皇位継承に関しては、これまで通り男系であるべきとか、女系でもよいとか、議論があります。これについて、円通毉療における陰陽と中心帰一の思想・哲学からお話してみたいと思います。

円通毉療では、「生命〔広義〕とは宇宙大自然のミクロからマクロに至る万物万象の"中心帰一"の回転コマ運動をする円・球である」とし、その相似象的集合体が宇宙(大生命)であると考えます。因みに、宇宙とはuni(一つに)verse(回るもの)ですが、そもそもuniverseの語には”中心帰一の回転運動”の意味が読み取れるのです。

これは古くはウロボロスの蛇〔輪〕で表されたものであり、ノーベル賞物理学者グラショーによる現代版のそれが図1です。これは輪円具足とも言われる密教の曼荼羅にも通じると思います。

 

図1 グラショーによるウロボロスの蛇〔輪〕

 

図2 太極円通図

 

そして、この中心帰一の回転コマ運動の基本形が

図2の太極円通図です。一般には太極図と呼ばれる陰陽の回転図ですが、これを中心帰一の回転”コマ”運動と観たのは、前々回のブログでの説明のように、古事記の国生み神話にヒントを得たからです。

天の御柱(あめのみはしら)の周りを伊邪那岐〔いざなぎ〕・男神が左(火足り : 陽)側から、伊邪那美〔いざなみ〕・女神が右(水極 : 陰)側から回って出会ったところで声かけをしたのですが、最初は女神から「良い男ね」と声をかけたら国生みがならず、次にやり直して男神から「良い女だね」声をかけたら国生みが成ったのです。

この声かけやり直しによる微妙な揺れによって、男女の陰陽両神による惹(引)き合いから生じる中心帰一の回転”コマ”運動あるいは揺らぎのある渦状運動が生まれて国生みが成ったのですが、そもそも男神という陽が主で女神という陰が従でないと国生みは成らなかったということです。

これは主従の関係であり陰陽の関係であって、男女不平等とか男女不同権云々の話ではありません。ちょうど神前での柏手を左手を前に右手を少し後ろにして打つようなもので、これが陰陽による立場の違いの関係(左は火足で右は水極)ではあっても不平等や不同権の話ではないのと同じです。

 

国生み神話は、男神の「成り余れるところ」を女神の「成り合わざる」ところに刺し塞ぎて、という神聖なる生殖行為によるものですが、この元初めの夫婦の交わりの行為にも陰陽のありようが読み取れます。男神が能動的・陽で女神が受動的・陰の構図です。

植物学者リンネによる♂♀記号も男女の心身を象徴するもので、男女陰陽の能動性と受動性、硬性と軟性など、生命の根源たる生殖器を中心とする解剖生理学上の特性や、尻尾を回転させながら卵子に向かう精子とそれを待ち受けて受容する卵子をも象徴しているように見えます。

 

要するに、陰陽による中心帰一の回転コマ運動を基本とする宇宙万物万象の成り立ちは、無極にして太極から陽系・男系の初動をもって始まるということです。ポイントは陽主陰従で陰陽が惹(引)き合って中心帰一することです。そこから万物の陰陽調和的創造的回転コマ運動が生まれるわけです。

 

中心とは無極にして太極でいわば原点で、それが陰陽に分かれて中心帰一の回転コマ運動(渦運動)することが大切なのですが、中心帰一とは家系なら産み育ててくれた父母から祖父母そして曾祖父母から先祖代々へと辿ることです。これは陰陽の関係からするとやはり男系で辿るのが中心帰一に適う自然な形なのです。

 

昔から、女が男の家の女になって(嫁いで)嫁になる、家に入った嫁は家内であり奥に居る奥様でもあるのです。家(ウ)に女が居る(ウ+女=安)のが安らかということです。少なくとも日本の伝統的な文化・歴史においては、これが自然な姿ではないかと思われます。日本以外でも、イギリス発祥でアメリカで現在の形となった野球についても、試合は投手の第一球から始まります。投手に対して捕手は女房役といわれ、チームの勝敗は投手には付きますが捕手には付きません。これも投手を陽、捕手を陰とする陰陽関係であって不平等とか不同権の問題ではないのです。

現代の多様性社会ではこのような陰陽の基本的なことがそのまま通用するとは思いませんが、宇宙の摂理たる陰陽の基本は認識しておく必要があると思います。

 

そして、これを国民の中心帰一の存在である皇室に当てはめると、やはり国民の中心帰一の円満円滑な平安・平穏のためには男系の皇位継承があるべき姿といえるでしょう。

日本の皇室の歴史を顧みると、初代の神武天皇から始まってずっと現在の126代天皇に至るまで、10代8人の女性天皇(ただし、すべて父方に天皇の血筋を引く男系)を含めてずっと男系天皇が続いています。

さらに神武天皇をさかのぼると鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、火折尊(ほおりのみこと: 山幸彦)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)と男神・男系が続き、最終的に皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)に行きつくのです。

ただ、皇祖神である天照御大神は一般には女神とされていますが、男系ならば男神ではないかという疑問が生まれるかもしれません。実は男神であるという説もあります。

そもそも天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)は天照大御神と須佐之男命誓約(うけい)で生まれたとされていますが、天照御大神と須佐之男命の関係は姉と弟という関係であり、このあたりの説明には難しいところがあります。

 

私見では、男神である伊邪那岐〔いざなぎ〕の左目(火足りの目:陽の目)から生まれたのが天照御大神で太陽を、右目(水極の目:陰の目)から生まれたのが月読命で月つまり太陰を、中央の鼻から生まれたのが須佐之男命で地球を象徴するものと考えます。これは地球から観た時の太陽と月と地球の関係です。

とすれば、天照御大神は太なる陽であり男神といえるし、ギリシャ神話でも太陽神は男神です。ただ、北欧神話では女神とするところもあります。対して、天と地の関係で太陽と地球の関係を観ると、天の太陽は父(天にまします父)であり、地の地球は母(大地の母)と位置付けられます。ということは一般的な捉え方とは異なって、天照御大神が男神であり須佐之男命が女神ともいえるのです。

 

実は、そもそも男の中にも女の要素が、女の中にも男の要素があります。大本教では女である出口なおは変性男子(へんじゃうなんし)で女体男霊であり、男である出口王仁三郎は変性女子(へんじゃうにょし)で男体女霊とされていました(霊界物語第十六巻)。確かに写真を観るとなおには男性らしさ、王仁三郎には女性らしさが感じ取れます。また、歌舞伎で男性が女性を演じたり、宝塚歌劇で女性が男性を演じたりするのも、男女の微妙な陰陽関係の表れなのかもしれません。

 

陰陽の根幹である『易経』においても、離火(りか)の中に

陰卦があり、坎水(かんすい)の中に陽卦があります。図2の太極円通図でも、陽の勾玉の中に陰の●があり、陰の勾玉の中に陽の〇があるのです。

そこて私なりの捉え方ですが、陰陽の詳細はさておき、とりあえず太陽系では太陽が中心なので天(あま)を照らす太陽を象徴する天照御大神を無極・太極と位置づけ、そこから天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)と栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、次いで瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)・・・と現在までずっと男系主体の陰陽関係で続いてきているということです。

 

ということで、皇位継承についての私なりの結論は男系継承が摂理に適うものと考えます。男系の流れの中で女性天皇はあり得ますが、女系天皇はあり得ないのです。

現在、皇位継承は男系か女系か、男性天皇か女性天皇かの是非についてマスコミが国民にアンケートを取ったり、有識者によって議論されたりしますが、陰陽の観点からの議論はほぼ皆無です。実はとても大切なことではないかと思われるのにです。

 

ついでながら、皇位継承問題だけでなく、現代(戦後教育以降)は陰陽論的発想がほぼ欠落してしまっています。艱難汝を玉にす、ピンチがチャンス、苦難は幸福の門、徳を積めば福がくる、人を助けてわが身助かる、義務があっての権利、夜があるから昼がある、息を吐くから息を吸う(呼吸)、与えよさらば与えられん等々、図2のように自分にとって陰(出すこと)があってこそ陽(入ること)があるという陰陽の関係(陽陰の関係ではなく)をこれからの社会は再認識すべきではないかと考えます。