アーチーはソファに腰を下ろした。キャンディも向かいに座る。
「ある日、授業が終わったあとだった。僕が寮へ戻ろうとしてたら、廊下で何人かが話してるのが聞こえたんだ。最初は気にもしてなかった。でも、その中から君の名前が聞こえた」
キャンディの表情が少し変わった。アーチーは続けた。
「アードレー家のお嬢さまといっても、本当のお嬢さまじゃないんだろ、とか……孤児院にいたんだって、とか」
キャンディは黙って聞いていた。
「悪意丸出しって感じじゃなかったんだ。だから余計に嫌だった。本人たちは面白い話でもしてるつもりだったんだろうな」
『でもすごいよな。孤児だった子が、今じゃアードレー家の令嬢なんだから』
『運がいいよなあ』
『一生の運を使ってもなれないよ』
軽い笑い声が上がった。アーチーは足を止めた。
腹が立った。何も知らないくせに。キャンディがどんなふうに育ってきたのか。どんな思いをしてきたのか。何も知らない人間が、どうして笑えるのだろう。
「僕は、そいつらのところへ行こうとしたんだ」
キャンディがアーチーを見る。
「そんなことを言うなって、言おうと思った」
「アーチー……」
「でも、僕が声をかけるより先だった」
アーチーはそこで少し笑った。
「先に怒った奴がいたんだよ」
キャンディの目が大きくなった。
「まさか……テリィ?」
「ああ。そうだ」
アーチーにも、そこにテリィがいたことは分からなかった。少し離れたところで、壁に肩を預けていた。
いつから聞いていたのかは分からない。ただ、彼は生徒たちへ声をかけた。
『何がそんなに面白いんだ?』
笑っていた生徒たちが振り返る。
『グランチェスター?』
『聞いてたのか?』
『聞こえたんだよ』
テリィは壁から身体を離した。
『それで? 何が面白い?』
『何って……』
一人が困ったように笑った。
『別に悪口じゃないよ』
『じゃあ何だよ』
『冗談だよ』
別の生徒も笑った。
『あの子だって、これくらいで怒らないでしょう?』
「そのとき、あいつの顔が変わったんだ」
キャンディは黙っている。
「かなり怒ってた」
テリィは彼らへ数歩近づいた。
『本人が怒らなきゃ、何言ってもいいのか?』
それまで笑っていた生徒たちが黙る。
『だって本当のことだろ。孤児だったのも、アードレー家の本当の娘じゃないのも』
『だから何だ』
『だからって……』
そしてテリィは言った。
『あいつが好きで孤児になったわけじゃないだろ』
キャンディが息を止めた。
「……そう言ったの?」
「うん」
キャンディは何も言わなかったが、その言葉に覚えがあった。まだテリィと互いのことをよく知らなかった頃。
ニールに自分の出自を嘲られたとき、木の上から降りてきたテリィが言った。
――この子が好きで孤児になったわけじゃないだろ。
あのときと同じだった。自分がいないところでも、テリィは同じことで怒っていた。
『親がいないことも、どこで育ったかも、あいつが決めたことじゃない。それを笑って何が面白いんだよ』
誰も答えなかった。一人が困ったように言った。
『でも、グランチェスター。そんなに怒ることないだろ。冗談だって』
テリィは黙っている。
『それに……君には関係ない話だ』
その瞬間だった。
『おまえらも関係ないだろ!』
廊下に声が響いた。テリィが一歩前へ出る。
『関係ない人間の生まれた場所だの、親がいるだのいないだの、面白がって話してるのはおまえらだろ』
もう誰も笑っていなかった。
『本人がいないところなら何言ってもいいのか?』
『……だから、冗談だって』
『冗談なら本人の前で言ってみろよ』
誰も答えなかった。そしてテリィは、さっきより低い声で言った。
『あいつが笑ってるからって、傷ついてないと思うな』
キャンディの表情が止まった。
しばらく、何も言わなかった。
「……それも、テリィが?」
「うん」
「本当に?」
「覚えてるよ」
アーチーは少し笑った。
「なぜか、その言葉はずっと覚えてる」
キャンディは俯いた。
傷ついても笑う。
悲しくても、大丈夫だと言う。
自分より先に、相手を安心させようとする。
テリィは知っていた、あの頃から。
アーチーが言った。
「僕もね、あのとき、ちょっと驚いたんだ」
「どうして?」
「テリィが君を気にしてることくらいは分かってた。でも……」
少し言葉を探す。
「あいつ、僕が思ってたよりずっと君のことを見てたんだなって」
キャンディは顔を上げた。