春のポニーの家。

長い旅を終えたキャンディは、シカゴでの看護研修も終えて、ようやく村へ帰ってきていた。

朝の空気はまだ冷たいが、庭の草花は芽吹いていた。

いつもの景色、見慣れた診療所。

ポニーの家の煙突から立ちのぼる白い煙。

子どもたちの笑い声。

何ひとつ変わっていない。

──なのに。キャンディは診療所の窓を開けながら、小さく息を吸い込んだ。

同じ空気のはずなのに、どこか違って感じる。

風がやわらかく、空が少し高く見える。

世界が少しだけ明るくなったような、不思議な感覚だった。


「キャンディ、包帯お願い」

「はい!」

返事も自然と弾む。

数年前に村へ移り住んできた若い医師が、患者の診察を終えて声を掛ける。

喘息を患う幼い息子のため、空気のきれいなこの村へ家族で移住してきたグラント医師。

マーチン先生と二人体制になってから、診療所は以前より高度な医療を提供できるようになった。

その分、それに合わせた看護技術が必要となり、キャンディたち看護婦は日々研鑽している。

キャンディは手際よく包帯を渡し、そのまま患者へ優しく声を掛けた。

「今日はもう無理をしないでくださいね」

「ありがとう、キャンディ」

その笑顔を見るだけで、胸が温かくなる。

以前からそうだった。けれど今は、その温かさがもっと素直に心へ届く。


昼休み。記録簿へ午前中の処置を書き込んでいる。

ペンは迷うことなく動いていた。

シカゴで学んできた新しい処置方法。

感染予防の工夫。患者への説明の仕方。

研修で得た知識を同僚に伝えることも大事なしかしだった。

そしてそれは自然と診療へ生かされていることに研修の大切さを改めて感じる。

(もっと勉強したいな)

そんな気持ちが、以前よりずっと強くなっていた。

誰かに認められたいからではない。

もっと役に立ちたい。もっと助けられる人を増やしたい。

その思いが胸の中で静かに育っている。


ふと窓の外を見る。村の一本道。荷馬車がゆっくり通り過ぎる。

雪解け水が小さな流れを作っていた。

その景色を見つめながら、不意に思い出す。

劇場街。高い建物。人であふれる歩道。

忙しそうに行き交うスタッフたち。

「ここに来ると落ち着くんだ」

そう言って、稽古場を見上げていたテリィ。

舞台の裏を歩く彼は、とても自然だった。

誰かを演じる俳優ではなく、一人の人間として、そこに生きていた。

あの穏やかな横顔が、不意に浮かぶ。

キャンディは少さく笑った。

あの日までなら、思い出すだけで苦しかったのに。

今は不思議と胸が痛まなかった。

それに、胸の奥にしまい込んでいた何かが、ようやく静かに息をし始めたようでもあった。

それはまだ名前はつけられない。

でも、それは決して悲しいものではないことは確かだった。


夕方。診療所を閉めるころには、子どもたちが迎えに来ていた。

「キャンディ!」

「遊ぼう!」

「今日は鬼ごっこ!」

「こらこら」

キャンディは笑いながらしゃがみ込み、一人ひとりの頭を撫でる。

「じゃあ少しだけよ」

「やったー!」

子どもたちは歓声を上げて駆け出した。

その後を追いかけながら、キャンディも思わず笑う。

笑い声が、以前より大きくなっている気がした。


ポニーの家に戻ってもまだ笑い声は響いていた。

その様子を少し離れた場所から見ていたのは、ポニー先生とレイン先生だ。

「キャンディは」

ポニー先生が静かにつぶやく。

「少し変わりましたね」

レイン先生も穏やかに頷いた。

「ええ」

以前から明るい子だった。

誰よりも笑い、誰よりもよく働く。けれど今の笑顔は少し違う。どこか肩の力が抜けている。

無理をして明るく振る舞っているのではなく、心の奥から自然に笑っているように見えた。

「ニューヨークで何かあったのでしょうか」

レイン先生が小さく言う。

ポニー先生は、子どもたちと一緒に走るキャンディを目で追いながら微笑んだ。

「きっと、何か大切なものを見つけて帰ってきたのでしょうね」

「聞かれますか?」

「いいえ」

ポニー先生は静かに首を振る。

「あの子が話したくなったら、そのとき聞きましょう」

少し間を置いて続けた。

「今は、とてもいい顔をしていますもの」

レイン先生も柔らかく微笑んだ。

「そうですね」

夕暮れの空へ、子どもたちの笑い声が響いていく。

その輪の中心で笑うキャンディは、自分でもまだ気づいていなかった。

ニューヨークでの再会は、止まっていた時計を動かしたわけではないけれど、長い間、胸の奥に静かに沈んでいた想いに、そっと光を当ててくれた。

だからだろうか。

変わらないはずの故郷の景色が、いつもより少しだけ違って見えた。