ウェディングドレスの最終チェックの日、キャンディはエレノアが指定した仕立て屋を訪れていた。大きな鏡の前に立ち、仮留めされていた最後の数か所を直してもらう。

「そう。それくらいね」

少し離れたところから全体を眺めていたエレノアが満足そうに微笑んだ。

「きれいよ、キャンディ。……キャンディ?聞こえてる?」

「あ、はい、すみません。ちょっと考え事をしてました……」

我に返り慌てて返事を返す。このときキャンディは、数日前、自分がテリィに「私のこと、好き?」と聞いたことを考えていた。

鏡の中のエレノアは、キャンディの様子が気になった。

「どうしたの?珍しいわね、あなたがうわの空だなんて。何か悩みでも?」

「いえ、そうではないんです」

「結婚で何か悩みや不安なことがあるんだったら、私で良ければ聞くわよ」

エレノアは優しく微笑んだ。

仕立て屋が裾を整え終えると、いったん別室へ下がり、部屋は二人だけになった。

エレノアは鏡越しにキャンディを見た。キャンディは少し迷っていたが、口を開いた。

「エレノアさん。少し、聞いてもらってもいいですか?」

「もちろん」

キャンディは鏡の前から離れ、椅子に腰を下ろした。

「この前、街で“ある女の人”に会ったんです」

そこから、少しずつ話した。道端で具合が悪そうにしていた女性に声をかけたこと。

近くのカフェへ入り、その女性から、忘れられない人がいると聞いたこと。

その人がどんな男性なのか、話を聞けば聞くほど、キャンディの中で一人の人間と重なっていったこと。そして最後に、その女性が名乗った名前。

「……エヴリン、って名乗ってました」

エレノアの表情がわずかに変わった。

「エヴリンて、エヴリン・ハート?」

「分かりません。名字までは聞いていないんです。でも、帰る途中で思い出して。テリィと『ロミオとジュリエット』で共演していた女優さんも、エヴリンという名前だったって」

エレノアは静かに答えた。

「それで?」

キャンディは膝の上で指を組んだ。

「たぶん、そうなんじゃないかって思ったら……急に落ち着かなくなってしまって」

「落ち着かない?」

キャンディは言葉を探した。

「その人、本当にテリィのことが好きなんだって分かってしまったんです」

エレノアは何も言えなかった。

「記事を見たのは、村にいたときでした。もちろんテリィのことは信じていましたし、新聞の記事なんて本当かどうか分からないし……。それに、テリィもちゃんと話してくれましたから。でも、彼女本人から話を聞いてしまったら……」

キャンディは俯いた。

「すごく、よく分かったんです。その人がどうしてその人を好きになったのか」

エレノアは静かに聞いている。

「話を聞きながら、何度もテリィみたいだと思いました。私が好きなテリィと、同じ人を見ているみたいで」

そこでキャンディは小さく笑った。

「変ですよね。……だって、テリィがその人を好きなわけじゃないんです。それなのに」

キャンディは膝の上の手を見つめた。

「私だって、テリィを忘れようとしても忘れられなかったから。誰かを好きになる気持ちは、やめなさいと言われてやめられるものじゃないって分かるんです」

「そうね」

「だから、その人にテリィを好きにならないで、なんて思えなくて。でも……だからって、平気でもなくて」

エレノアの口元に、ごく柔らかな笑みが浮かんだ。

「それでいいんじゃない?」

キャンディが顔を上げた。

「分かってあげられることと、平気でいられることは別でしょう? あなたがその女性の気持ちを理解できるからといって、自分の気持ちまで我慢する必要はないわ」

その言葉に、キャンディの肩から少し力が抜けた。エレノアはしばらくキャンディを見つめていたが、やがて静かに続けた。

「それにね、キャンディ。誰かがテリィを好きになることと、テリィが誰を好きなのかは、まったく別のことよ」

キャンディは黙ってエレノアを見る。

「あなたは、その女性の話を直接聞いてしまったから、今まで新聞の記事でしか知らなかった気持ちに、顔も声もついてしまったのね。どうしてテリィを好きになったのかまで分かってしまった。だから急に、その人の存在が近くなったんだと思うわ」

言われてみれば、そのとおりだった。記事の中にあった“共演女優”という言葉と、カフェで目の前に座っていた一人の女性とでは、まるで違う。

苦しそうに笑った顔も、言葉を選びながら好きな人のことを話していた声も、キャンディはもう知ってしまった。

「その女性がどれほどテリィを好きでも、それでテリィの心まで変わるわけではないでしょう?」

キャンディは小さく頷いた。

「テリィが誰を愛しているかは、その女性の美しさとも、その人がどれほど強く彼を想っているかとも関係ないわ」

エレノアは優しい眼差しを向けている。

「少なくとも私は、あの子があなたを忘れられなかった時間を知っているもの」

キャンディの目が、わずかに揺れた。

「あなたたちが離れていた頃、私はすべてを知っていたわけではないわ。でも、あの子があなたのことを簡単に過去にできなかったことくらいは分かっていた」

エレノアはキャンディの手をそっと包んだ。

「そして今、そのテリィがあなたと結婚しようとしている」

胸の奥に、静かに何かが染み込んでいく。

エヴリンがテリィの良さを知っていることも、心からテリィを愛していることも、そのどれも、キャンディとテリィがここまで歩いてきた時間を奪うものではない。

「……そうですね」

声は小さいが、さっきまでより少し明るかった。エレノアは微笑んだ。

「嫉妬したっていいのよ。落ち着かなくなったっていいの。好きな人のことですもの」

「嫉妬……してるんでしょうか、私」

「少しはしてるんじゃない?」

あまりにもあっさり言われて、キャンディは目を丸くした。

「いいじゃない。誰にも何も感じない花嫁より、私はそのほうが安心するわ」

「エレノアさん……」

エレノアは少しだけ真面目な顔になった。

「ただし……その気持ちのせいで、自分まで小さく見積もるのはやめなさい。あなたが今いる場所は、誰かと競争して手に入れた場所ではないのよ。テリィとあなたが、お互いに選んで、ようやくたどり着いた場所なんだから」

キャンディは包まれているエレノアの手を、そっと握り返した。

不思議だった。誰かに言葉にしてもらったことで、胸の中で絡まっていたものが、ほどけた気がした。

「……エレノアさんに話して、よかったです」

素直にそう言うと、エレノアの表情がさらに柔らかくなった。

「キャンディ。これでも、もうすぐあなたの母親になるのよ」

キャンディが目を瞬いた。

「だから、少しくらい私を頼ってちょうだい。うれしいことだけじゃなくて、こんなふうに心が苦しくなったときにもね」

「……はい」

キャンディは小さく、でもしっかりと頷いた。その返事を聞いて、エレノアは満足そうに微笑んだ。

「もっとも、母親としてはまだ新米だけれど」

「そんなこと……」

「だって、テリィにほとんど母親らしいことをしてやれなかったもの」

一瞬だけ、エレノアの瞳に寂しさがよぎった。けれど、それを追いかけるようなことはせず、キャンディは握られている手に少し力を込めた。

「じゃあ……私と一緒に、これからですね」

エレノアが目を見開いた。ほんの一瞬のあと、その顔に静かな笑みが広がった。

「そうね」

そして、キャンディの手を握り返す。

「これからね」

その短い言葉が、キャンディにはとても温かく聞こえた。