現在の「僕」たち【54】「後輩が目指す仕事への姿勢」 | 彼と彼女と僕のいた部屋

現在の「僕」たち【54】「後輩が目指す仕事への姿勢」

 考え事をしながらも僕は黙々とスポンジケーキを焼いていった。材料の作り方は体が覚えている。もちろん、すべての材料はしかっりと計測はするが、手順はいつも通りである。
 後輩も必死にシフォンケーキ作りと格闘している。
 後輩が最初にできあがったシフォンを僕に持ってきた。
「どうでしょうか?」
 僕は焼きたてのシフォンを観察した。
(昨日よりは悪くない。100パーセント完璧とは言えないが、これなら店に出せるレベルだ)
 このまま余熱を飛ばせばショーケースに並べることは可能であろう。
 僕はとりあえずうなずいた。
「いいと思うよ」
 後輩の顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「うん。まだ余熱を取っていないからはっきりとは言えないけど、商品にはなると思う」
 後輩は頭を下げた。
「ありがとうございます!」
 僕は照れくさくなった。
「きみはセンスがいい。これくらいできて当たり前さ」
 僕は次の言葉をためらった。が、口にすることにした。
(どうせこの店を辞めるんだ。先輩とか後輩とか関係ない。今のうちに聞きたいことは聞こう)
 僕は小さなプライドを捨てた。
「さっき、きみは僕に経営者とかの素質がある、とか言ってたよね?」
 後輩はシフォンケーキを余熱を取り除くための棚に戻す所であった。顔を僕に向けると不思議そうな表情を浮かべる。
「はい」
「なんでそう思った?」
「なんでって言われましても……。そう思ったからとしか答えようがありません」
「少しでいいんだ。理由を聞きたい」
 後輩はシフォンケーキを棚に入れると、作業台に腰をもたれかけさせた。
「俺っておしゃべりっすよね」
「おしゃべりと言うか、周りの人間を盛りたてる人間だと思う」
 後輩が右頬をなでる。後輩が照れているときの癖だ。
「それはかいかぶりっすよ。俺は集中力がないんです。すぐに目の前の作業に飽きて、口が勝手に動くんです」後輩が顔を下に向ける。「本当は先輩みたく黙って作業をしたいんす」
 僕は意外だった。
(黙って作業をしたい? それじゃあ仕事が楽しくないだろう)
 僕は率直に聞く。
「でも、僕みたいな先輩が製造場にいたら士気が落ちないか? 普通、先輩は後輩にいろいろと話を聞かせたり、聞いてやったりが相場と決まってるんじゃないのか?」
 後輩が苦笑いをする。
「先輩って古風なところがありますよね」
「そうか?」
「そうっすよ。その考えかなり古いっすよ」
(友喜の影響かな)
 僕は思った。
 友喜は言動によらず、古風な思考回路の持ち主だった。
 年長者は敬う。ひとつでも年上ならば、敬語を使う。講師には逆らわない、などなど。
 僕が常識はずれな人間だったのかもしれないが、普段の行動様式とは裏腹に実は筋を通すことを好むタイプの人間だった。
(三年弱、友喜とルームシェアをしていたんだ。友喜の性格が僕に移っても不思議はない)
 後輩が続ける。
「先輩は仕事に熱心です。熱心すぎて声をかけにくいこともありますが、仕事だから熱くなるのは当たり前です。先輩は自分が仕事をしているところを見せて、俺たちみたいな後輩を引っ張っていく人だと思います」
 僕は呆然とした。そんな風に評価されていたとは想像だにしていなかったからだ。
「僕がひとを引っ張る? そんな格好のいいことはしてない」
「先輩にそのつもりはなくとも、俺にはそう見えました。ほかのパートがどう思ってるか知りませんが、俺は先輩が黙って仕事をしてる姿を見て格好いいと思ってます」
 今度は僕が照れた。
「退職間際の人間にお世辞を言っても何も出んぞ」
「退職間際だから言えるんです。こんな俺ですがパティシエを目指してます。本物のパティシエが作業中にベラベラと口を開けていたら話にならないと思います。目の前の作業に集中していない証拠ですからね」
 後輩はここで一旦、言葉を切った。一息つくと早口で言う。
「だから、俺は先輩のように黙って仕事に没頭する人間になりたいと思ってんす」
 後輩の意外な告白に僕はただただ口を開けるしかなかった。