◆瀬織津姫は稲荷の後ろの正面に・2◆古事記編成に間に合わせた伏見稲荷大社 | 神仏広告代理店

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【菊と稲荷】

◆瀬織津姫は稲荷の後ろの正面に・1◆六甲比命神社の稲荷宝珠

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私は最初に伏見稲荷大社に行った時、

境内に駅がある!くらいの衝撃を受けました。

 

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六甲比命神社とは逆で、神様に参る位置としては全力で参拝者に開いています。

 

 
稲荷神社自体が全国に数多くあり、

朱の鳥居と眷属の狐さんは日本人なら誰でも知ってるレベルに

「お稲荷さん」は知られています。

 

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神仏様のエネルギーって、人間の信仰心だと思っています。

神様のいらっしゃる場所に人が血液のように通うことが、その神様を支えている。

 

私の中には、まずこの「脈」という考え方が基本にあります。

 

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伏見稲荷大社ができたのが711年。
古事記が編成される前の年です。

 

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時の権力者が政治的な流れの中で瀬織津姫を封印するのに合わせ、

その御魂を別の姿で奉る「場」を用意した。

 

それが伏見稲荷大社なのでは?と思いました。

 

 

実際、伏見稲荷大社はもともと龍蛇神さまを祀る場所でした。

 

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私の中の瀬織津姫は「水」そのものなので、

まさに龍神、あるいは龍のエネルギーを遣う存在です。

 

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国土の70%が山や森林で、海に囲まれた日本は「水」の国です。

だから古来から「水」の神様である瀬織津姫を、日本中で大切に祀ってきました。

 

厚く信仰されていた瀬織津姫は、当然そのエネルギーも強いです。

「水」は生命に欠かせないものですし、

今以上に昔の水の存在は、生死に直結です。

 

それは権力者にとっても同じこと。

封印することはとても怖いことだったと思います。

 

 

だから怒りを鎮めるための策を打つ必要がありました。

 

ちょっとやそっとじゃなく、相当に力を入れて

「代わり」を用意することを条件にしなければならなかったのでは。

 

 

 

それが伏見稲荷。

もともとそこにいらした龍神さまを更に祀るための、大いなる「場」の創造。

 

 

「瀬織津姫」のエネルギーを封印する代わりに

「稲荷神」としてたくさんの人が通うように、

参拝しやすい「場」と「数」をそこから創造したんじゃないでしょうか。

 

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通常、神社を新しく作る時には、神様の御霊を分霊していただき

勧請することが必要ですが、

なぜか稲荷神社に関しては、そこもフリーです。

 

「どうぞ自由に稲荷神社を建ててください!」という設定です。

だから実際に稲荷神社は、全国のあちらこちらにありますよね。

 

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お稲荷さんといえば、重なる朱の鳥居がシンボルでもあります。

 

伏見稲荷ではもうそのまんまな感じがしましたが、

血管というか、歩いていると体内の管の中を通っている印象です。

 

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重なる朱の鳥居 = 参道 = 産道

参拝者は朱の鳥居を潜ることで、子宮の中に戻ります。
子宮の中にあるのは羊水。です。

水 = 瀬織津姫

稲荷神社に参拝する人たちは、

同時に瀬織津姫の御前にも参っていたということになります。

 
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星田妙見宮もその奥に続く山道を上がった森の中に、

お稲荷様が祀られています。

 

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伏見稲荷大社も奥の院には山を登ります。

 


便利な場所と数を用意して「現世利益」で気軽に人数を集めると同時に、

奥まった場所にまで参拝する信心深い者に対しても、しっかりとその場を用意した。

 

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その奥まった神聖な場所は、

六甲比命神社の持つ静かなエネルギーに似てくるのです。

 

<続く>