数日後。エレノアはいつものように、顔が目立たないよう、装いもできるだけ控え、一人歩いていた。向かっているのは、数週間後にテリュースとキャンディが結婚式を挙げる教会。

キャンディには、今日ここへ来ることを伝えていない。もちろん、テリィにも。

テリィからこの教会で挙式をすることは聞いている。だが、自分がここへ来ることはないと思っていた。テリィの晴れ姿を、二人が祭壇の前に並ぶ姿を見たい気持ちをぐっと堪えるつもりだった。

ところが、キャンディがもしかしたら挙式を見ることができるかもしれないとうれしそうに伝えてきた。あの子らしいと、エレノアは思わず微笑んだ。けれど、最後のお願いまでキャンディにさせるわけにはいかない。

これはキャンディの願いではない。自分の願いなのだ。息子の結婚式を見たいと、自分の口で頼むべきだと思った。

エレノアは静かに教会の扉を開けた。中へ入る。高い天井、長く並ぶ長椅子、正面には祭壇がある。

しばらく、その場所を見つめた。数週間後、あそこに息子が立つ。そう思っただけで、胸の奥が動いた。やがて、奥から一人の司祭が現れた。

「何か御用でしょうか」

エレノアは帽子の陰から顔を上げた。

「少し、お時間をいただけますか」

司祭が一瞬、彼女の顔を見つめる。そして、明らかに表情が変わった。

「……失礼ですが」

気づいたのだろう。エレノア・ベーカーのことは、映画を観ない者でも、その名くらいは知っている。

エレノアは小さく微笑んだ。

「ええ。おそらく、あなたが思っていらっしゃる人物です」

司祭は少し驚いた様子だったが、すぐに平静を取り戻した。

「こちらへどうぞ」

人目につかない小さな応接室へ案内され、向かい合って座る。

「それで、今日は?」

「先日、こちらへ若い女性が一人、いらっしゃったと思います。近いうちに、こちらで挙式をする予定のミス・アードレーが……」

「ミス・アードレーをご存知なのですか?」

エレノアは続けた。

「ええ。彼女、誰にも見つからずに、結婚式を見ることのできる場所はないかと……ずいぶん変わったお願いをしたと思うのですが」

司祭が微笑んだ。

「はい。少々驚きました」

エレノアは膝の上で手を重ねた。

「その話を聞きまして、今日は、私からお願いに参りました……彼女たちの挙式を見たいと希望しているのは……私です」

沈黙が落ちた。司祭の顔に、当然の疑問が浮かぶ。

「あなたが?ミスター・グレアムとミス・アードレーの結婚式を?」

「そうです」

エレノアは静かに答えた。司祭は少し戸惑っているようだった。

当然だろう。世界的女優エレノア・ベーカーがなぜ、若い二人の結婚式を、人目を避けてまで見たいのか。司祭が慎重に尋ねる。

「差し支えなければ、理由を伺ってもよろしいでしょうか」

エレノアはここへ来るまでに、決めていた。嘘はつかないと。教会に、自分を隠すための協力をお願いするのだ。事情も明かさず、ただ信用してほしいというわけにはいかない。

それに、この人には、当日の自分の存在を知っていてもらわなければならない。エレノアはゆっくりと口を開いた。

「私は……テリュース・グレアムの母親です」

司祭の表情が止まり、何も言えなかつた。エレノアも、何も言わなかった。司祭は明らかに驚いていた。無理もない。世間には知られていない事実だった。

「誰も知らないことです……正確には、ごく限られた人間しか知りません」

「では、なぜ……」

司祭は途中で言葉を止めた。

エレノアはその先を察した。なぜ母親が、息子の結婚式に普通に参列できないのか。

「彼の父親は、イギリスの貴族です。彼は、私とその人との間に生まれた子です」

その事実を口にすることに、今さら躊躇いはなかった。けれど。

「その人は今回、テリュースの結婚の連絡を受け、家の代表としてテリュースの弟を参列させることにしました」

司祭は黙って聞いている。

「その弟は、私がテリュースの母親であることを知りません」

エレノアは少し視線を落とした。

「私自身は、いつか世間に知られることを、それほど恐れているわけではありません。けれど、今ではないのです」

司祭の瞳が静かにエレノアを見ている。

「貴族の人間が参列する結婚式に私まで姿を見せれば、何かに気づく者がいるかもしれない。記者に知られれば、テリュースの出生そのものが記事になるでしょう。それだけは、あの子の結婚式の日に起こしたくありません」

エレノアの声は静かだった。

「二人の結婚が、私たち親の過去によって騒がれるようなことにはしたくないのです」

「それで、参列をなさらないのですね」

「はい」

しばらく沈黙が続いた。やがて司祭が尋ねた。

「では、ミス・アードレーがこちらへいらしたのは……」

その言葉にエレノアの表情が柔らかくなった。そこには隠しきれない愛情があった。

「私が、見たいと言ってしまったのです」

エレノアは祭壇のある方角へ視線を向けた。

「私は、あの子たちの衣装を、二人の支度をさせてもらいました。それで十分だと思っていたのです。けれど」

エレノアは真っ直ぐ司祭を見る。

「こちらに迷惑をかける可能性があるのなら、私は諦めます。私自身がお願いするべきだと思い、今日参りました」

司祭はしばらく何も言わなかった。やがて立ち上がる。

「一度、実際にご覧になりますか」

エレノアが顔を上げる。

「……よろしいのですか?」

二人は礼拝堂へ戻り、長椅子の間を歩く。

司祭が教会後方にある小さな扉を開けた。

「こちらです」

細い階段を上り、やがて扉が開いた。聖歌隊席にそして大きなオルガン。エレノアはゆっくりと中へ入った。視線の先、その下に礼拝堂が広がっている。

エレノアの足が止まった。

「……見える」

思わず声が漏れた。祭壇がはっきり見える。そこにテリュースが立つのだ。

「下からは?」

「通常、参列者がこちらを見上げることはありません。ただ、絶対に見えないとは申し上げられません。ですから、式の始まる前にこちらへ上がっていただき、終わって参列者が退出するまで、ここから出ない。それが条件になります」

エレノアが司祭を見る。司祭は静かに頷いた。

「事情は分かりました」

エレノアは息を止める。

「こちらからご覧になってください」

しばらく言葉が出なかった。

「……よろしいのですか」

司祭は微笑んだ。

「ええ。ただし、先ほど申し上げた条件は必ずお守りください。こちらへいらっしゃることを知る者も、最小限にお願いします」

エレノアは深く頭を下げた。

「本当に……ありがとうございます」

司祭は何も言わず、穏やかに微笑んだ。

エレノアはもう一度、祭壇を見た。

数週間後、あそこに自分の息子が立つその姿を見ることができる。胸の奥から込み上げてくるものを、エレノアは静かに飲み込んだ。

そして同時にもう一人の顔が浮かぶと、エレノアは小さく笑った。

あの子には、まだ何も言わないでおこう。

今度は自分が少しくらい驚かせてもいいだろう。

そしてもちろん。テリュースには――絶対に内緒だった。