テリィはしばらく黙って、キャンディの指先に身を任せていた。やがて、目を閉じたまま口を開く。
「……さっき車で話そうとしたことだけど」
キャンディの手が、ほんのわずかに止まった。
「ちゃんと話しておきたい」
キャンディはまた髪を撫で始めた。
「私、テリィのこと疑ってないわよ」
「分かってる」
「だったら」
「それでも話したいんだ」
その声は穏やかだった。
「もちろん、記事に書かれてるようなことは、何もない」
「うん」
「食事に行ったこともない、劇場の外で二人きりで会ったこともない。最初の記事は、稽古が終わり、最後まで稽古してたメンバーと建物を出たところだったのを、まるで二人きりでいたように書かれた」
淡々とした言葉だった。
キャンディは何も言わず、彼の髪を撫で続けた。
「劇団からも、かなり早い段階で言われてた。女優との距離に気をつけろって」
キャンディが少しだけ眉を上げる。
「……そんなことまで言われるの?」
「言われるよ。特に今回はロミオとジュリエットだからな。舞台の上で恋人を演じる二人なんて、新聞には格好の餌だ」
テリィは続けた。
「だから、彼女が演技の相談で楽屋へ来たときも、密室にならないようにしていた」
キャンディの指が止まる。
「楽屋に来たことがあるの?」
「ああ。稽古のあとに何度か」
その言葉に、胸の奥が小さくざわめいた。
けれどテリィはすぐに続けた。
「だから扉は閉めずに少し開けてた。廊下から中が少し見えたり、声が聞こえるように」
キャンディは思わず彼を見下ろした。
テリィは苦笑した。
「それに……前にもあったんだ。共演した女優に、好意を持たれたこと」
キャンディの手が、止まった。
「それは初耳ね」
声が少し低くなる。
「だから今話してる」
「いつの話なの?」
「前の公演のとき」
「結構最近ね。どんな人?それも女優さん?」
「そこ、気になる?」
「気になるわよ」
即答だった。テリィは笑いそうになるのを堪えた。
「笑わないで」
「笑ってない」
「笑ってるじゃない」
「悪かった」
けれど、その表情はすぐに真面目なものへ戻った。
「最初は俺も気づかなかった。ただ、だんだん……距離が近くなってきて」
「距離?」
「稽古が終わっても待ってたり、食事に誘われたり。デパートで偶然会ったり……偶然じゃなかったわけだけど」
「それで?」
「すべて断ってたけど、デパートで偶然会ったときは、父への贈り物のアドバイスをして欲しいと言われ……」
テリィは事の一部始終を説明した。
「……そんなことがあったんだ」
「それでも、なかなか諦めてもらえなくて、少しだけお茶をすれば納得してもらえるかと……」
キャンディは黙った。
「でも長引いてしまい、どこで切り上げるか考えてたとき、偶然キャサリンさんに声を掛けられ、切り上げることができた」
「キャサリンさんが?」
「ああ。そのあと……キャサリンさんに諭されたよ。“ちゃんと断るのも優しさ”だとね」
「またキャサリンさんに、お世話になっちゃったね」
「ほんとだな。俺たち、キャサリンさんに足向けて寝れない」
二人は小さく笑った。
けれど、キャンディの胸にはまだ別の感情が残っていた。
テリィは有名な俳優で、舞台の上では女性を愛する。客席には、彼を見つめる大勢の女性がいる。
そして、ときには共演者から想いを寄せられることもある。
これからも、きっとそんなことがあるのかもしれない。
その瞬間、遠い記憶が、胸の奥を掠めた。
――スザナ
キャンディはすぐに、その名前を心の中へ押し戻した。
もちろんテリィには言わない。今ここで、その名前を出す必要はない。
自分たちはもう、あの頃の二人ではない。
それでも、愛する人のそばに、自分ではない女性がいる。その女性が彼を想っている。
その構図だけが、どうしても遠い記憶と重なってしまう。
テリィがふいに目を開けた。
「キャンディ?」
「なに?」
「どうした?」
「あ……いえ」
キャンディは慌ててまた髪を撫でようとした。
けれど、その手をテリィが取った。
そしてゆっくりと身体を起こす。
「テリィ?」
テリィは座り直し、キャンディの手を握ったまま、今度は正面から彼女を見る。
「俺がこんな話をしてるのは、きみに心配をかけさせたいからじゃない」
「分かってるわ」
「これからもあると思う、こういうことは」
キャンディが彼を見る。
「これからも?」
「そう。記事も噂も。結婚しても、誰かに好意を持たれることがあるかもしれない」
テリィは静かに言った。
キャンディの手を包む指に、少しだけ力がこもる。
「そのたびにきみが新聞を見て、一人でいろんなことを考えてるのが俺は嫌なんだ」
キャンディの瞳が揺れた。
「……私、そんなに心配してるように見えた?」
「少し」
「ちゃんと平気な顔してたのに」
「俺には分かる」
その言葉に、キャンディは困ったように笑った。
テリィは彼女から目を逸らさない。
「どんなことがあっても……俺が愛してるのは、きみだけだよ」
逃げ場のないほど真っすぐな瞳で言われた。