たまに若い方々のお悩み相談のようなことをします。
特にお金が発生するのではありませんが、親御さんや友達にも相談できない内容が多いため、こちらも責任重大です。
ところで、ちょっと気になったことがあります。
気功や瞑想の指導の時や整体の時に色々と聞くお悩みと、若い方々のそれが、ほとんど変わらないのです。
最近気になったことで言うと、なんと、
「幸せの基準までも、他人と同じでなければならないと錯覚している」
ということです。
難しい表現に聞こえるかもしれませんが、日常的な例では、
・周りの人はもう年収○○万円だが、自分はまだそこまで稼いでいない
・同い年の人は○○をもっているが、自分は持っていない
・同僚は○○ができるが、自分は出来ない
・知り合いはみんな結婚したのに、自分はまだ相手すらいない
などなどです。
指導の時に聞くことも、同じように、
・以前、ほかのセミナーに通った時の参加者のように、自分はできなかった
・同じ年代の人より体が動かせない
・知り合いはもっと簡単にマスターした
などがあります。
非常に単純に言って、これは、
・自分の幸せの基準を他人にしている、
・他人を基準にして、自分が幸せかどうかを決めている
ということです。
おそらくこういう方は、どれほど成果を上げても「納得」できないかもしれません。
他人が基準になっているので、いつまでたっても「基準」が青天井です。
限りなく夢想の基準なので、「納得」は感じられない場合が多いです・・・。
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では、人の幸せはどのように感じられるのでしょうか。
これはもちろんいろいろな段階的位相がありますが、まずは、「(自分特有の)欲を満たせたかどうか」が重要です。
欲については、以下の過去記事があります。そこで、以下の五大欲求を紹介しました。
↓
( ゚Д゚)「いつでも腹一杯食いたい!」 ← その人特有の「欲」
人の欲は、おおむね以下のような種類があります。
《五大欲求、五欲》
・食欲、性欲
・名誉欲、我欲
・支配欲、権力欲
・知識欲(創造、芸術、知ることなど)
・所有欲、金欲、物欲
(そして6番目として奉仕欲がある。更に細かい分類は避け、睡眠欲などは除外しておきます)
これは有名なゲッターズ飯田さんの分類で場合によって色々と説明が変わっていますが、とても分かりやすいですね。
「幸せを感じるかどうか」は、自分の欲求が満たせたかどうかにかかっているといえます。
例えば、金欲があまりない人は、お金はそれほどなくてもかまわないと感じます。
しかし金欲が強い人にはそれが、「おかしい奴だな。金がなくて、ただ飯を食っていられるだけで幸せなのか?」と、感じます。
食欲が強くて知識欲が弱い人は、「何かを作り出すとか、クリエイティブな仕事とか、まったく興味がない。とにかくおいしいものが食べられなければ、生きている価値がない」などと感じます。
そうして、これらの欲が満たされると、「幸せだなあ」と感じ、満たされない場合は「幸せじゃない」と感じる、というわけです。
(注意:決してこれは、「良し悪し」を言っているのではありません。念のため。)
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冒頭の若者たちは、これらの欲の中で、自分はどれが強いのか(欲しているのか)を、まずしっかり把握する必要があります。
そうしなければ、ずっと周囲の価値観に振り回され、「他人の望み」をかなえることばかりに奔走することになります。
つまり、いつまでたっても「自分の望み」がかなえられない、ということです。
幸せは、「自分が感じるもの」です。
その「自分が求めているものは何なのか」を、できるだけ具体的に把握するのが先決です。
追記
ご参考までに、知人の、あるビジネスウーマンの例も見てみてください。
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