三月十四日。
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。キャンディが目を開けたとき、最初に見えたのは見慣れない天井だった。
ぼんやりと眺める。どうしてここにいるのだろう。ほんの数秒そう思ってから、すぐに思い出した。途端に眠気がどこかへ消え、キャンディは起き上がった。
今日、この日テリィと結婚する。
セントポール学院で恋をしたあのひとと。
「キャンディ? 起きてる?」
扉が叩かれた。アニーの声だった。
「起きてるわ!」
返事をすると、少ししてアニーとパティが入ってきた。
「おはよう、キャンディ」
二人ともすでに身支度を始めていた。
「眠れた?」
アニーが尋ねる。
「うん。思ったより」
「なら、よかった」
パティが横から小さく笑った。
「アニーなんて、なかなか寝付けなかったみたいよ」
「アニーが、緊張してたりして」
「そうね、してるかも」
三人で笑った。
ホテルの中は、すでに静かに動き始めていた。
最上階にはエルロイ大叔母さま、その隣のスイートにはアルバート。
この階にはキャンディのほか、アーチーとアニー、そしてパティがそれぞれ滞在している。
皆が今日のためにニューヨークへ集まっていた。それを思うと、キャンディの胸が少し熱くなった。
*
その頃、ペントハウスでも朝は始まっていた。
テリィはいつもより早く目を覚まし、カーテンを開ける。
三月のニューヨーク。晴れ、それを確認しただけで、少し安心した。
キッチンへ行き、紅茶を淹れ、カップを持ってリビングへ戻ったところで、ベルが鳴った。
「おはよう、テリィ」
そこに立っていたのはエレノアと、その後ろには、衣装を収めたケースを持った仕立て屋がいる。
エレノアが中へ入る。
「ちゃんと眠れた?」
「ああ。母さん、今日はよろしく」
仕立て屋が衣装を広げ始める。
今日のために仕立てられた白いタキシード。
仕立て屋に促され、テリィは寝室へ向かった。
*
キャンディの部屋にも、エレノアが手配した者たちが到着した。
髪を担当する女性、化粧を担当する女性、そしてドレスを扱う衣装担当。キャンディは少し緊張した面持ちで彼女たちを迎えた。
キャンディは鏡の前へ座ると、髪に櫛が入り、一本一本、丁寧に形が整えられていく。いつも自分でまとめるのとはまるで違う。それは、化粧も同じだ。
担当の女性が微笑んた。
「とてもおきれいなお肌ですね」
「え?あ、そうですか。……ありがとうございます」
鏡の中の自分を見ながら、キャンディは小さく笑った。
目元はほんの少し引き立てられ、頬には自然な色が加えられる。
別の誰かになっていくのではないが、鏡の中にいるのは、確かに自分だった。
ただ、今まで見たことのない自分でもあった。
*
「腕を上げてください」
仕立て屋に言われ、テリィは黙って従った。
白いシャツ、タイ、そしてジャケット。ひとつずつ身につけていく。
仕立て屋が肩を整え、袖口を確認する。エレノアは少し離れたところから、それを見ていた。
舞台衣装を着た息子なら何度か見たことがある。けれど今日の衣装には、役名がない。
今日、鏡の前に立っているのは、ただのテリュースだった。
仕立て屋が一歩下がる。
「よろしいでしょう」
テリィが鏡を見る。
白いタキシードに少し落ち着かない。
「どう?」
エレノアが聞いた。
「どうって……」
「感想とかないの?」
テリィはもう一度鏡を見た。
「そうだな。自分じゃないみたいだ」
エレノアが笑った。
*
ホテルでは、いよいよドレスを着る時間になっていた。
アニーとパティはいったん自分たちの部屋へ戻り、正式な支度を整えている。
キャンディの部屋には衣装担当の女性たちだけが残っていた。
ウェディングドレスが広げられる。
何度も見てきたドレス、エレノアと一緒に細かなところまで確認した。それなのに今日は、まるで別のものに見える。
キャンディは静かに袖を通した。背中が整えられ、一つずつ確認されていく。
そして、最後にベール。
それが髪へ留められた瞬間――キャンディは鏡の中の自分を見て、言葉を失った。
今日、この姿でテリィのところへ行く……
「……変じゃないですか?」
思わず尋ねる。衣装担当の女性が笑った。
「とてもおきれいですよ。まだご自分で見慣れていないだけです」
そうなのだろうか。キャンディは鏡へ近づいた。
目元も、髪も、いつもの自分とは少し違う。
けれど確かに自分だ。
そのとき扉が叩かれた。
「キャンディ?」
アニーだった。
「入って」
アニーとパティが入ってきた。
二人ともすでに自分たちの衣装に着替えている。
そして――二人の動きは止まった。
キャンディが不安になる。
「何?変?」
アニーもパティも黙っている。
「ちょっと、二人とも何か言ってよ」
するとアニーの目に、見る見る涙が浮かんだ。
「もう……きれいよ、キャンディ」
その声が少し震えていた。
パティも頷く。
「本当に……とてもきれい」
キャンディの胸が熱くなった。
「二人とも、泣かないでよ」
「キャンディも」
言われて、自分も泣きそうになっていることに気づく。
「あの!せっかくのお化粧が」
衣装担当の女性が声を上げた。
三人が一斉にそちらを見る。
一瞬の沈黙、それから三人で笑った。