宴会場からテラスへ出ると、三月の午後の空気は少し冷たく、火照った頬に心地よかった。
室内では楽団が再び演奏を始めている。扉一枚を隔てただけなのに、笑い声も音楽もここでは少し遠く、ガラス越しの灯りだけが華やかな披露宴の続きを伝えていた。
「少し寒いわね」
パティが肩をすくめた。
三人がテラスへ出てきたのは、ほんの少し風に当たりたかっただけだった。アーチーも二人についてきて、手すりのそばに立っている。
しばらくすると、パティが我慢できなくなったように笑った。
「ねえ。さっきのあれ、そうよね?」
「テリィの即興芝居?」
「そう。あの待ち人、キャンディだよね?」
アーチーの表情がほんのわずかに動いた。
アニーも、やっぱり、というように笑った。
「私もそう思ったわ」
「でしょう?」
パティは楽しそうに身を乗り出した。
「最初に丘を登るような歩き方をしたときは分からなかったの。でも木にもたれて、煙草を出して……結局吸わなかったでしょう? あそこで、もしかしてって」
「私も、学院にいた頃の二人じゃないかって思った」
「それに、キャンディの顔見た?」
「見たわ」
二人が顔を見合わせて笑う。
「真っ赤だったわ」
「絶対、気づいてたわよね」
「テリィもキャンディが気づいたって分かってたみたい。席へ戻ったとき、キャンディを見て笑ってたもの」
アーチーはそんな二人の話を黙って聞いていた。
やがて、ぽつりと言う。
「……僕たちの知らないところで、あんなふうに会ってたんだな」
パティとアニーが振り向いた。
「いや。なんだか不思議だと思ってさ」
アーチーは少し笑った。
「僕たちの知らない二人の時間がちゃんとあったんだなって」
もう、その笑顔に昔の痛みはなかった。
アニーが静かに言った。
「私ね、キャンディにはテリィなんだって、学院にいた頃から何となく思ってた」
「私も」
パティが同意する。
「でも、それ以上に……テリィにはキャンディなんだって思ってた」
アニーは遠い記憶を辿るように、少し目を細めた。
「私たち、最初はテリィのことを誤解してたでしょう? 貴族の息子だからわがままで、何でも好き勝手にする人なんだって」
「僕もそう思ってたよ」
アーチーが言った。
「でもキャンディだけは違ったのよね……私たちがテリィの態度ばかり見ていた頃から、キャンディはその奥を見てた。どうして人を遠ざけるのか、どうしてあれほど反抗するのか」
パティがゆっくり頷いた。
「私たちがテリィを見る目が変わったのも、キャンディがいたからだったと思う。キャンディがテリィを好きということは、私たちが知らないテリィがいるんじゃないかって」
少しの沈黙のあと、パティが微笑んだ。
「でも、テリィがキャンディを好きになったのも分かる気がするわ」
アニーが頷いた。
「キャンディって、相手が誰でも変わらないでしょう? お金があってもなくても、偉い人でもそうじゃなくても。困っている人がいたら、その人が誰なのかなんて考える前に手を差し伸べる」
「後先を考えないところなんて、昔から変わらないけどね」
アニーが言うと、二人が笑った。
やがてその表情が少し変わった。
「それにキャンディは、自分が孤児だってことを隠したことがなかった」
アーチーがそっと妻を見る。
「私は……それが羨ましかったわ」
「アニー……」
「私がブライトン家の養女になってから、孤児だったって知られるのが怖かった。今までと同じように見てもらえなくなるんじゃないかって。それで……キャンディを突き放したこともあった」
遠い昔のことだったが、それでも思い出せば、胸の奥が少し痛む。
アーチーはそっとアニーの肩を抱いた。
「それは君にはどうしようもなかったことだよ。子どもだったんだ。新しい家族を失いたくなかったし、怖かったんだろ?」
パティも静かに頷いた。
「私もアニーの気持ちは分かるわ。キャンディみたいにできる人の方が、きっと少ないもの」
アニーは小さく笑った。
「それにキャンディは、自分が持っていないものを数えるより、自分にできることを探して、いつも前を向いてた」
「ええ」
「きっとテリィは、そんなキャンディを好きになったんだと思う」
三人は少しの間、黙っていた。やがてアニーが続ける。
「でもね。今思えば、二人はただお互いを好きになっただけじゃなかったのよね」
「どういうこと?」
「出会ったことで、生き方まで変わったの」
アニーはアーチーを見た。
「キャンディを学院に残すために、テリィは自分が学院を去ったでしょう?」
アーチーが頷く。家を離れ、学院を去り、テリィは一人でアメリカへ渡った。
「そのことを知ったキャンディも、ただテリィを追いかけたんじゃなかった。自分もテリィの隣に立てるような人になりたいって、自分の道を探した……」
アニーは懐かしそうに笑った。
「お互いアメリカにいることがわかって、本当はすぐにでも会いたかったと思う。でも、テリィが頑張ってるから私も頑張るって。手紙のやり取りだけでもうれしいって」
「ずっと離れていたのにね」
「うん。離れていても、お互いが相手を前へ進ませてたのよ」
その言葉を聞いて、アーチーはしばらく黙っていた。やがて、何かに気づいたように静かに言った。
「……ずっと二人で生きてきたようなものなのかもしれないな」
「え?」
アニーが夫を見る。
「一緒にいなかった時間の方が長いのに、その間に選んだ道にも、互いがいた」
パティもアーチーを見る。
「テリィが学院を出てアメリカへ来たことも、キャンディが看護婦になったことも。二人とも自分で選んだ人生だけど、そのきっかけを辿っていけば、互いに行き着く。だから、離れていた時間も、二人にとっては何もなかった時間じゃないんだと思う」
その言葉に、アニーの表情がゆっくりとやわらいだ。
「そうね……」
小さく頷く。
「会えなくても、相手からもらったものを持って生きていたのね」
パティがぽつりと言った。
「だから、ほかの人じゃ駄目だったのね」
三月の風が、三人の間を通り抜けた。
アニーは静かに続けた。
「若い頃の恋を忘れられなかったんじゃなくて、若い頃に、本当に愛する人と出会ってしまったのよ」
「それが、ずっと変わらなかったのね」
「うん」
するとアーチーが言った。
「もう、その人と出会う前の人生には戻れなかったんだと思う」
アニーとパティが彼を見る。
「相手と出会ったことで選んだ道を、そのあとずっと歩いてきたんだから」
アニーはその言葉を聞き、しばらく黙っていた。
そして、小さく呟く。
「だから……ずっと二人で生きてきたようなもの、なのね」
「そういうことなんだと思う」
アーチーが答えた。
三人はしばらく何も言わなかった。
十年以上という時間が、その沈黙の中を静かに通り過ぎていくようだった。けれど、その道は決して平坦ではなかった。
学院を離れたあと、二人にはあまりにも多くのことがあった。
一度は離れ、それぞれ別の場所で生きて。
ようやく会えたと思ったときには、また別れなければならなかった。