倣って、「ら」だけをひらがなにした日本語表記を考案、命名した。現在の日本トイザらス株式会社は、アメリカの「トイザらス」本体の直接的な日本法人となっており、アメリカの本社が85%出資する、アジア統括会社の傘下にある。なお、業績不振に陥っていたアメリカの玩具小売大手企業、トイザラスは、2018(平成30)年3月15日、アメリカ国内事業の継続を断念し、全店が閉店した。日本トイザらス株式会社は、アメリカ本社と資本的な繋がりはあるが、日本の事業や財務的には独立しており、業績も安定している。1991(平成3)年12月20日、日本トイザらス株式会社の1号店、トイザらス荒川沖店がオープンしており(但し、荒川沖店は、2008[平成20]年8月31日に閉店した)、その後は日本各地に、独立店舗、及び、スーパー・百貨店・ショッピングセンターのテナント等の形で出店した。2000年代後半以降は、「ベビーザらス」も展開している。関東や関西等の人口集中地域では、郊外や再開発地域に出店し、店舗面積を確保している。