『ロミオとジュリエット』の千穐楽を観るためにニューヨークへやってきたキャンディは、その後二日をテリィと過ごした。
二人でいくつかの教会を訪ね、3月14日に挙式する場所も決めた。
ひとつ、またひとつ。これまで言葉だけだった未来が、少しずつ形になっていく。
そしてキャンディは、また村へ戻って行った。
二月初めにはニューヨークへ移り住む。あと一か月と少しだ。
それなら、このままニューヨークにいてもよさそうなものだったが、キャンディには、村で終わらせなければならないことがたくさんあった。
診療所の仕事に荷造り、ポニーの家で暮らしてきた部屋の掃除、そして、これまで世話になった人たちへの挨拶。
何より、長い年月を過ごしてきた場所を、ある日突然、振り返りもせずに出ていくことなどできなかった。
駅へ向かう車の中で、キャンディが言った。
「あと一か月ちょっと……もうすぐね」
「すぐじゃない、長いよ」
テリィは即答した。キャンディが笑う。
「5か月近く会わなかったでしょう?」
「それと比べるなよ」
「どうして?」
「5か月より1か月が短いからって、1か月が1日になるわけじゃないだろ」
「まあ、それはそうだけど」
テリィは少し不満そうに窓の外を見た。
けれどキャンディには分かっていた。きっと自分も同じなのだ。
何年も離れていた二人。会えないことが当たり前だった頃には、次にいつ会えるのかさえ分からなかった。
それを思えば、1か月などほんのわずかなはずだった。けれど、一度そばにいる喜びを知ってしまうと、以前とは違った。
村へ戻ると、キャンディはさっそく荷造りを始めた。
――はずだった。
部屋の真ん中に座り込んで、途方に暮れる。
洋服や本だけなら簡単だった。けれど、引き出しを開けるたびに、忘れていたものが出てくる。
古いリボン、子どもたちからもらった絵。看護学校時代に使っていたノートや昔の手紙。
ひとつ手に取れば、その頃のことを思い出す。そうすると、手が止まる。
「これも持っていきたいし……これも捨てられないわ」
結局、箱の中より、周りに広げたもののほうが多くなった。
荷造りとは、物を箱へ詰めることだと思っていた。けれど実際には、自分がここで過ごしてきた時間をひとつずつ手に取る作業だった。
それからの日々は、思っていた以上に忙しかった。診療所へ行けば、いつも通り仕事がある。
休みの日には、世話になった人たちのところへ挨拶に出かけた。
「ニューヨークへ行くんだって?寂しくなるねえ」
「また遊びに来ます!」
キャンディは笑って答えた。
ここは、これからも自分の故郷だ。結婚したからといって、二度と戻ってこないわけではない。
それでも、次にここへ来るとき自分はもう、この村で暮らすキャンディではない。
ニューヨークへ行くのはうれしい。テリィと暮らせる。
朝になれば同じ家で目を覚まし、夜になれば同じ場所へ帰る。
今まで数日しか続かなかった時間が、今度は暮らしになる。
待ち望んだことだった。それでも、ここを離れることが寂しくないわけではない。
でも、大切なものを捨てて、テリィのところへ行くのではない。
ここで受け取ったものを全部持って、テリィのところへ行く。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。
夜。キャンディは机へ向かい、便箋を広げる。
離れている二人をつないでくれるのは、手紙だった。
テリィへ。
今日は荷造りをしました。
そこまで書いて、キャンディは止まった。
そして、
正しくは、荷造りをしようとしました。
と書き直す。思わず笑った。
昔のものがたくさん出てきて、ひとつ見るたびに手が止まってしまうの。だから全然進みません。
きっとテリィなら、やっぱりなと言うだろう。そんな顔まで思い浮かぶ。
数日前までニューヨークで一緒にいた。今も、手を伸ばせばそこにいそうな気がする。
こんな夜には、ニューヨークと村との距離など、ほとんど感じなかった。
手紙を書き終え、封を閉じる。
部屋が静かになるその途端、急に会いたくなった。
話したいことは、まだいくらでもある。
今日、村で誰に会ったとか、荷造りをしていたら何が出てきたとか、湖まで歩いたとか。
手紙なら書ける。でも、その返事が来るのは今日ではない。
遠いなあ。そんなふうに思う夜もあった。
数日後。ニューヨークから手紙が届いた。
差出人の字を見つけた瞬間、キャンディの顔が明るくなる。
部屋へ戻るまで待ちきれず、封を開けた。読み始めて、すぐに頬を膨らませる。
荷造りが進んでないことくらい、きみの手紙を読む前から分かってた。
「もう!」誰もいないのに声が出た。けれど、その先を読んで、キャンディは黙った。
捨てられないものなら、捨てなくていい。持ってくればいいよ。
そして、その下。
俺のところへきみが来るんだから、きみのものが増えるのは当たり前だろ。
キャンディは、その一文をもう一度読んだ。
テリィのペントハウスは、これまでは、いつだって「テリィの家」だった。
自分はそこへ会いに行く人、何日か過ごして、また村へ帰る。
けれど、今度は自分の洋服が並び、本が置かれ、思い出の品も置かれる。
キャンディがこれまで生きてきた時間まで、少しずつあの部屋へ運ばれていく。
そうして、あそこが二人の家になる。
キャンディは手紙を胸元へ抱いた。
こんな日は、ニューヨークがすぐ近くに感じられた。
一月も終わりに近づく頃。部屋の景色はすっかり変わっていた。
棚から本が消え、引き出しが空になり、箱が一つ、二つと増えていく。
部屋から自分のものが減っていくほど、ここを離れる日が近づいている。同時に、テリィとの暮らしが近づいている。
それなのに、日によって心は揺れた。
早くニューヨークへ行きたいと思う日。
もう少しここにいたいと思う日。
テリィからの手紙を読んで、すぐそばにいるように感じる日。返事を待ちながら、ひどく遠く感じる夜。
一か月という時間の中で、ニューヨークと村との距離は、何度も伸びたり縮んだりした。
けれどその日はとうとう近づいていた。
2月初め、キャンディは村の診療所で、最後の勤務の日を迎える。