ペントハウスに着き、キャンディは荷物を片付け、一息ついていた。
窓から差し込む5月の陽射しがリビングをやわらかく照らしている。
預かっていた鍵で部屋へ入り、久しぶりに訪れた室内をゆっくり見渡す。
去年と変わらない景色。本棚も、ソファも、窓辺の観葉植物も、そのままだった。
「ただいま……なのかな」
小さくつぶやいて、自分でも少し照れくさくなる。
夕方、玄関の扉が勢いよく開く音がした。
「キャンディ、いるかい?」
聞き慣れた声に、キャンディはぱっと立ち上がる。
「テリィ!」
返事をした時には、もうテリィは足早にリビングまで来ていた。まだ稽古の熱気をまとっている。
キャンディの姿を見つけた瞬間、その表情からふっと緊張がほどけた。
「よかった……」
思わず漏れたその一言に、キャンディはくすりと笑う。テリィは申し訳なさそうに頭をかいた。
「ごめんな。急に予定が変わって迎えに行けなくなって」
キャンディは首を横に振る。
「ううん。キャサリンさんに久しぶりに会えてうれしかったもの」
「なら、良かった」
その言葉に、テリィもようやく安心したように微笑んだ。
「無事に着いたとは思ってたけど、やっぱり自分の目で見るまでは落ち着かなくてさ」
キャンディはそんな彼を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
忙しい稽古の最中でも、自分のことを気にかけてくれていた。その気持ちが何よりうれしい。
テリィは腕時計へ視線を落とした。
「ちょっと遅くなっちゃったから、すぐに出かけるけどいい?」
「もちろん」
キャンディは笑顔で頷く。
「少し待ってて。上着だけ取ってくる」
そう言いながらも、テリィはどこか落ち着かない様子でネクタイを緩め、深く息をついた。
ようやく会えた。その安堵が、表情の端々から伝わってくる。
ほどなくして支度を終えた二人は部屋を出た。エレベーターで一階へ降り、夕暮れのマンハッタンの街へ。
車はキャサリンとマイケルが待つレストランへ向かって走り始めた。
ほどなくして、キャサリンと稽古帰りのマイケルも合流した。
「待たせた?」
「いや、俺たちも今来たところだ」
テリィが立ち上がると、四人は笑顔で席につく。料理が運ばれ、グラスを軽く合わせる。
「今日は急に迎えを頼んでしまい、ありがとうございました」
テリィがキャサリンへ視線を向けた。
「気にしないで。私もキャンディさんに会いたかっし心配だったから」
キャンディも申し訳なさそうにキャサリンを見つめて言った。
「去年も今回も、キャサリンさんにはお世話になってばかりで……。急なお迎えまでしてくだって、本当にありがとうございました」
キャサリンはくすりと笑って首を振り、少しおどけたように肩をすくめた。
「そんなこと気にしなくていいのよ。私なんて家を預かっている身だから、時間の都合はつけやすいの。こういう時くらい頼ってもらえた方がうれしいわ。」
「今回は何事もなくて本当に良かったわ」
「去年は本当に災難だったからな」
マイケルが苦笑すると、キャンディも思わず笑った。
「あの時もご迷惑ばかりおかけして……」
「迷惑じゃないわ」
キャサリンは首を振る。
和やかな空気の中、前菜が運ばれてくる。
しばらく料理を楽しんだあと、キャンディがふと思い出したように小さな紙袋を手に取った。少し照れながら二人を見る。
「あの……前にお世話になったお礼も兼ねて、ささやかなプレゼントを持ってきたんです」
「私に?」
キャサリンが目を丸くする。キャンディはまず、小さく丁寧に包まれた箱を差し出した。
「これはキャサリンさんへ」
「まあ!ありがとう」
包みを開くと、上品な刺繍が施された白いハンカチと、小さなラベンダーの香り袋が入っていた。
「素敵……。それに春らしくて、とてもきれいだわ」
「この香り、キャサリンさんに似合うかなって思って」
その言葉に、キャサリンの表情が柔らかくなる。
「ありがとう。大切に使うわ」
続いてキャンディは、もう一つの包みをマイケルへ差し出した。
「マイケルさんにも」
「俺にも?」
中には革のしおりと、小さな万年筆用のインク瓶。
「台本を読む時に使っていただけたらと思って」
マイケルは目を細めた。
「ありがとう。こういうの、ちょうど欲しかったんだ」
「本当ですか?」
「ああ。さっそく次の台本から使わせてもらうよ」
そのやり取りを見ていたテリィが、なぜかじっと二人の包みを見つめている。その視線に気づいたマイケルが口元を緩めた。
「……どうした?テリィ」
「いや、別に」
「その顔は別にじゃないな」
キャサリンも吹き出す。
「まさか、自分の分があると思ってた?」
テリィは咳払いを一つした。
「思ってない」
「でも、少し期待してたでしょう?」
「してない」
返事が一拍遅かった。キャンディが思わず笑い出す。
「ふふっ」
テリィは少しだけ耳を赤くした。
「きみは笑いなさんな」
「だって」
テリィは小さく肩をすくめる。
「……悪かったな」
その素直な降参ぶりに、部屋中が笑いに包まれる。
劇場では名優と呼ばれる男も、この部屋ではただ一人の青年だった。
そんな肩の力の抜けたテリィの姿を見ながら、キャサリンは静かに思う。
(本当に、幸せそう)
この二人なら大丈夫。そう確信しながら、キャサリンはそっとワイングラスを口元へ運んだ。
その笑顔は舞台のスターではなく、大切な人たちと過ごす時間を心から楽しむ、一人の青年の笑顔だった。