前回のお話で、感性を象徴する生命の木と知性を象徴する知恵の木の一円融合が大切であると述べました。
これは、天と地、円と方〔◯と⬜︎〕、真我と自我、宗教と科学の一円融合にも通じます。
では、どうすればそれが可能になるのか、その方法を今回は述べたいと思います。
まず、地上生活では知性的科学的アプローチは必要不可欠です。取り敢えず、これに真面目に取り組んでいきます。
それで順調に進んでいけばそれで良いのですが、もし行き詰まった時にどうするかです。
その時は知性的科学的アプローチのスイッチを一旦切ります。そして頭が空っぽになれると自動的に感性が働くようになり、有益なアイデアが湧いて来るようになります。
そのスイッチの切り方ですが、とにかく知性的科学的アプローチに行き詰まるくらいに没頭〔頭つまり知性を没する〕することだと思います。すると、自ずとスイッチが切れてアイデアが湧いてくるのです。
その良い例に、ベンゼン環の構造を突き止めたドイツの化学者ケクレや、中間子理論を確立した湯川秀樹博士などがあります。何れもあれこれ考え抜いた末に夢の中で〔知性のスイッチが切れて〕ヒントを得たとされます。感性が自ずと湧き出たのです。
エジソンが「99%の汗と1%の霊感」と言ったのも同じ原理だと思います。
これらは科学における発見や発明ですが、宗教的な智慧〔知恵ではありません〕とか悟りも、坐禪や護摩行や滝行によって否応なしに知性のスイッチが切れることがきっかけになると考えられます。
また、ケクレや湯川さんやエジソンのような偉人でなくとも、坐禪や護摩行や滝行のようなものでなくても、日常生活のなかで誰もが実践できる方法があります。
それが、念仏や題目や真言等々の呪文です。
般若心経に故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等々呪 "能除一切苦"〔悟りに至る智慧が呪文であることを知れば"一切の苦をよく除くことができる"〕とあるように、呪文が智慧である〔呪文に没頭すると自我が無になり空になるので、知恵が消滅する代わりに智慧が自ずと湧いてくる〕ということです。
これは般若心経の呪文に限りません。空海さんは虚空蔵菩薩真言を百万遍唱えて悟られたとされますし、法然さんはとにかく念仏を唱えることが何より大切で、難しい教理も念仏を唱えるうちに悟れてくるものだと遺言書代わりの一枚起請文に書かれています。
また、昔、妙好人と言われる方々がおられました。特別に仏教の教学を学ぶわけでもなく、只々、念仏を唱えながら悟りの境地に近づかれた方々を言うのですが、妙好人も感性と知性が一円融合して悟りの智慧を得たと見ることができます。
念仏踊りに由来する阿波踊りも「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」と言われますが、踊って阿呆になりましょう〔知性・知恵を捨てましょう〕、そうすれば阿弥陀仏と一体になれますよ〔感性・智慧が授かりますよ〕ということだと思います。
ただ、ここで大切なことは、神仏の親心に波長を合わせることだと思います。神仏からみた子供たちつまり私たち皆んなが幸せになって欲しいのが神仏の親心なので、「我も人〔他人〕も共に幸せになれるように」の親心にフォーカスしながら念仏なり題目なりを絶えず唱えるようにしていれば、所謂お陰的なことがよく起きるようになります。実際に数々の実例があります。
最後に、親鸞聖人の現世利益和讃十五節のなかの一節をご紹介しておきます。
南無阿弥陀仏をとなふれば  十方無量の諸仏は 百重千重に囲繞して よろこびまもりたまふなり
これは本当のことであり、心包三焦を活用した筋力反射テストで体感できます。