この言葉も、学生時代にお師匠さんから

教えていただいた言葉です。

神の御心とは如何なるものか?
それは親の心だということです。

では、親の心とは如何なるものか?

それは、子供たち''みんなが”.”真に幸せに

なる”ことであるはずです。

出来が良かろうが悪かろうが、依怙贔屓

(えこひいき)なく、皆が成長して真に(霊・

心・体共に)幸せになってくれるようにと願う

はずです。

親は真に子供のためになるのなら、どんな

ことでも出来るし、どんな恥でもかけるとも

言われます。

このような親心が、すなわち神の御心なの

です。

私たちは誰もが真に幸せになりたいと思う

はずです。

そのためにはもちろん自助努力が何より大切

なのですが、「神は自ら助く者を助く」の言葉

どおり、自助努力する時に神の助力が働くこと

に気づくことがとても大切だと思います。

このあたりの神と私たち子供の関係を歌って

いる一例が、讃美歌291番「主に任せよ」です。

1. 主に任せよ 汝(な)が身を
主は喜び 助けまさん
忍びて 春を待て
雪は融けて 花は咲かん
嵐にも 闇にも
ただ任せよ 汝が身を

2. 主に任せよ 汝が身を
主は喜び 助けまさん
悩みは 強くとも
御恵みには 勝つを得じ
真(まこと)なる 主の手に
ただ任せよ 汝が身を

神の御心すなわち親心に想いを馳せつつ、

我も他人(ひと)も共に幸せになれるよう、

なかなか十分とはいかないまでも、置かれた

立場で真心を込めて自分なりに努力する。

そして、後は神にお任せする。

正に「人事を尽くして天命を待つ」ですが、それ

が神の御心に適う生き方だと思います。

そんな神の御心に適うことを実践しようとする私

たち子供に対して、親なる神が放っておくはずが

ありません。

これは、自分が親の立場になれば必ず分かる

ことだと思います。

最近、NHKの番組で、「ファミリーヒストリー」と

いうのがありますが、両親や祖父母さらに先祖

の心に触れて、そのありがたさに涙する場面が

毎回のように見られます。

この親や先祖の心に想いを馳せてずっと何代も

何代も遡っていくと、最終的には神にたどりつき

ます。神は上(かみ)でもあるので、先祖をずっと

たどっていくと大元の神に至るわけです。

天理教や金光教などでは親神様と呼ばれています。

神の御心の理解には、ファミリーヒストリーを観て

感じる親心、遠津御祖(とおつみおや)の親心を

感じてみるのも良いかも知れません。

こういう親を含めた先祖の心に想いをめぐらすと

自ずと感謝の気持ちが湧いてきます。

これが先祖崇拝や祭祀ということになるわけですが、

このような心を皆んなが持つようになるとどうなるか?

誰もが何代も何代もの先祖をたどっていくと、みんな

がやがて同じ親神様つまり神にたどりつくのです。

すると、国や宗教の違いを問わず、みんなが実は兄弟

姉妹であることに必然的に気づくようになるはずです。

昔、テレビのCMで、笹川良一さんが、「人類みな兄弟」

と仰ってましたが、これは本当なのです。

ある友人が以前、「宗教は人を殺すが、祭祀は人を生か

す」と言ってましたが、それはある意味で本当です。

宗教には教えがあり、それは当然ながら言葉が使われ

ますが、その言葉が実は曲者(くせもの)なのです。

時代により地域により方便によって表現が違ってくるの

は仕方がないことです。

ところが、往往にして背景を考えずに言葉にとらわれ、

自分たちだけが絶対正しいと相手を認めず、果ては

宗教間争いやテロ行為等に走ってしまうことにもなる

のだろうと思います。

私たちが、神に通じて感応道交(かんのうどうきょう)する

には、呪文による言霊効果に加えて、絶えず神の親心に

想いを馳せて親心に波長を合わせることがポイントになる

と思います。

そして、これは、身体的・精神的・社会的そして霊的に健全

な真の健康に結びつくことになるはずです。