「ローレッタ嬢」

マイケルが声をかけた相手は、テリィの妹だった。

ローレッタが振り向く。マイケルは丁寧に手を差し出した。

「よろしければ、一曲お相手願えますか?」

ローレッタの顔が明るくなった。

「はい。喜んで」

その手を取り、二人がフロアへ向かっていく。イライザは、また動きを止めた。

――別にいいわ。

自分から男を追いかける必要などない。そもそも、どうして自分から行かなければならないのだ。

誘いたければ、向こうから来ればいい。そう思い直し、何事もなかったような顔で場所を移ろうとしたそのとき。

「わっ」「きゃっ!」

誰かと肩がぶつかった。バランスを崩す。ドレスの裾に足が絡み、踏ん張ることもできなかった。

次の瞬間イライザは床へ尻もちをついていた。

「いったぁ……!」

「す、すみません!」

若い男が真っ青になって駆け寄った。

「大丈夫ですか!」

イライザが睨み上げる。

「大丈夫に見える?」

「……見えません!」

「だったら聞かないで!」

「すみません!」

青年は慌てて手を差し出した。イライザはその顔を見たが知らない男だった。

舞台で見たことがあるような気もするが、どんな役だったかまったく思い出せない。

「あなた、誰?劇団の人?」

青年は背筋を伸ばした。

「あ、はい。端役ばかりなんですけど」

やっぱり。

よりによって、ヴィクターにもケビンにもマイケルにも縁がなく、最後に自分の前へ現れたのが名前も知らない俳優。

今日は一体何なのだ。

「本当にすみません。怪我はありませんか?」

「大丈夫よ」

イライザは差し出された手を取って立ち上がった。

周囲から何人かがこちらを見ている。これ以上騒ぐのもみっともない。ドレスを整え、何事もなかったように顔を上げた。

「よかった……」

青年は心底安心したようだった。それでも申し訳なさそうな顔をしている。

「あの……お詫びと言っては何ですけど」

嫌な予感がした。青年が、おずおずと手を差し出した。

「一曲、踊っていただけませんか?」

「……は?」

どうしてぶつかったお詫びがダンスになるのだ。

断ろうとした。けれど周囲にはまだ人がいる。ここで若い俳優を冷たくあしらえば、また何を言われるか分からない。何より、ヴィクターがどこかで見ているかもしれない。

イライザは一瞬で考えを巡らせ、笑顔を作った。

「……仕方ありませんわね」

青年の顔がぱっと明るくなる。

「ありがとうございます!」

その喜び方が、少し気に入らない。

二人はフロアへ出た。楽団の曲に合わせ、青年が緊張した顔でイライザの手を取り一歩踏み出ると……

「痛っ!」

「す、すみません!」

イライザの靴を見事に踏んだ。青年は真っ青になる。

「最初だけです!」

「何が?」

「次は大丈夫です!」

二歩目。

「痛い!」

「すみません!」

「ちょっと!」

「ご、ごめんなさい!」

三歩目。

「痛っ!」

イライザはとうとう足を止めた。

「あなた!」

「はい!」

「ダンスをしたことがありますの?」

「あります!」

「本当に?」

「二回くらい!」

「それは『ある』とは言わないのよ!」

少し離れたところで、アーチーがその光景に気づいた。踊っていた足がわずかに止まる。

「……アニー。あそこ」

アニーがアーチーの視線を追った。そして、見つけた。イライザの足がまた踏まれる。

アニーは慌てて口元を押さえた。

「アーチー、笑っちゃ駄目よ」

「僕、何も言ってないよ」

「顔が笑ってるわ」

「気のせいだよ」

アニーまで笑いを堪えるのに苦労していた。

一方、青年は必死だった。

「右ですよね」

「そうよ。 そっちは左!」

「すみません!」

「足元ばかり見ないで!」

「でも踏まないようにしないと」

「見てるから踏むのよ!」

「なるほど!」

「感心してないで!」

イライザの声が少しずつ大きくなる。それでも青年は真剣そのものだった。やがて、申し訳なさそうに言った。

「僕、こういうところ、初めてなんです」

「見れば分かるわ」

「今日も、テリュースさんが若い連中も来いって声をかけてくださって、それで来られたんです」

イライザが少しだけ青年を見る。

「こんな立派な披露宴に来られただけでもすごいのに……」

青年は照れたように笑った。

「あなたみたいな綺麗な方と踊れるなんて、一生ないと思います」

イライザは黙った。あまりにも真っ直ぐな瞳。取り入ろうとしているようにも見えない。

自分が誰なのかも、おそらくよく知らないのだろう。ただ本当に、そう思ったから言ったらしい。

「……そう」

ほんの少しだけ声がやわらかくなった。青年がうれしそうに笑う。そして次の瞬間。

「痛い!」

「すみません!」

一瞬で元に戻った。

「右!」

「え?」

「次は右でしょう!」

「はい!」

「違う! あなたの右!」

「こっち?」

「それは私の右!」

「すみません!」

「もう!」

いつの間にか、イライザが青年にダンスを教えていた。