11月18日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0794年 - 第50代天皇、桓武天皇が、山城国乙訓郡(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)にあった古代日本の都城、長岡京から平安京へ遷都。平城京の地理的弱点を克服しようとした都であった長岡京は、2度の大雨によって、都の中を流れる川が氾濫し、大きな被害を蒙ったことから、僅か約10年後に再遷都されることとなる。 
1307年 - 伝承によると、スイス中央部のウーリ州に住んだとされる伝説の英雄ウィリアム・テルが、自分の息子の頭上に乗せられたリンゴを射抜く。ウィリアム・テルの名が記された史料が見付かっていないため、実在性は証明されていないが、スイス人の約6割は、ウィリアム・テルが実在の人物と信じている。ウィリアム・テルは、スイスのみならず、世界的に有名で、日本でも弓の名手として知られている。14世紀初頭、スイス中央部、ウーリ州アルトドルフに住んだ、とされるウィリアム・テルは、クロスボウ(西洋で用いられた弓の一種で、専用の矢を、板ばねの力で弦により発射する武器)で、自らの息子の頭の上に置いた林檎を一発で射抜く。その罰を与えたオーストリア人の代官に連行されるも逃れ、逆に狙撃して射殺する。町へ戻ったウィリアム・テルは、英雄として迎えられ、この事件が反乱の口火を切ることとなり、スイスの独立に結び付いたという。スイスの紙幣、硬貨、切手にも登場する等、ウィリアム・テルはスイスでは人気があり、ウィリアム・テルやその息子は、様々な絵やイラストになり、スイスを象徴するモチーフとして使われることが多い。また、矢の突刺さった林檎も、同様にモチーフとして使われている。 
1723年 - ロシア連邦の中央部に位置する人口約150万の大都市、エカテリンブルクが公式に建設される。
1727年 - 西アジア・中東に位置するイランの北西部、タブリーズで大地震が発生。死者約7万名。 
1803年 - ハイチ革命: ヴェルティエールの戦い。ジャン=ジャック・デサリーヌ指揮のアフリカ人(黒人)奴隷反乱軍が、フランス軍(ナポレオン・ボナパルト軍)に勝利。サン=ドマング(現在の南北アメリカ大陸に挟まれた、西インド諸島の大アンティル諸島内のイスパニョーラ島西部に位置するハイチ共和国)独立が決定的になる。 
1901年 - 官営八幡製鐵所(現在は日本最大手の鉄鋼メーカー、日本製鉄が運営)が操業開始。1887年から操業を続ける釜石鉱山田中製鉄所(現在の新日鐵住金釜石製鐵所の前身)に続き、日本国内で2番目の製鉄所であった官営八幡製鐵所は、第二次世界大戦前には、日本の鉄鋼生産量の過半を製造する、国内随一の製鉄所となっている。1934年には、官営製鉄所が中心となり、民間業者と合同して、法律で規定された半官半民の国策会社(明治時代中期以降、第二次世界大戦の終結までに設立された、日本の国家的発展を遂行する目的を有し、政府の強い統制下にあった特殊会社)、日本製鐵(日鐵、日鉄)が発足する。第二次世界大戦後の1950年に日本製鐵(日鐵、日鉄)は解体され、八幡製鐵所は、日本製鐵(日鐵、日鉄)の鉄鋼部門を引継いだ高炉メーカー、八幡製鐵に属すが、1970年の八幡製鐵と富士製鐵(同じく日本製鐵[日鐵、日鉄]の後継会社である八幡製鐵と並ぶ規模の大手高炉メーカーで、北海道室蘭市の輪西製鐵所、岩手県釜石市の釜石製鐵所、兵庫県姫路市広畑区の広畑製鐵所、神奈川県川崎市の富士製鋼所[発足時に川崎製鋼所に改称]を継承した)の合併による新日本製鐵(新日鉄)発足に伴ない、新日本製鐵(新日鉄)の製鉄所となる。2012年10月、新日本製鐵(新日鉄)と住友金属工業(大手鉄鋼メーカー[高炉メーカー]で、関西経済界の重鎮[関西財界御三家]であり、第二次世界大戦前の三大財閥[一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態、財閥の中でも特に大きいもの]の1つ、住友財閥の流れを汲む企業グループ、住友グループの要として、国内最大手級都市銀行(メガバンク)の三井住友銀行、大手総合化学メーカーの住友化学と共に「住友グループ御三家」と称されたが、新日鐵住金の発足により消滅し、住友グループからも離脱している)の合併による新日鐵住金発足に伴ない、新日鐵住金の製鐵所となる。2014年4月、新日鐵住金小倉製鉄所(元は、住友金属工業小倉製鉄所であった)を八幡製鉄所に統合、再編成する。官営時代から日本製鐵(日鐵、日鉄)時代にかけては、鋼板(板状に加工された鋼)類や条鋼形状が平らではない圧延鋼材類で、形鋼、棒鋼、線材、軌条等がこれに当たる)、兵器材料の特殊鋼(炭素鋼に、1つ、又は数種の元素[合金元素という)を添加して、その性質を改善し、種々の目的に適合するようにした鋼)等、多品種の鋼材を製造していたが、八幡製鐵、そして、新日本製鐵(新日鉄)時代に、他の製鉄所が強化されていくにつれ、生産品種も減少し、現在では、表面処理(素材表面の性質を高めるために行なわれる、機械工作法の一種)鋼板や、電磁鋼(電気エネルギーと磁気エネルギーの変換効率が高い鋼)板を始めとする薄鋼板と、一部の条鋼や鋼管(鋼を圧延して作られる管形をした鉄鋼製品)の製造拠点となっている。八幡製鐵所の内、旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場(福岡県北九州市)、遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市)の4資産が、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産として、国際連合教育科学文化機関[ユネスコ、UNESCO]の世界遺産(文化遺産)に登録されている。  
1903年 - パナマ運河条約が、アメリカ合衆国とパナマ共和国(南北アメリカ大陸の境に位置する共和制国家)との間で締結され、パナマ運河(北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置するパナマ共和国のパナマ地峡を開削して、太平洋とカリブ海を結んでいる閘門[水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置]式運河)のアメリカ管理とパナマ運河地帯(運河の中心から両側5マイルずつ[幅約16km])の永久租借地化が決定する。パナマ運河の建設、管理運営権、軍事警察権をアメリカに与える条約で、1977年に締結された「パナマ運河条約及びパナマ運河の永久中立と運営に関する条約(新パナマ運河条約)」による1999年12月31日の返還まで、アメリカがパナマ運河を管理運営し、支配する。「新パナマ運河条約」により、パナマ運河の管理運営権はパナマ共和国に委譲され、全ての国の平和的航行に対して平等に開放するとされたが、有事の際には、アメリカが軍事介入する権利を留保している。パナマ運河を航行する船舶は膨大な量にのぼり、東西両洋を結ぶため、重要性も極めて高い。この膨大な需要は、運河周辺にさまざまな産業を立地させることになり、建国の経緯からみても、パナマ共和国は、パナマ運河計画があって初めて成立し得た国家であるが、経済的にも、その他の面においても、パナマ共和国は運河に多くを負っている。 
1905年 - デンマークのカール王子が、スウェーデンとの同君連合を解消して独立したノルウェーの国王に即位し、ホーコン7世に改名する。
1911年 - 現在の東京都大田区羽田空港に所在した総合運動場、羽田運動場で、日本初のオリンピック予選会が行なわれる。11月19日まで。日本がアジアの国で初めてオリンピックに参加した、1912年のストックホルムオリンピック(第5回オリンピック競技大会)予選会となり、陸上競技/短距離の三島弥彦と、陸上競技/長距離・マラソンの金栗四三が代表として選出される。
1916年 - 第一次世界大戦: ソンムの戦いが終結。 
1918年 - 北ヨーロッパのバルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の1つ、ラトビアが、旧ロシア帝国からの独立を宣言。 
1928年 - ミッキーマウスのデビュー作となる短編アニメーション映画『蒸気船ウィリー』が公開される。 
1930年 - 思想家・教育者・地理学者・宗教家の牧口常三郎と宗教家・教育家の戸田城聖が、創価学会の母体である創価教育学会を設立。 
1936年 - スペイン内戦: ドイツとイタリアが、スペインのフランコ政権を承認。
1939年 - 音楽著作権の集中管理事業を日本国内において営む一般社団法人、日本音楽著作権協会(JASRAC)の前身となる社団法人、大日本音楽著作権協会が創立される。
1941年 - 第二次世界大戦: 北アフリカ戦線・クルセイダー作戦開始。