「ありがとうございます」
短く答える。アルバートは静かに頷いた。
しばらく、二人は互いの空白を埋めるように話し続けた。
テリィは舞台の世界を一度離れ、再び戻ったことや、アルバートが旅をしながら身分を隠していた時期のこと、そして、自分がアードレー家の総長であることを明かした経緯。
話せば話すほど、十年以上という年月の長さを思い知らされる。
二人は、あの頃のままではない。多くのものを失い、多くのものを背負った。
けれど、互いへの信頼だけは、不思議なほど変わっていなかった。
やがてテリィは、グラスを机へ置いた。
「それから……」
アルバートが視線を向ける。
「今日は、キャンディとのことで伺いました」
その名が出た瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。
それまでの再会を喜ぶ者同士の空気から、別のものへ。
アルバートは穏やかな表情のまま、姿勢を少し正した。
「うん、聞いているよ。キャンディからの手紙で」
「はい」
テリィは小さく息を吐く。緊張が戻ってくる。
アルバートは、それに気づいたようだった。
「ポニーの家の先生方は喜ばれただろう」
「とても喜んでくださいました」
テリィは少し微笑んだ。
「僕も、伺うことができてよかったと思っています」
そして、もう一度アルバートを正面から見る。
「今日は、昔からお世話になっているアルバートさんにお会いしたかったのと同時に……」
一度言葉を切る。
「キャンディの養父であるあなたに、きちんと御挨拶を申し上げたくて参りました」
アルバートは何も言わず、静かに続きを待っている。
テリィは背筋を伸ばした。
舞台の上では、どれほど難しい台詞でも言える。
何千人の観客を前にしても、声が震えることはない。だが今は、少しだけ胸が高鳴っていた。
「僕は、キャンディに結婚を申し込みました」
アルバートの眼差しが、柔らかくなる。
「彼女は、それを受け入れてくれました」
「そうか」
短い言葉だった。けれど、その声には深い安堵と喜びがあった。
「おめでとう、テリィ」
アルバートは静かに微笑んだ。
「そして、ありがとう」
テリィは少し驚いた。
「ありがとう、ですか?」
「ああ、そうだよ」
アルバートは窓の外へ目を向けた。
「キャンディが、心から選んだ相手と再び巡り会えたことに感謝したい」
その言葉に、テリィは何も返せなかった。
アルバートは、すべてを知っている。二人の別れも。キャンディがどれほど苦しんだのかも。
そして、再会してからどのように変わっていったのかも。
「僕は一度、彼女を手放しました」
テリィは静かに続ける。
「言い訳をするつもりはありません」
「あの時の君には、あの時の事情があった」
「それでも、彼女を傷つけたことは変わらないんです」
アルバートは否定しなかった。
「だから今度は、絶対に離れたりはしません」
テリィはまっすぐに言った。
「何があっても」
アルバートの青い瞳が、静かにテリィを見つめる。
言葉を選びながら続ける。
「幸せは、僕が一方的に与えるものではないと思っています」
「……」
「ただ、どんな時も、うれしい時も、苦しい時も。キャンディと共に生きたい……」
少しだけ息をつく。
「そのために、できることはなんでもします」
アルバートはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。テリィも自然に立ち上がった。
アルバートはテリィの前へ来ると、右手を差し出した。
「キャンディをよろしく頼む。テリィ」
テリィはその手を見つめた。
養父として、大切な娘の人生を共に歩む男へ託す言葉。
テリィはしっかりとその手を握った。
「はい。必ず」
握手には、再会したときとは違う重みがあった。
昔からの知人として。人生の先輩と後輩として。
そして、家族になろうとする者同士として。
アルバートはテリィの肩へ手を置いた。
「キャンディの伴侶が君でよかった」
テリィは一瞬、目を見開いた。
その言葉は、どんな祝辞よりも深く胸へ届いた。
「……ありがとうございます」
それ以上は言えなかった。
書斎の窓から、7月の強い陽射しが差し込んでいる。
十年以上前。ロンドンで出会った二人。
自由を求めていた少年と、身分を隠して旅をしていた青年。
それぞれが長い道を歩き、今、まったく違う立場で再び向かい合っている。
一人は、ブロードウェイを代表する俳優として。
一人は、アードレー家を率いる総長として。
そして何より、愛する女性の夫になろうとする男と、その女性の父として。
二人の間には、まだ語り尽くせない話がいくつも残っていた。
だが、そのどれもが、もう失われた時間ではなかった。
長い歳月を越えて、ようやく再びつながった時間だった。