ヴィクターはグラスをテーブルへ置いた。
「ただ、妙ですね」
「何がです?」
「あなたの話を聞けば聞くほど、俺は花嫁に興味が湧いてくる」
イライザの笑顔が止まった。
「……え?」
「孤児院で育って、まったく違う世界の名家へ入った。そこで生きていくのは、子供には相当大変だったでしょうね」
「それは……」
「それでも看護婦になった?……」
「ええ、まあ……」
「自分で仕事を選んで、人の命に関わる仕事をしている」
ヴィクターは会場の向こうを見る。そこには、招待客と笑いながら話しているキャンディがいた。
イライザの顔から少しずつ笑みが消えていく。
ヴィクターが続けた。
「それに、テリュースが何年も忘れられなかった女性だ」
「でも、それは――」
「俺はテリュースをそれなりに長く知っています」
ヴィクターの声は穏やかだった。
「あの男が結婚すると決めた女性なんだから、どんな人なのか興味があった」
ヴィクターはイライザを見る。
「それで親戚席にいたあなたに聞いてみたんです」
ようやくイライザにも分かり始めた、ヴィクターが自分へ声をかけた理由。
最初から、自分ではなかった。キャンディだったのだ。それでも引き下がれない。
「でも、あなたは昔のキャンディをご存じないでしょう?」
ヴィクターはあっさり認めた。
「もちろん、知りません」
「だったら――」
「俺は、人を見る目には結構自信があるんです」
ヴィクターは少し考えるようにキャンディの方を見ると、口元を上げた。
「特に女性を見る目にはね」
一瞬、イライザの胸が跳ねた。けれど、続いた言葉は期待したものではなかった。
「今日初めて会ったけど、あの花嫁は“いい女”ですよ」
イライザの顔が強張った。
「あなた、キャンディのことを何も知らないからそんなことを――」
「そうかもしれない」
ヴィクターは否定しなかった。
「でもね、ラガンさん」
先ほどまでより、ほんの少し声が低くなる。
「人の値打ちを知りたいとき、その人の悪口を聞くより、その人を悪く言っている人を見た方が、早いこともある」
イライザの顔から、完全に笑みが消えた。
「それ、どういう意味ですの?」
「そのままの意味です」
「私が嘘を言っているとでも?」
ヴィクターは首を横に振った。
「いいえ。むしろ、本当のことを話してくれたんでしょう」
「だったら――」
「だからよく分かりました」
ヴィクターは立ち上がった。イライザも反射的に顔を上げる。
ヴィクターは少し考えた。それから、いつもの人好きのする笑みを浮かべた。
「花嫁のことも。あなたのことも」
イライザの顔が赤くなった。
「ちょっと――」
「お話、ありがとうございました」
ヴィクターは軽く頭を下げると、そのまま歩き出した。
「待って!」
ヴィクターは振り向かなかった。イライザはその背中を呆然と見送った。
(何なの。何なのよ。向こうから声をかけてきたくせに。新しいグラスまで持ってきて、自分を席へ誘ったくせに。それなのに)
「おや」
聞きたくない声がした。
イライザがゆっくり振り返るとアーチーが近くに立っていた。
「ずいぶん長く話してたじゃないか」
「……何よ」
「どうだった?」
「何が?」
「憧れのヴィクター・ラングフォードだよ。向こうから声をかけてくれたんだろ?」
「うるさいわね!何でもないわよ!」
イライザは勢いよく立ち上がった。そのまま歩き去ろうとして、ふと足が止まった。
少し離れたところで、ヴィクターがキャンディと話しているのが見えた。
何を話しているのかは聞こえない。けれどヴィクターは笑っていた。自分といる時よりも楽しそうに。
その様子を見たアーチーが、隣からぽつりと言った。
「なるほど」
「何よ」
「どうやら、君じゃなくてキャンディに興味があったみたいだね」
「アーチー!」
「あ、イライザ。ここには総長とエルロイ大叔母さまもいることを忘れずに」
アーチーは笑いながら、さっさと人混みの中へ逃げていった。
イライザは追いかけることもできず、その場に立ち尽くした。
そして、ヴィクターの声はふいに止まった。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ、何でも……」
何だろう。背筋が、ぞくりとして理由もなく、首筋を撫でる。
そういえば以前にも、こんなことがあった。
稽古の休憩中だったか。何の前触れもなく突然、背中を冷たいものが走った。あのとき理由は分からなかった。
もちろんヴィクターは知らない。その頃、遠く離れたシカゴで、イライザ・ラガンが自分の名前を口にしていたことなど。
ヴィクターはもう一度、ぞくりとした背中を撫でて、何となく振り返る。
少し離れたところに、イライザがこちらをじっと見ている。
ヴィクターは数秒、黙った。
そして何も見なかったことにして、ゆっくり前を向いた。
「……まさかな」
小さく呟き、そのままキャンディと会話を続けた。