ポニーの家には、ジョシュアという青年がいる。
彼は、この家では少し特別な存在だった。
ポニーの家は、本来なら幼い子どもたちが暮らす場所である。13歳だったジョシュアは、年齢だけを考えれば受け入れられるはずではなかった。
だが7年前、まだ2歳だった妹メイがポニーの家へ預けられることになった時、幼い妹は兄から離れようとしなかった。
年齢を理由に兄妹を引き離すことだけはしたくない――。
そう願ったポニー先生とレイン先生は、村人たちへ何度も頭を下げ、理解を求めた。そして村の人々もまた、その願いを受け入れてくれた。
こうしてジョシュアも、妹とともにポニーの家で暮らすことを許された。
その恩を、ジョシュアは誰よりも理解していた。
「俺は、本当はここにいていい人間じゃない」
そう思わなかった日はない。
だからこそ、人一倍よく働いた。
薪を割り、畑を耕し、壊れた屋根を直し、力仕事があれば真っ先に駆けつける。
村の人たちも、そんな彼を実の息子のように可愛がっていた。
ジョシュアは、ここへ来るまで学校へ通ったことがほとんどなかった。
幼い頃から両親に放っておかれ、妹が生まれてからは世話を押し付けられた。
生活は苦しく、ミルク代を稼ぐためにスリの仲間へ加わっていたこともある。
13歳になっても、自分の名前さえ書けなかった。
そんな彼へ初めて鉛筆を握らせたのが、キャンディだった。
「まずは、自分の名前を書いてみようね」
何枚も紙を無駄にしながら、ようやく書けた不格好な『Joshua』。
「できた!」
自分のことのように喜んでくれたキャンディの笑顔を、ジョシュアは今でも忘れられない。
それから毎日、診療所の仕事を終えたキャンディは、疲れているはずなのに机へ向かい、読み書きや計算を教えてくれた。
「分からないなら、分かるまでやればいいのよ」
その言葉に、何度励まされたことだろう。
努力は実を結び、遅れていた学力は驚くほど伸びた。
村の高校へ進学すると、卒業まで主席を譲らないほどの成績を収めた。
後になって気づいたこともある。
キャンディは決して勉強が得意ではなかったようだ。
教えてくれた計算式が時々間違っていることはジョシュアの学力が上がるたびにそれを気づくことになった。
それなのに、キャンディは一生懸命に教えてくれた。
そして自分を信じ続けてくれた。
その気持ちがあったからこそ、ジョシュアは医学部を目指した。
現在、シカゴ大学医学部二年。
学費はアードレー財団の奨学金によって支えられている。
ここまで来られたのは、自分一人の力ではない。
先生方、村の人々、財団、そしてキャンディ。
数え切れない人たちに支えられて、今の自分がある。
だから決めていた。
医師となり、この村へ戻る。
診療所で働き、村へ恩返しをする。
その夢だけは、一度も揺らいだことがなかった。
そして、その夢の隣には、もう一つ誰にも話したことのない願いがあった。
いつかキャンディと肩を並べて働きたい。
そして、その先も――。
その想いだけは、胸の奥へ大切にしまっていた。
七月の初め。
シカゴからインディアナへ向かう列車は、初夏の緑の中をゆっくりと走っていた。
窓の外へ広がる麦畑を眺めながら、ジョシュアは小さく息を吐く。
ようやく帰れる。
その思いだけで自然と口元が緩んだ。
大学生活は忙しかった。
講義、実習、夜遅くまで続く勉強。
それでも苦しいと思ったことはない。
すべては、あの日描いた夢へ続く道だからだ。
列車が駅へ滑り込む。
ホームへ降り立つと、懐かしい風が頬を撫でた。
「ただいま」
誰に聞かせるでもなく呟く。
荷物は小さな鞄一つ。
歩き慣れた道を進み、小川を渡る。
やがて赤い屋根が見えた瞬間、自然と歩く速度が速くなった。
「お兄ちゃん!」
元気いっぱいの声が響く。
玄関から飛び出してきたメイが、そのまま胸へ飛び込んできた。
「メイ!大きくなったなぁ!」
笑いながら抱き上げる。
「だって、9歳だもん!」
胸を張る妹を見て、思わず笑みがこぼれた。
7年前、泣きながら自分の手を握っていた小さな妹は、こんなにも元気に育っていた。
「ジョシュア、お帰りなさい」
ポニー先生とレイン先生が優しく迎えてくれる。
「ただいま帰りました」
深く頭を下げた。
「キャンディは?仕事ですか?」
自然と口をついて出た名前だった。
レイン先生は微笑む。
「今日はお休みですよ。ポニー先生と話してるから、すぐに顔を出しますよ」
「そうですか」
それだけで胸が少し温かくなる。
休暇になるたび、真っ先に帰ってくる理由は、妹だけではなかった。
キャンディの笑顔を見ること。
それもまた、ジョシュアにとって帰る理由の一つだった。
けれど彼は、まだ知らない。
キャンディの心の中には、自分が出会うずっと前から、たった一人だけ想い続けてきた人がいたことを。
だから疑わなかった。
自分が医師になれば、この村でキャンディと肩を並べて働く未来が来るのだと。