リビドーの昇華の源である性と精・氣・神

リビドーとは精神分析の用語で、人間に生得的に備わっている衝動の原動力となる本能エネルギーのことを言います。フロイトは性本能とし、ユングは広くすべての行動の根底にある心的エネルギーとします。私見では、性本能は「生(なま)の(こころ)の本来の能力」、心的エネルギーは生(なま)の(こころ)のエネルギーととらえるとわかりやすいのではと思います。性という生(なま)の心であり愛であり、人間の行動・活動の根源的エネルギーであると考えます。

さらに、人間や動物・植物では男女・雌雄の性ですが、男女・雌雄を陰陽とすると、前回取りあげたグラショウのウロボロスの環(蛇)に示される如く、ミクロは素粒子からマクロは銀河そしてグレートウォールまでの宇宙の万物万象における陰陽の引き合いによる回転コマ運動を生じる性そして愛という根源のエネルギーであり波動であると考えます。宇宙大自然の万物万象は生(なま)の心と愛のエネルギーを波動として持っており、それ故に必然的に人間は万物万象と対話ができるのです。

このリビドーを考える際に重要なことは“昇華”です。昇華というのはこれも精神分析学の用語で、根源的な性エネルギーが性目的とは異なる学問・芸術・宗教などの活動に置換されることです。学生時代に、ノーベル物理学賞を日本人で初めて受賞された湯川秀樹先生がテレビで昇華(サブリメーションという訳語も使って)の大切さを強調されていたのを聞いて以来,ずっと自身の心に定着しています。

最近では、生の心である性と愛のエネルギーを、我も人も含めた社会全体の幸福と繁栄のために使うこと、つまり神仏の親心に適うように使うことが昇華であると思うようになりました。それが大いなる愛であり大いなる楽つまり大楽であり、『大楽金剛不空真実三摩耶経(たいらきんこうふこうしんじさんまやけい)』つまり真言宗の常用経典である理趣経の心につながり、そのプロセスを『十住心論』が説いているのだと思うようになりました。

ところで、リビドーあるいは性・愛のエネルギーをわかりやすく表現すると精になります。精一杯、精魂込めて、精力的、精力絶倫、精神等というときの精で、東洋学では図1天人相応太極円通図の腎(下丹田)に蔵されています。実は、精=性でもあるわけで、精一杯は性一杯に通じるのです。

ここで、精(せい)・氣(き)・神(しん)について説明しておきます。五臓六腑そして五行との関係では、精は腎(じん)で水が、氣は脾(ひ)で土が、神は心(しん)で火が関係します。脾は卑が下にあって卑しい土のことで、万物が土に還って「消」え、そこから万物が土から「化」して生みだされるわけで、つまり脾とは「消化」の働きをする消化器系のことだと考えていただけれぱと思います。

 

1 天人相応太極円通図

精は青い米ですが、これが成熟すると氣になります。腎の「先天の精」に、飲食によって脾で補われる「後天的の精」が加わって氣が生成されます。そしてこの氣が充実すると心(しん)の神(しん)が充実するのです。神は心が関係するもので、火の明るさで象徴される意識・思惟活動のことで失神の神です。

 五臓のなかで、腎の精が充実すれば脾の氣が充実し、氣が充実すれば心の神が充実するという関係ですが、この精・氣・神の関係を知っておくことが大切です。精神という言葉もこの精・氣・神の関係の中から生まれた言葉です。

加齢や心身の過労の積み重ね等で精が消耗し、氣が虚し、神も衰えると認知症になるわけで、精・氣を鍛えることが神を活性化し認知症の予防・治療に役立つのです。認知症の予防には精・氣・神の関係の理解が不可欠であり、そのためには精の元である性・愛の正しい認識と管理が不可欠なのです。それを抜きに脳内の物質的変化を論じても不十分ないし無意味だと思います。

 また、図1では、精は下丹田にありますが、ここは坐禪のさいに手を組むところです。適切な呼吸と禁欲そして精進料理等でここの精が充実すると上丹田の神が安定するだけでなく、直感的・霊的な能力が開発されて真我が現れやすくなるのです。十住心論での階層のレベルアップが起きてくるのです。

つづく

 

 

 

 

 

 

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