12月1日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

いのちの日。 
心の健康問題に関する正しい理解の普及・啓発を行なうための日。健康寿命の延伸等を実現するため、2000(平成12)年に厚生省(現在の厚生労働省の前身の1つ)によって始められた第3次、第4次の国民健康づくり運動、「21世紀における国民健康づくり運動(通称は、健康日本21)」の自殺予防活動の一環として、2001(平成13)年に厚生労働省が制定した。2001(平成13)年に暫定的に12月1日とされ、2002(平成14)年に自殺防止対策有識者懇談会で、正式に12月1日と決定された。精神的危機に追込まれ、誰にも相談できずに1人で悩んでいる人達のため、この日から1週間、無料の相談電話「いのちの電話」が設けられる。これは、東京都千代田区富士見に事務所を置く慈善団体、一般社団法人日本いのちの電話連盟が実施しており、期間中にフリーダイヤルの代表番号にかけることにより、「いのちの電話」に転送される。日本における自殺者数は、世界各国と比べて大きい値とされる。際経済全般について協議することを目的とした国際機関である経済協力開発機構(OECD)は、「日本の精神医療制度はOECD諸国の中で、精神病床の多さと自殺率の高さなど悪い意味で突出している」と報告している。日本では、1978(昭和)年から1997(平成9)年での年間自殺者は約25,000名台であったが、1998(平成10)年には約32,000名にまで上昇した。そのため、2006(平成18)年には「自殺対策基本法(平成18年6月21日法律第85号)」が制定され、2007(平成19)年には自殺総合対策大綱が制定された。その後、自殺率は2009(平成21)年からは徐々に減少しているが、若年者の自殺率については上昇を続けているため、2012(平成24)年には自殺総合対策大綱が、若年層と過去に自殺試行した者についての支援を強化する方向に改定された。なお、2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく、災害に備えようと、「災害時医療を考える会(Team Esteem)」が制定した「いのちの日」は、3月11日とされている。
カイロの日。 
日本使いすてカイロ同業会(現在の東京都中央区日本橋本石町に事務所を置く業界団体、日本カイロ工業会の前身)が1991(平成3)年に制定。日本使いすてカイロ同業会の設立10周年を記念し、日付は、カイロの需要が高くなる時期である、12月の最初の日とした。毎年、カイロについての正しい知識の普及と、需要促進を目的とした啓蒙活動が実施される。カイロ(懐炉)とは、化学発熱体や蓄熱材等を内蔵し、携帯して身体を暖めるものである。古い時代には、懐中に入れて暖を取るものとして、火鉢等で加熱した滑石等を適度に冷ますか、布に包んで温度を調整して使用していた。これを温石(おんじゃく)という。また、塩のみ、又は、塩と糠を混ぜたものを炒って布に包んだもの(塩温石)も同様に使用されていた。江戸時代位までは一般的であったとされる。日本と同様に中世ヨーロッパまでは、布団の足元に設置し睡眠を取るという共通的な利用方法であった。江戸時代の元禄期初期には、木炭末に保温力の強いナスの茎等の灰を混ぜたもの(懐炉灰)を通気孔の開いた金属容器に密閉して燃焼させるカイロがあったことが知られている。この木炭末に混ぜる灰としては、他に麻殻や桐の灰が使われた。灰式カイロと呼ばれ、現在でも現役商品であり、通信販売の他、冬期におけるレンズの結露防止用に用いられるため、カメラ量販店で取扱っていることがある。大正時代末期、現在の懐炉や医療健康関連製品等のメーカー、ハクキンカイロ社創業者となる的場仁市が、イギリスのプラチナ触媒式ライターを参考に、プラチナの触媒作用を利用して気化したベンジンをゆっくりと酸化発熱させる懐炉を独自に発明し、1923(大正12)年に「ハクキンカイロ(白金懐炉)」の商品名で発売した。ベンジンが稀少であった第二次世界大戦前や戦中は、郵便局や軍隊等が利用の中心であったが、第二次世界大戦後はハクキンカイロ社以外の製品も登場し、一般にも広く普及した。ハクキンカイロに代表される白金触媒式のカイロとは、ベンジンを主な燃料とするカイロの一種である。大正年間に的場仁市が発明し、1923(大正12)年に世界で初めて発売された。1975(昭和50)年、アメリカ陸軍が使用していたフットウォーマーを元に、旭化成工業(現在の化学等のメーカー、旭化成)が鍼灸師ルート等を通じて全国で「アッタカサン」を販売。それを原型にして、日本純水素(三菱ガス化学のグループ企業で、現在の機械メーカー、日本パイオニクス)が1978(昭和53)年に開発、ロッテ電子工業(現在の健康関連商品メーカー、ロッテ健康産業)が「ホカロン」の商品名で使い捨てカイロを全国発売し、これがヒット商品となって一般に普及した。以後、このタイプのカイロは急速にシェアを伸ばし、カイロ灰専業の桐灰化学やマイコール等、さらに白元、大日本除虫菊、フマキラー等の家庭日用品メーカーが追随した。このタイプは安価で簡便なこと等から、ハクキンカイロに代わって現在主流の方式となっている。使い捨てカイロは、鉄粉の酸化作用を利用したカイロであり、不織布や紙の袋に空気中で酸化発熱する鉄粉を入れたものが一般的である。その他、通常触媒として鉄の酸化を速める食塩とそれを保持する高分子吸水剤、酸素を取込むための活性炭、鉄の錆びを促進する水、水を保水するためのバーミキュライト(農業や園芸等に使われる土壌改良用の土)が入れられている。 
データセンターの日。 
企業のサーバーを預かり、24時間365日、監視、運用、保守を行なうデータセンター。その事業内容や社会的役割を広く紹介し、データセンターの活用を促進する日として、データセンター専業会社のソフトバンクIDC株式会社(現在の東京都千代田区紀尾井町に本社を置くインターネット関連企業、株式会社IDCフロンティアの前身)が制定。日付は、「データセンター(Datacenter)」から語呂の似ている12月(December)と、「安全第一」から1日を組合せたもの。 
カレー南蛮の日。 
カレー南蛮を世に知らしめた蕎麦屋「朝松庵」(東京都目黒区上目黒に所在する)2代目店主、角田酉之介の誕生日に因み、カレーうどんをこよなく愛する団体「カレーうどん100年革新プロジェクト」(東京都新宿区岩戸町に所在する、カレーを中心とした食の様々なコンサルティングビジネスを展開する企業、株式会社カレー総合研究所に事務局を置いている)が、カレーうどんが浸透してから100年とされる2010(平成22)年に制定。創業は明治20年代という蕎麦屋「朝松庵」。カレー南蛮は、その2代目店主、角田酉之介が、1909(明治42)年に大阪の支店で、 和食のうどんに「カレー」という洋食の味を取入れ、誕生させたものとされる。角田酉之介は、洋食ということに拘って、長葱しか入れなかった当時の麺業界の中で、玉ねぎを入れ始めた。カレー南蛮は、カレー粉を蕎麦のつゆでのばし、片栗粉でとろみをつけた汁をかけたものである。「南蛮」とは、ネギのことで、大阪の難波(現在の大阪市中央区に所在)で取れた長ネギを、ナンバと呼んでいたのが南蛮になったという説や、南蛮人(異国人)がよくネギを食べていたから、という説があり、どちらの説も、ネギが入っていたことを示している。昭和初期には、カレーうどんは、カレーライスより盛んに食べられていたようで、各社から「南蛮カレー粉」が発売されていたという。「冷やし」もあり、地方では、町おこしのための独自料理等、種類や独自名称も多い。なお、同じ「カレーうどん100年革新プロジェクト」が、6月2日がかつて「横浜・カレー記念日」であったことと、7月2日が「うどんの日」と言われていることから、8月2日を「カレーうどんの日」としている。