3時半、短い休憩が入り、俳優たちは舞台袖へ散っていく。
記者たちも一度客席を離れ、取材用に用意された場所へ移動し始めた。
フランクがキャンディへ声をかける。
「ここで少し待っていてください。すぐに戻ります」
「はい」
そう言って離れていく。
キャンディは客席の端に座り、舞台を見上げる。
誰もいなくなった舞台。
つい数分前まで、そこに何人もの人生があった。不思議な場所だと思った。そのとき。
「記者さん」
後ろから声がして、キャンディは振り返ると稽古着のままのテリィが立っていた。
額にはうっすら汗が滲んでいる。
周囲に人がいないことを確認しながら近づいてくる。キャンディは思わず笑った。
「話しかけちゃいけないんじゃなかった?」
「俺からならいいのさ」
「ずるい」
テリィはキャンディの隣の……隣の席へ腰を下ろした。
「どうだった?」
その問いには、少しだけ不安が混じっている。
キャンディはすぐに答えた。
「……すごかった」
テリィがわずかに目を細める。
「そうか」
「うん」
キャンディは笑った。
「私が知ってるテリィと、全然違った。良い意味で」
「そうか」
「こんなふうに毎日舞台を作ってるんだって、初めて分かった」
テリィは黙って聞いていた。
「舞台を観ると、最初から全部できあがってるみたいに見えるでしょう?でも違うのね」
キャンディは舞台へ視線を向けた。
「何度もやり直して、少しずつ作っていくんだね」
テリィは小さく笑った。
「夢が壊れた?」
「逆よ」
テリィが彼女を見る。キャンディは気づいていない。テリィは少し俯いて笑った。
「……そっか」
「なに?」
「いや」
そのとき、遠くからフランクの声が聞こえた。
「グレアム!」
テリィが振り向く。フランクが腕時計を指差している。
軽く手を上げて返事をしてから、テリィは立ち上がった。キャンディもつられて見上げる。
テリィは一瞬周囲を確認すると、ごく短く彼女の頭へ手を置いた。
「じゃあ、寝ないで最後まで見てけよ」
「そんなことしないわよ!」
「昨日ほとんど寝てない……だろ?まぁ、俺もだけど」
キャンディの顔が一瞬で赤くなる。
「テリィ!」
小声で怒るキャンディを見て、テリィは声を立てずに笑った。そして何事もなかったように舞台へ戻っていく。
そのやり取りを見ていたフランクは深くため息をついた。
「……なるほどな」
独り言のように呟く。キャンディが振り返る。
「何がですか?」
フランクは一瞬考え、それから笑った。
「いえ」
舞台へ向かうテリィの背中を見る。
三年以上、あの男のすぐそばで仕事をしてきた。
舞台で笑う顔、取材で笑う顔、記者をかわすときの顔、仲間と冗談を言う顔、いくつもの表情を知っているつもりだった。
だが、今、キャンディを見ていたときの顔だけは、初めて見た。
フランクはようやく理解した。
テリュース・グレアムがなぜ突然、自分へ恋人の存在を打ち明けたのか。
なぜ、これまで誰にも見せなかった私生活の一部を、自分へ預けようとしたのか。
きっとこの先、自分は、この女性を守る仕事もすることになるのだろう。
フランクは小さく息を吐き、舞台へ視線を戻した。
「まったく……」
口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
「ようやくマネージャーらしい仕事をさせる気になったか」
舞台では次の場面が始まろうとしていた。
照明が落ち、静寂。そして再び光が差す。
そこにはもう、キャンディの知るテリィはいなかった。
キャンディは息をすることも忘れるように、その姿を見つめ続けた。
昨夜、彼女だけに向けられていた瞳。
今は、その瞳が舞台の世界を見つめている。
けれど不思議と寂しくはなく、むしろ誇らしかった。
この人は、ここで生きてきた。
そしてこれからも、ここで生きていく。
その人生の隣を、自分も歩いていく。
キャンディは胸元でそっと指を組んだ。
誰にも気づかれないように。
舞台の上のテリィへ、小さく微笑んだ。
客席の後ろで腕を組みながら、すべてを見ていたのはフランクだけだった。