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▲六甲山の瀬織津姫・1▼ 地上の北斗七星に封印された瀬織津姫
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「鼻煙壺」という中国の工芸品があります。
嗅ぎ煙草入れというもので、携帯する小さな瓶。
私のコレクションの中で、これは日本で出会ったものなのですが、
最初に見た時にこう思ったんです。
私が鼻煙壺に生まれるなら、これがいい! って。
20年前の独身時代に奮発して購入しました。
だって買わないと、一生会えないかもしれないって思ったから。
それほど惚れ込んだ小さな水色の瓶が、私にメッセージをくれた話です。
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空海さんと六甲山の瀬織津姫のお話は、いろいろ書きたいこともありますが、
一番なんか……「乙女心」?に来た気づきから書くことにしました。
先日、高野山で行われた結縁灌頂という行事に参加してきました。
普段は入れない「金堂」という建物に入るのですが、
最初に入ったところでお坊さんのお話を聴くエリアがあります。
その時に後ろに飾ってあったのが「弘法大師像」という絵。
空海さんの絵って、こういう感じのものがプレーンですよね?
その絵の大元です。昔の天皇さまが描かれたって話していらした気がします。
この絵って、空海さんが座られた椅子の下に靴と、
あと水差しのようなものがあるんです(左上の絵のような)
この水差し、気にはなっていたんですけど、
他のところで見た時は「飾り」としか思っていませんでした。
それが結縁灌頂の時に見た時は、違いました。
この水差しが「水色」に見えたんです。
「水色の瓶」を見た時、私はお気に入りの鼻煙壺を思い出しました。
自分がなりたいと思った水色の小さな壺……
この時からものすごくこの水差しのようなものが気になり、
調べてみたものの、答えが見つからず。。
そこで私は、瞑想会で繋がったお坊様にメッセージで質問を送りました。
「よくある「弘法大師像」なのですが、
靴の横に瓶が描かれていますが、あれは水差しなのでしょうか?」と。
すると、お返事をいただくことができたので、
そのまま転載させていただきます。
「あれは、甁(びょう・水差しのこと)ともうしまして、
この甁から一滴もあまさず「密教の法脈(教え)」を連綿と受け継いでいく
・・・ といった意味が込められております。
我々真言宗の阿闍梨は、ある特別な修行(加行:けぎょう)の後に、
伝法灌頂(でんぽうかんじょう)という儀式を受けます。
その時に、先ほどの一滴の水を頭頂に頂戴いたします。
つまり、「深遠なる仏の教え」が、かかる水を介して、
後世へ伝えるというものです。 そういった深い意味がございます。」
さすが高野山阿闍梨さん。
ご丁寧なお答えのおかげで、一発で解決しました。ありがとうございます*
「甁」=ビン。かめ。
意味は液体などを入れる容器。保存のためのもの。
保存するために液体を入れるもの。
それを確認した時に、
この瓶は「瀬織津姫」の意味もあるんじゃないかと思ったんです。
「かめ」という意味がキーポイントで、その件については別で書きますが、
封印されたとされる瀬織津姫を意味する「暗号」のようなものとして、
この水色の瓶を空海さんは、ご自身の絵の中に一緒に描いてもらったのではと思いました。
光も空気も遮断することで、保存される「水」。
それをわざわざご自身の絵の中に、残すことを決めはった空海さん。
永遠に一緒にいて大切にしたいという想いが、
そこに感じられるんですよね。
もちろん、他の僧の方の絵にも瓶が描かれたものもあります。
なのでそういうものかもしれないですけど。
空海さんが役行者さんの意志を継いで、瀬織津姫を守ろうとされていたのは
天宮先生がおっしゃるように
「一滴もあまさず「密教の法脈(教え)」を連綿と受け継いでいく」
いう教えからの体験によって得た「水」への神秘性や、
内包する力へのリスペクトもあったんだろうなと、そんな風に思います。
と同時に、さっきも書いたように、永遠にそばに置いておきたいという
そういう深い想いも感じてしまうんです。
「水」への執着をものすごく感じます。
結縁灌頂に参加したことで「瓶」という存在に、自分の中で光が当たり、
20年前に鼻煙壺になるならと思った自分から、
逆に「瓶」を擬人化(擬神化?ですね)するという暗号を感じました。
ロマンチックですけど(照)
でも、ありそうな気がするんですよねー。空海さんなら*
<続く>