けれど。
「ですが、あなたとキャンディスでは事情が違うでしょう」
エルロイの一言で、空気が再び静まった。テリィは彼女を見る。
「と、言いますと?」
「あなたは、グランチェスター公爵の血を引く方です」
エルロイは静かに言った。
「正式な後継者ではないとはいえ、その事実まで変わるものではありません」
テリィは黙っている。
エルロイの祖父の代まで、アードレー家はスコットランドにいた。
爵位こそ持っていなかったものの、古くから土地に根を張り、地域では名の知られた一族だった。
だからこそエルロイは知っているのだ。
英国で、公爵という爵位がどれほど高い位置にあるのか。
アメリカへ渡り、巨万の富を築いたアードレー家。
この国でなら、その名を知らぬ者の方が少ない。
けれど、それと英国の爵位とは別のものだ。
少なくともエルロイは、その違いを混同するような人間ではなかった。
エルロイは続ける。
「そのあなたが、なぜ、キャンディスなのです?」
静かな問いだった。
アニーの表情が曇った。
アーチーもエルロイを見る。
アルバートが静かに言う。
「叔母さま」
「私はグランチェスターさんに尋ねているのです」
エルロイは視線を逸らさなかった。テリィもまた、まっすぐ彼女を見ていた。
なぜ、キャンディなのか。その問いの向こうにあるものは分かっている。
家柄も分からない、孤児院で育ち、アードレー家へ来たときには、ラガン家の使用人だった少女。
アルバートが養女にしたことで、今ではアードレー家の娘として扱われている。
だが、エルロイの中では、最初に出会った頃のキャンディが、今もどこかに残っている。
テリィは少しだけ考えた。けれど。
「彼女を、好きだからです」
あまりにも単純な答えだった。エルロイが瞬きをする。
アニーが微笑む。
アーチーは少し呆れたような顔をした。
アルバートだけが、うれしそうに笑った。
「それだけ……です?」
エルロイが尋ねる。
「それだけじゃ駄目ですか?」
「……」
「僕には十分ですが」
テリィは静かに続けた。
「彼女がどこで生まれたとか、子どものときにどんな服を着ていたとか、木に登っていたとか、そんなことは、僕がキャンディと結婚したいと思うこととは関係ありません」
エルロイは黙っている。
「それに、僕だって。父が公爵だからといって、それで僕自身の価値が決まるとは思っていません」
その言葉に、エルロイの目がわずかに動いた。
「僕は父の爵位を継ぐ人間じゃない。自分の人生は、自分で選んできました」
舞台へ立つことも、アメリカで生きることも。そして。
「キャンディと生きたいと思ったことも、僕自身が選んだことです」
静かだが、迷いのない声だった。
エルロイはしばらく何も言わなかった。
テリィは少しだけ笑みを戻す。
「僕は今のキャンディを知っています」
そして、ふと思い直した。
「いや。今だけじゃないな」
エルロイが見る。
「昔のキャンディも、少しは知ってます」
学院の木の上、馬小屋、夏の別荘。
喧嘩をして、笑って、泣いて。そして、離れた。
それでも長い年月の先で、もう一度出会った。
「行儀が悪くても」
アニーの口元が緩む。
「お転婆でも」
アーチーが小さく笑う。
「思ったことをすぐ口にしても。そういうところも含めて、キャンディなんです」
長い沈黙が落ちた。
やがてエルロイが言った。
「……変わった方ですね」
テリィは少し笑った。
「よく言われます」
「褒めているわけではありませんよ」
「それもよく言われます」
今度はアルバートまで声を立てて笑った。
食事は、その後、別の話題へ移っていった。
食事を終え、テリィが客室へ向かおうとしたときだった。
「グランチェスターさん」
後ろから呼び止められた。
振り返るとエルロイが立っていた。
「はい」
「キャンディスは昔から、周囲を振り回す娘でした」
テリィは少し考える。
「そうでしょうね」
「あなたも、きっと苦労なさいますよ」
その言葉に、テリィは笑った。
「退屈はしないと思っています」
エルロイは呆れたように彼を見た。
祝福の言葉はない、結婚を認めたとも言わない。
「おやすみなさい、グランチェスターさん」
「おやすみなさい」
エルロイはゆっくりと廊下の向こうへ歩いていった。
テリィは、その背中をしばらく見送った。
今日一日で、自分の知らなかったキャンディをいくつも知った。
大切にされてきたことも。
傷ついたことも。
そして、誰からも最初から受け入れられていたわけではなかったことも。
それでもキャンディは、ずっとキャンディのまま生きてきたのだろう。