「自分の現実や世界は自分が作っている」
「この世界や宇宙は幻想や仮想で、ホログラムのようなもの」
スピリチュアルの基本原理として「自分の内側の意識が現実に反映される」があります。
これは「自分次第で変えることができる」という意味でもあります。
なので外側の現実や他人に振り回されるのは幻想(眠りの意識とも表現されます)で、外側に自分の本来の力を明け渡してしまっている・・・
そこから抜け出して自分(の内側、意識)が現実を作るという自分が梶を取る在り方に反転させるのが、スピリチュアルを生かすことです。
ですが・・・。
現実や宇宙は幻想や仮想で自分の内側の投影という情報は、本当なのか?
そんな疑いや不信を拭うことができない。
信じるのが怖い。
そんな不安や疑いが出て「やっぱり外側の現実や世界は固定されていて、変えられない」という既存の常識に戻ってしまう。
どうせ変えられないんだという、投げやりな気持ちになってしまう。
そんなこともスピリチュアルを実践されてる方は珍しくないと思います。
そして、ついブレてしまったり迷いが出たり、不信感に苛まれてしまうこともあるでしょう。
この件ですが、まだ新説の段階であり、可能性として「俗説」のような可能性だって全くないとはいえないからです。
実際、「世界は幻想である」という考えも、ある種のフィルター(解釈)に過ぎない可能性はあります。
誰かにとっては真理でも、別の誰かには「妄想」「解離」と見えるかもしれない。
この世界が幻想であると信じることが逆に
他人の現実を否定したり不都合な現実を「幻想だから」と切り捨てるための逃避になってしまえば。
それは確かに「妄信」「俗説化」になります。
「現実はどうせ幻想だから」と都合が悪いことへの現実逃避に使ったり、傲慢になるケースもある
スピリチュアルの世界の問題点として、スピリチュアルの原理を「自分に都合よく曲解したり、現実逃避に使う」ケースも少なくないことです。
確かに、幻想や仮想だと知ると、「どうせ幻想だし」と自分勝手に切り捨てたり、誰かを犠牲にするのも罪悪感も感じづらくなり。
最悪、悪用する人も中にはいるかもしれません。
また、現実逃避や楽に流されるために、スピリチュアルの原理を使う人も少なくないです。
「どうせ幻想や仮想だから」と、自分の現実を軽んじてしまうというわけです。
それは言ってしまうと「スピリチュアルを拗らせた」状態で、本質的とは言い難いです。
疑いや不安が出るのはなぜか?
今回のテーマである「そもそも本当の情報なのか疑いや不安が出て、迷いが出てしまう」ことに話を戻します。
そういう疑問が出るのは、中立的に冷静に考えようとしてるということでもあります。
また現実的視点を捨てたくないという気持ちもあるでしょう。
そういう視点も、矛盾してるかのようですが大事だったりします。
私も、現実的視点も同時に意識しています。
この疑いや不安が出て軸がぶれてしまったり迷ってしまうという時。
なぜこういう疑いが出るかというと。
中立的で冷静な視点もありますが「情報や知識に偏っていて、『経験』を疎かにしている」時です。
情報や知識というインプットばかり意識が向いていて、現実での経験、アウトプットすることが足りてないからです。
今の時代は情報社会なのもあり、情報や知識が重視されやすいです。
ですがスピリチュアルの世界というのは「現実、実生活での実践=経験」がものすごく大事です。実はここが肝心なポイントだったりします。
なかなか生かせない、変わらないという方は、経験、現実を生きることが足りてないからです。
スピリチュアルの情報や叡智は目に見えない世界ですが、日常で実践して「現実をしっかり生きる」ことが必要不可欠です。
疑ってしまう時どうしたらいいか?
本質的なスピリチュアルを意識している人ほど、「幻想だからなんでもいい」ではなく「幻想だからこそ、そこにどんな意識で関わるかが大事」と言います。
この立場に立つ人は、現実を軽視したり、他人や痛みを幻想として否定しません。
むしろ、「幻想ということを知った上で、どう現実に愛を注げるか」という姿勢になります。
つまり現実を生きることを疎かになんてせず、現実を生きること。そして経験を重視してます。
こういう方たちはYOUTUBEやブログなどで知識だけ得ても、それだけでは何にもならないことを知っています。
日常生活、現実の中でスピリチュアルの実践をしています。
例えば有名な方だと江原啓之さんがそうだと思います。
並木良和さんもそうですね。
一方で、引き寄せで全て変えられる!という極端な層や、現実に責任を持たなくなる「スピリチュアル回避」のパターンの人も存在しています。
それが世間から「スピリチュアルは現実逃避」と言われる一因です。
いわゆる「キラキラスピリチュアル」「ふわふわスピリチュアル」など。
つい本当か疑ってしまう。そもそも誰かの仮説でしかないし、現実は強固な変わらない現実でしかないんじゃないか?
こんな迷いが出るのはよくわかります。
私も中立的視点も持っていたい、偏りたくないという気持ちはあります。
ではどうしたらいいか?というと。
自分の体験、実体験の中で実感を少しずつでも得ていくしかないかなと。
本当に変われるんだ…。
自分の内側が確かに外側に反映されてるとわかった。
そんな「経験」を重ねていくと、それはただの知識や情報ではなく「実体験」「経験値」になります。
それがその人にとっての真実です。










