今、ものすごく自分の担当する「何か」を定め、動き始めた方が多いと思います。
私の何かは六甲山。
私が「六甲山」の一部でありたいと思っています。
細胞や魂の中にすでに刻まれて生まれてきた「六甲山」に
封印されていると言われている瀬織津姫。
私の中では六甲山の瀬織津姫は
封印というより「守られている」ように感じます。
今日はその辺に繋がる話を書きます。
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昨年の3月に、六甲修験道の入り口で、
役行者さんが身を清めてはった地図にもない「旭瀧」という場所に立ちました。
そして12月に、地図にない「六甲修験道」を繋ぎ、
復活させてくださったトレイルランナーの岩崎選手のガイドで、
鷲林寺から多聞寺までの修験道を歩きました。
その時の六甲山の神々からの祝福は神秘に満ちていて、
神様が喜んでくださったのが全身全霊で分かりました。
その「六甲修験道」が、ある日「北斗七星」に見えたんです。
岩崎選手が繋がれた「六甲修験道」コースに、
天狗岩と保塁岩への道も足したものが白い線です。
この形が北斗七星を鏡像にしたものに見えます。
瀬織津姫の六甲比命神社の辺りが、
北斗七星では「文曲星(もんこくじょう)」という星の位置になり、
この星は吉祥天を表します。
吉祥天=弁財天=瀬織津姫というふうに習合されます。
吉祥天は毘沙門天の妻か妹とされています。
六甲修験道の現在の西の端は「吉祥院多聞寺」という場所で、多聞天と吉祥天、
その子供の仏像が秘仏としてあるそうです。
(現在は唐櫃にありますが、昔は地図にある古寺山に多聞寺がありました)
多聞天=毘沙門天
私自身は六甲修験道の西半分は、毘沙門天のエリアだと感じています。
それに対し、東は女神のエリアです。
西エリアに毘沙門天(多聞天)
東エリアに弁財天(瀬織津姫・菊理姫・吉祥天)
そして「文曲星」の場所に六甲比命神社があり、
その少し上に毘沙門天が現れた雲ヶ岩。
少し下に多聞寺奥の院である心経岩が配置されています。
(雲ヶ岩から心経岩まで100m以内です)
吉祥天=瀬織津姫の場所を、両側で毘沙門天が守っているという配置です。
毘沙門天は鞍馬寺にあるように、光で太陽の精霊です。
つまり=アマテラスに繋がります。
六甲比命神社の中にも瀬織津姫と天照大神の絵がありますが、
封印されながらも
そのそばには常に夫となる神様がついて守っていらっしゃいます。
だから六甲山の瀬織津姫は穏やかで暖かい神様なんだと思いました。
東西に長く続く六甲山系。
須磨、神戸、芦屋、西宮、宝塚
そして北側には有馬……
六甲山からの脈を受ける場所は、どこも個性的で豊かで
全国的にも知られています。
そんな場所を守る山の神様が、封印されて苦しんだり
お怒りになったりしているはずがないと、そう思い続けていました。
だから「封印=厳しい」
そんなイメージに、違和感があった私は、
瀬織津姫がこの愛する方に守られているという配置に気がついた時に、心から納得しました。
「六甲山の瀬織津姫」に関しては、
封印されながらも守られている力を感じます。
西エリアに毘沙門天(多聞天)
東エリアに弁財天(瀬織津姫・菊理姫・吉祥天)
六甲山は神仏習合の場であり、六甲比命神社は男女和合の場所になります。
次は、この六甲山に北斗七星を降ろし、
護った方々のことを書きたいと思います。
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