生命を生む性への崇拝

性が聖なるものであることは、そもそも性が国生み・万物生みがイザナギ・イザナミの陰陽男女神の性(生の心)と愛の交わりに始まることからも容易に納得できることは「その1」で述べました。

一般社会では生命の大切さは常識です。1977年の日航ハイジャック事件の時に当時の福田首相が「人の生命は地球より重い」と発言したり、敗戦直後の新憲法のもとで死刑廃止の是非が争点となった最高裁判決の冒頭にも「一人の生命は全地球よりも重い」とありました。人を殺めた犯罪人に対してさえ死刑はご法度と言われるくらいです。

生命の尊厳という表現もあり、仏教では不殺生は神聖なものとされますが、そんな人の生命を生み出すのが実は性なのです。結婚や出産に際しておめでとうと祝福され、出産後の母親や赤ちゃんには神々しさが漂いますが、これも性が前提です。

にもかかわらず世間では、性と言えば“下品”とか“汚らわしい”等とされることがあっても、性が聖なるものという認識はほとんどありません。性教育においても、性が聖なるものと教えているところはふつう見当たりません。考えてみれば不思議なことですが、なぜでしょう。

一般社会において不倫や性暴力など性にまつわる問題が少なくないこと、だからこそ神聖さを求める宗教では性に対する罪悪視があって、禁欲が美徳とされたりするため、性とは扱いにくく厄介で悪いものという意識が定着してきたのかもしれません。

しかし一方で、旧約聖書の創世記には、神はノアとその息子たちに「産めよ 増えよ 地に満てよ 地に満ちて地を従わせよ」と言っています。性の肯定であり奨励です。

神道では国生み神話もそうですが、表1のように、そもそも神社というのは女性の生殖器が原型になっているとする見方を若い頃に教わったことがあります。ただ、あまり大っぴらには話題にしにくいし、書物に書いてあるわけでもなかったので、そういうものかもと思いながら最近まであまり深く考えませんでした。でも、このところ理趣経を勉強するうちに改めて考えようとなり、いま校正中ですが自著には掲載することにしました。

参道は産道で奥にお宮があるように子を宿す子宮があります。結婚した女性が“奥さん”とか“おかみ(御上、御神、女将)さん”と呼ばれる所以です。私見ですが、子とは了(おわり)と一(はじめ)ですが、これは聖書にも神が「われはアルファ(はじめ)でありオメガ(おわり)である」とあるように神のことです。女性は、子という神を宿す子宮というお宮を奥に持つ聖なる存在なのです。

1 神社は女性の体が原型

  森   アンダーヘア

  鳥居  外陰部

  参道  産道

  お宮  子宮 (子=神が宿る)

お宮を子宮とすると、西宮神社の十日えびす開門神事福男選びで多くの男性が本殿へ走り参りの競争をする光景は精子が子宮に向かって走る姿に重なります。 

また、夫婦円満や縁結びで知られる島根県松江市の八重垣神社境内の山神神社では、図1のように狛犬の代わりに男性器が置かれています。そもそも注連縄は蛇の交尾の姿とする吉野啓子氏の学説もあります。他にも、図2のように女性器を象った木の根の祠(ほこら)に男性器が建てられているところもあります。奈良の飛鳥坐神社の「おんだ祭」では、衆人環視のなか天狗とお多福の抱腹絶倒の子作り行為が演じられます。

図1 境内の山神神社 狛犬代わりに男性器    

  

           

図2 女性器の祠の中の男性器 

   

     

性が聖なるものである光景はお寺でも見られます。徳島県には、お花大権現と呼ばれる阿波西国十番札所・真言宗御室派宝光院・林下寺がありますが、境内に多くの男性器が置かれ、性の悩みの解決・縁結び・子授・安産・夫婦和合等の御利益があるとされます。静岡県下田市の日蓮宗・了仙寺には男女の性器を象ったお守りがあり、京都市伏見区の真言宗醍醐派・長建寺には女性器を象った本尊弁財天開運お守りがあり、子孫繁栄・健康長寿(特に婦人病予防)・財運等の御利益があるとされます。山口県長門市の麻羅観音では観音の祠の周りにたくさんの男性器の石像が立ち並び、子孫繁栄・精力増強・良縁・恋愛成就・夫婦円満等の御利益が謳われています。

以上は日本でのことですが、外国においても同様です。アンコール・ワット等で有名なアンコール遺跡には、ヒンズー教の象徴である“リンガとヨニ”が寺院の中央に据えられていますが、それはシバ神の象徴であるリンガ(男性器)とその妃ドゥルガー女神の象徴であるヨニ(女性器)が結合したもので、繁栄・発展・平和・不死等を意味します。図3です。

図3 リンガとヨニ

 

ヒンズー教社会で最高に華やかな儀式が王の即位の際の灌頂で、聖水を王の頭に注ぐことですが、その聖水はリンガの先端から注がれた清らかな水がリンガを伝わりヨニに流れ、北向きに掘られた溝に流されて集められたものです。

タオ(道・道教)については、『老子』の第6章に「谷神不死。是謂“玄牝(げんぴん)”。“玄牝之門(げんぴんのもん)”、是謂天地根(谷神は不死である。これを“根源的女性”と謂う。玄は深淵・根源の意味、牝は女性のことで、その“根源的女性の門”すなわち女性器は天地万物を生み出す根である)」との記載があり、性が『老子』の最重要ポイントの一つに位置づけられていることがわかります。

このように、日本でも外国でも性が聖なるものとして普遍的に性器崇拝が見られるということです。                                         

つづく