披露宴も後半に入り、宴会場の空気はすっかりやわらいでいた。その中で、イライザは先ほどから一人の男の姿を目で追っていた。
ヴィクター・ラングフォード。ストラスフォード劇団でもテリュースと人気を二分する俳優で、イライザが以前から熱を上げている俳優。
今日この披露宴へ来たのも、もちろんキャンディの結婚を祝うためではない。ヴィクターが出席する、そう思ったから、父が出席できないことを知ると自ら代理になると申し出た。
少し離れたところで、ヴィクターは劇団の後援者らしい男と話している。時折笑い、グラスを傾ける。その横顔を眺めながら、イライザは何度目か分からないため息をついた。
先ほど会釈をしてくれたヴィクター。近くで見ると、やはり素敵だ。舞台の上とはまた違う。もっと自然で、もっと大人びていて――。
イライザが溜め息とともに扇を広げたそのときだった。ふいにヴィクターがこちらを向いて、目が合った。イライザの手が止まる。
そして――まっすぐに歩いてきた。イライザの心臓が大きく跳ねた。
(まさか。まさか、本当に?)
努めて平静を装った。けれど胸の中では、先ほどまでとは比べものにならないほど心臓が鳴っている。
ヴィクターがイライザの前で立ち止まった。
「失礼」
間近で見る笑顔に、イライザは一瞬言葉を失った。
「ラガンさん、でしたね?」
「え、ええ」
声が上ずりそうになり、慌てて整える。
「イライザ・ラガンといいます」
ヴィクターが微笑んだ。
「少しお話ししても構いませんか?」
「もちろんですわ」
答えるのが少し早かった。ヴィクターは近くの空いている席へ視線を向けた。
「では、あちらで」
「ええ」
(ほら、ご覧なさい)
以前、シカゴでテリュースと再会したときのことを、イライザは思い出していた。
ヴィクターが好きなら、同じ劇団にいるテリュースを利用すればいいじゃないかと、ニールはそんなことを言ったが、テリュースの力など借りなくても、こうしてヴィクターの方から自分へやって来たではないか。
やっぱり男は分かるのだ。自分のような女を放っておくはずがない。
ヴィクターは給仕から新しいグラスを二つ受け取ると、一つをイライザへ差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
イライザは優雅に受け取った。ヴィクターは会話しやすいよう少し斜めの席へ腰を下ろした。それだけで、イライザの胸がまた高鳴った。
「今日は楽しんでいますか?」
「ええ、とても」
「それはよかった」
ヴィクターはグラスを一口飲んだ。
「実は、少し聞きたいことがあったんです」
来た。イライザは笑みを深くした。
「何かしら?」
ヴィクターも笑った。
「花嫁のことです」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
ヴィクターは宴会場の向こうへ目をやった。
「キャンディスさんは、あなたのご親戚なんでしょう?」
「え、ええ……」
イライザはわずかに姿勢を直した。
「昔からご存じなんですか?」
「ええ。ずっと」
「それならちょうどいい」
ヴィクターは満足そうに頷いた。
「少し教えてもらいたいのです」
イライザの笑みがほんの少し固まった。自分ではなく、キャンディ……
(どうして?)
けれど、すぐに考え直した。これはきっかけにすぎない。自分と話す理由が必要だったのだろう。そう思えば悪くない。
「何を知りたいんですの?」
「どんな女性なのか」
「キャンディが?」
「ええ」
ヴィクターは少し離れたところにいるキャンディを見た。
「今日、初めて会ったんですがね。少し興味が湧いたんです」
イライザの胸に、小さな棘が刺さった。けれど笑顔は崩さない。
「そうですの」
「テリュースが結婚する女性ですからね」
その一言に、イライザは少し安心した。そういう意味か。
「まあ、昔から変わった子でしたわ」
「変わったとは?」
イライザは笑った。
「何しろ、私たちとは育ちが違います」
ヴィクターがイライザを見る。
「育ち?」
「ご存じないんですの?キャンディは、もともとアードレー家の人間ではありませんのよ」
「そうなんですか」
先ほどアニーたちの話を耳にしていたヴィクター、知らないふりをして話を引き出す。
「孤児院育ちですから」
ヴィクターの眉がわずかに動いた。
イライザはそれを、興味を持ったのだと受け取った。
「ポニーの家とかいう、田舎の孤児院で育った子ですの。それをアードレー家の総長が養女にしただけ」
「なるほど」
「それに、キャンディははじめ私たちラガン家に奉公に来たのです。最初は本当に大変でしたわ。礼儀作法も知らないし、読み書きも曖昧で、小汚い服をいつも着て……見れたものではありませんわ」
イライザは楽しそうに続けた。
「養女になりアードレー家の一員として、ロンドンに留学しても問題ばかり」
「いやぁ、意外だなぁ」
ヴィクターが少し笑った。
「信じられないでしょう?」
イライザは、その笑いの意味を取り違えた。ますます調子づく。
「それに昔から、男の人に助けてもらうのも上手で」
「へえ」
「今ではアードレー家の娘として、あんな顔をしていますけれど」
ヴィクターの笑みが少しずつ薄くなっていることに、イライザは気づかなかった。
「結局、運がいいのです」
「運?」
「ええ。アードレー家の養女になって、今度はテリュースと結婚でしょう?」
イライザはグラスを傾けた。
ヴィクターは何も言わない。
それを、もっと聞きたがっているのだと思った。
けれど、ヴィクターが見ていたのは、もうキャンディの過去だけではなかった。
イライザが口にしていることの多くは、おそらく事実なのだろう。だが同じ事実でも、それをどんな目で見て、どんな言葉で語るかによって、語っている人間の方が見えてくることがある。
孤児院で育ったことも、奉公に来たことも、アードレー家の養女になったことも、イライザはすべてキャンディを見下す材料として語っている。
「どんな?」
「それは……いろいろですわ」
さすがに偽の手紙のことまで自分から話すつもりはない。
「キャンディは昔から、男の人に取り繕うのが上手でしたから」
ヴィクターはしばらくイライザを見ていた。
「……なるほど」
「分かっていただけたかしら?」
「ええ。かなり」
イライザの顔が明るくなった。
イライザはキャンディを貶めているつもりなのだろう。けれど聞けば聞くほど、ヴィクターには逆に、そんな境遇を生き抜き、あのテリュースが何年も忘れられなかった女性への興味が増していった。
そして同時に、目の前のイライザがどんな女性なのかも、よく分かってきた。