夕食を終えたあと、キャンディはダイニングテーブルに広げていた何枚かの紙を、ひとつにまとめていた。
ニューヨークへ来てからというもの、毎日のように何かが決まり、そのたびにまた新しい何かが増えていった。キャンディ自身は、それを苦にしているつもりはなかった。
ずっと望んでいたテリィとの暮らしが始まったのだ。朝になれば同じ部屋で目を覚まし、夜になれば帰ってくる彼を待つことができる。
以前なら手紙に書くしかなかった出来事を、その日のうちに話せる。それだけで十分すぎるほど幸せだった。
テリィが台本を閉じて言った。
「キャンディ。次の俺の休み、何か予定ある?」
「次のお休み?」
キャンディはスケジュール帳を開いた。
「そうね、午前中に少し買い物をしようかなとは思ってたけど……急ぐものじゃないわ。どうして?」
「じゃあ空けといて」
「何かあるの?また打ち合わせ?」
そう尋ねたキャンディを、テリィはしばらく見ていた。
その一言に、少しだけ引っかかったからだ。
キャンディがニューヨークへ来たのは、ついこのあいだのこと。何年も離れていて、ようやく一緒に暮らせるようになった。
そのはずなのに、最近二人で外へ出るといえば、ほとんどが挙式や披露宴のためだった。
キャンディは一度も嫌だとは言わない。むしろ楽しそうにしていることのほうが多い。
それでもテリィは、あの夜のことを忘れてはいなかった。
自分へ抱きつき、なかなか腕をほどこうとしなかったキャンディ。
――私のこと、好き?
と、突然そんなことも尋ねてきた。
理由を聞いても、「今はまだ言えない」と言った。だから、それ以上は聞かなかった。
言いたくないことまで話させたいとは思わない。ただ、何もなかったことにはできなかった。
何があったのかは分からない。
もしかすると、自分が考えているほど大したことではないのかもしれない。
それでも、毎日そばにいるからこそ分かることがある。
笑っているからといって、何も抱えていないとは限らない。
それは昔から、キャンディの厄介なところだった。
「違うよ。打ち合わせじゃない……。きみとデートしようかと思って」
「……え?」
キャンディはまとめかけていた紙をテーブルへ置いた。
「どうしたの、急に」
「独身最後のデート」
「……何、それ」
「いいだろ。もうすぐ独身じゃなくなるんだから」
「二人とも独身最後なのね」
「そういうこと」
キャンディは微笑んだ。
デートというその響きが、妙にうれしかった。
「どこへ行くの?」
「まずランチ。そのあとピアノのリサイタル」
「ピアノ?」
「嫌かい?」
「ううん。素敵!」
キャンディの目が輝く。
「ドレスまではいらないけど、少しきちんとした格好で行こう」
「分かったわ」
キャンディはもう、何を着ていこうか考えているようだった。その様子を見ながら、テリィは言った。
「それと、当日は別々に家を出て、待ち合わせよう」
「え?どうして?……同じ家にいるのに?一緒に出ればいいじゃない」
「それじゃ普通に出かけるだけだろ」
ただ出かけるのではなく、デートにしたかったテリィ。
最近の二人には、何をしていても、その先に結婚式があった。
いつの間にかキャンディは「花嫁」と呼ばれることが増え、自分もまた彼女をそういう目で見ていたのかもしれない。
もちろん、花嫁になるキャンディを見るのはうれしい。待ち望んでいたことだった。けれど、結婚するから一緒にいるわけではない。
キャンディがこの街へ来たのも、挙式の支度をするためだけではない。自分と暮らすために来たのだ。
そして自分は、結婚式を挙げるためにキャンディを待っていたのではない。
ただ、キャンディと一緒にいたい、それだけだったはずだ。
テリィが言った。
「コンセプトは、初めてのデート」
「……初めての?どうして?」
「面白そうだから」
初めてのデート。もう一緒に暮らしている二人がすることではない。けれど、なぜか楽しそうだった。
「わかったわ。どこで待ち合わせするの?」
テリィが場所と時間を告げる。
「遅れるなよ」
「遅れません」
「迷うなよ」
「もう子どもじゃないわよ」
「どうだか」
「絶対、先に行って待っててあげる」
「それじゃ俺が待ち合わせに遅れたみたいになるだろ」
そんなことを言い合いながら、キャンディは先ほどまとめていた紙を手に取った。けれど、もう文字が頭に入ってこなかった。
その夜から、キャンディには小さな楽しみができた。
前日の夜。
「明日、何時に出るの?」
キャンディが尋ねると、台本を読んでいたテリィは顔を上げた。
「教えない」
「どうして?」
「俺の出る時間を知ってたら、きみもそれに合わせるだろ」
「だって同じ家なんだから仕方ないじゃない」
「だから俺が出る時間は内緒」
「ふーん」
そう言いながらもキャンディも楽しそうだった。
あの夜、腕の中から離れようとしなかった理由は、まだ分からない。
それでも、この数日、デートの話をするキャンディはよく笑っていた。ならば明日は、もっと笑えばいい。
それで何かが解決するとは、テリィも思っていなかった。
ただ、自分といる一日くらい、何も考えずにいてほしかった。