「あれは、メイフェスティバルだったな」
「うん」
どこからか聞こえてきた音楽、人目のない場所。
まだ互いに、好きだという言葉さえ交わしていなかった頃。
あの頃も、こうしてテリィの手が自分を導いた。
キャンディが懐かしそうに笑う。
「もうずいぶんと昔のことなのね」
「そうだな」
キャンディが思い出してクスクス笑う。
「あのときのテリィ、ひどかった」
「心外だな。俺はダンスは得意なほうだ」
「そのことじゃないわ。覚えてないの?」
「何を」
「私がアンソニーと踊った曲だって言ったら――」
そこまで言って、キャンディが口をつぐんだ。
テリィは覚えていた。もちろん、忘れるはずがない。
あの頃、自分はすでにキャンディが好きだった。
それを自分でも分かっていた。
だから、もうこの世にいない少年の名前にさえ嫉妬した。
キャンディの中に、自分ではない誰かがいることが嫌だったから。
自分を見てほしかった。自分だけを見てほしかった。
そして――。
「突然キスしてきたこと、覚えてない?」
キャンディが小声で言った。
「……したな」
「本当にびっくりしたんだから」
「俺だって若かったんだよ」
「そういう問題?」
テリィは軽く眉を上げて笑った。
けれど次の瞬間、その笑みがほんの少し変わった。
あの頃、嫉妬したのは自分だった。
キャンディの心の中にいたアンソニーに。
もうこの世にいない相手にさえ、キャンディの心を取られているような気がして腹が立った。
そして今日、初めて知った。
キャンディにも、同じような気持ちがあったことを。
エヴリンが美しいから、と。
自分と同じ舞台に立っているから、と。
毎晩、自分のジュリエットだったから、と。
そして何より――。
自分と同じように、表面ではないところまで見て、好きになった女性だったからと。
だから怖かったのだと。
自分ではない誰かへ、テリィの心が向くことが怖かったのだと。
それはあの頃の自分と同じだ。
そう思った途端、何だか可笑しくなった。
「何?」
キャンディが怪訝そうに見上げる。
「いや」
「何よ」
「別に」
「絶対、何か考えてる」
テリィは少し迷ってから言った。
「……きみも同じだったんだなと思って」
キャンディの表情が止まった。
「え?」
テリィはそれ以上言わなかった。
言えば、自分がどこからあの会話を聞いていたのかまで分かってしまう。
キャンディはじっとテリィを見た。
「……何が同じなの?」
「さあな」
「テリィ」
「ほら、足」
「え?」
「次、そっち」
「あっ」
慌てて足を運ぶ。
「踏んだらごめんね」
「いいよ。それも思い出だから」
「そんな思い出はいらないわよ」
テリィの手がキャンディの腰を支える。
次第にキャンディの動きから硬さが消えていった。
「思い出してきた」
「だろ?」
「テリィより上手になるかも」
「それはない」
「分からないじゃない」
「分かる」
「もう」
キャンディが笑った。テリィも笑う。
学院で踊ったあの日。
あのときは、キャンディの心に残る少年に嫉妬していた。
それから長い時間が過ぎた。
今、腕の中にいるキャンディは、自分がほかの女性を好きになることを怖がっていたのだと知った。
曲に合わせて身体の向きを変えると、キャンディのドレスの裾が柔らかく揺れた。
その向こうで、招待客たちが二人を見守っている。
やがて一組、また一組と、フロアへ出てきた。
けれどテリィはそちらを見なかった。
腕の中のキャンディだけを見ている。
「……テリィ?」
「何だ?」
「私の顔に何か付いてるって思われちゃうわ。さっきからずっと見てるから」
とぼけて言いながらも、キャンディは恥ずかしそうだった。
「いいんだよ。そういう日だ、誰も揶揄ったりしない」
「まあ……それもそうね」
いつもの笑顔になったキャンディを見て、テリィはその手を少しだけ強く握った。
キャンディも握り返す。
あの日、人目のない場所で二人きりで踊った少年と少女は、長い年月を越えて、今度は大勢の祝福の中で踊っている。
けれど今はもう、互いの心がどこにあるのかを、怖がる必要のない場所まで来ていた。