突然ですが、皆さんは人生で
「土下座」
をしたことがあるでしょうか。
わたしは今朝、人生で(恐らく初めて)土下座をしました。
子どもの頃は親に無理矢理させられたかもしれませんが、
自ら「土下座」したのは、人生で初めてでした。
別に「浮気」や「不倫」をしたとか(笑)、相手に「土下座」を
要求されたとか、そんなことではなく、ただただ自然と
これまでの自分の「過失(非)」を認めたくなったのです。
で、人生初の「土下座」をしたわけですが、そこから様々な
「気づき」があったので、今回皆様にシェアしようと思います。
「土下座をするひと」(まさに今朝のわたしです笑)
~「土下座の効能」~
①土下座は最強の「クリーニングツール」
②「プライド」や「執着」がなくなる
③宇宙に対する「全面降伏」
①土下座は最強の「クリーニングツール」
「土下座」は「和ポノ(ホ・オポノポノ)」でいうところの、「クリーニングツール」です。「土下座」には、そのひとのこれまでの「過ち(罪悪感)」を「浄化する力」があります。
「土下座」をした後は、本当に気持ちが「スッキリ」します。何だか今までの自分の「過ち」全てが「許された」気がして、本当に心が「スッキリ」するのです。
わたしは今回、自ら「土下座したい」気持ちになったので、「無理矢理させられる」のではなく、「自分から(心から)」ということがポイントかもしれません。いずれにせよ、自分は
今まで「感謝」こそすれ、あまり「謝罪」をしてこなかったことに気づきました。沢山周囲に迷惑をかけてきたのに、
「ま、感謝してるからいいだろう」
そんな「奢り(おごり)」がどこかにあったのかもしれません。よく「感謝は大事」といいますが、きちんとした「謝罪」ができて初めて立派な「大人(一人前の人間)」といえるかもしれません。
(そういう意味では、わたしはようやく「大人」の仲間入りを果たせたのかもしれません)
②「プライド」や「執着」がなくなる
わたしは今まで「高すぎるプライド」に苦しめられてきました。もうすっかり白状しますが、「プライド」によって、自分の「傷つきやすい」エゴを
必死で守ろうとしていたのかもしれません。本当に今までの自分が「かっこわるかったな」と思います。「プライド」は「エゴ」の恰好の標的であり、
それは「愛」を遠ざけるもとでもあります。つまらない「プライド」にこだわっているうちは、はたから見れば本当に「恰好悪い」と今では思います。
(第一、「子どもっぽい」ですしね)
別に「プライド」はあってもなくてもいいのですが、「高すぎるプライド」や「邪魔なプライド」は自分の成長の妨げになるだけです。それを「土下座」はものの見事に「手放す」ことができます。
③宇宙に対する「全面降伏」
「土下座」は宇宙に対して「全面降伏」することです。基本的に世の中の人々は、「宇宙」に対して「抗いながら」生活しているかたがほとんです。
「どうして思い通りにならないのだろう」
「なんでわたしばっかり……」
そういう感情は「宇宙」に対して「抗っている」ことであり、宇宙に対して抗えば抗うほど、ますますひとは辛くなります。そこであえて「土下座」をすることで、
「わたしは宇宙に対して全面降伏いたします」
「宇宙」はわたしたち人間のちっぽけな手では、操作などできるはずもありません。「必ず理由」があって、物事は起こります。そのことに抗わず、ただただ起こることに対して、
「ま、そういうこともあるよね」
そういう風に生きるほうが、はるかに楽なのです。そうして「宇宙」に身をゆだねていると、「宇宙」はあなたを思ってもいない「素敵な場所」へ運んでくれるのです。
(よくイスラム教徒のかたが、毎日聖地を向いて祈っている姿がありますが、彼らは「人間の力など大したことがない」と本質的にわかっているのではないでしょうか)
わたしは今まで「宇宙に抗って」生きてきましたが、これからはなるべく「全面降伏」で生きていこうと思います。そちらのほうが圧倒的に「楽」ですし、「宇宙」は「謙虚なかた」の常に「味方」でもあるのです。
「宇宙」の本質は「愛」です。わたしたちの身に起こることは全て「宇宙」からの「愛」であり、それに「抗う」ことは、すなわち「愛を遠ざけている」ことに他なりません。
(それでいて「愛が欲しい」という人間は、
なんて浅ましい存在なのでしょうか)
「宇宙」はわたしたちにいつでも「愛」を贈っています。それをただただ謙虚に「受け取らせていただきます」という「究極の合図」こそ、「土下座の姿」なのです。
いかがだったでしょうか。これが今朝わたしが
人生初の「土下座体験」から得た「気づき」です。
正直、今でも信じられないくらい心が軽く、
「世界が一変した」ような気さえします。もっと早くに
「土下座しとけば良かったなあ」と思えるくらいですが、
それはそれで(恐らく)今のタイミングだったのでしょう。
(懐の深い「宇宙」はピッタリのタイミングで、いつでも
わたしたちに「相応しい出来事」を贈ってくださいますから)
再度書きますが、これまでわたしは「感謝」こそすれ、「謝罪」はあまりしてきませんでした。「土下座」によって、これまでの「過ち」全てを「宇宙」に告白したのかもしれません。
「宇宙さま。これまで愚かなわたしですみませんでした!」
自分ひとりの力など、たかが知れています。「自ら」を放棄して、ただただ「宇宙に身をゆだねる」生きかたこそ、実は
もっとも「効率の良い生きかた」ではないでしょうか。
(今回わたしはようやく「観念」したのかもしれません。
仏教でも似たような「諦観」という言葉がありますよね)
心がスッキリしたいかた、「罪悪感や過去の過ち」を祓いたいかた、「邪魔なプライド」を捨てたいかた、「宇宙」に身を
ゆだねたいかたは、是非自ら「土下座」をしてみてください。
(別に相手がいてもいなくても構いません。そして「自ら」
「心から」というのが、やはり最大のポイントです)
わたしはこれからもことあるごとに「土下座」していこうと
思います。いつでも宇宙に対して「謙虚さ」を忘れないために。
そしてその効能を、これをご覧になられたかたも是非試してみて
ください。もしかすると、今までに経験できなかった、新たな
「気づき」があなたの身に起こるかもしれません。