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私は最初に伏見稲荷大社に行った時、
境内に駅がある!くらいの衝撃を受けました。
六甲比命神社とは逆で、神様に参る位置としては全力で参拝者に開いています。
稲荷神社自体が全国に数多くあり、
朱の鳥居と眷属の狐さんは日本人なら誰でも知ってるレベルに
「お稲荷さん」は知られています。
神仏様のエネルギーって、人間の信仰心だと思っています。
神様のいらっしゃる場所に人が血液のように通うことが、その神様を支えている。
私の中には、まずこの「脈」という考え方が基本にあります。
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伏見稲荷大社ができたのが711年。
古事記が編成される前の年です。
時の権力者が政治的な流れの中で瀬織津姫を封印するのに合わせ、
その御魂を別の姿で奉る「場」を用意した。
それが伏見稲荷大社なのでは?と思いました。
実際、伏見稲荷大社はもともと龍蛇神さまを祀る場所でした。
私の中の瀬織津姫は「水」そのものなので、
まさに龍神、あるいは龍のエネルギーを遣う存在です。
国土の70%が山や森林で、海に囲まれた日本は「水」の国です。
だから古来から「水」の神様である瀬織津姫を、日本中で大切に祀ってきました。
厚く信仰されていた瀬織津姫は、当然そのエネルギーも強いです。
「水」は生命に欠かせないものですし、
今以上に昔の水の存在は、生死に直結です。
それは権力者にとっても同じこと。
封印することはとても怖いことだったと思います。
だから怒りを鎮めるための策を打つ必要がありました。
ちょっとやそっとじゃなく、相当に力を入れて
「代わり」を用意することを条件にしなければならなかったのでは。
それが伏見稲荷。
もともとそこにいらした龍神さまを更に祀るための、大いなる「場」の創造。
「瀬織津姫」のエネルギーを封印する代わりに
「稲荷神」としてたくさんの人が通うように、
参拝しやすい「場」と「数」をそこから創造したんじゃないでしょうか。
通常、神社を新しく作る時には、神様の御霊を分霊していただき
勧請することが必要ですが、
なぜか稲荷神社に関しては、そこもフリーです。
「どうぞ自由に稲荷神社を建ててください!」という設定です。
だから実際に稲荷神社は、全国のあちらこちらにありますよね。
お稲荷さんといえば、重なる朱の鳥居がシンボルでもあります。
伏見稲荷ではもうそのまんまな感じがしましたが、
血管というか、歩いていると体内の管の中を通っている印象です。
重なる朱の鳥居 = 参道 = 産道
参拝者は朱の鳥居を潜ることで、子宮の中に戻ります。
子宮の中にあるのは羊水。水です。
水 = 瀬織津姫
稲荷神社に参拝する人たちは、
同時に瀬織津姫の御前にも参っていたということになります。