ラウンジを出ると、夜気はさらに冷たさを増していた。ホテルの回転扉を抜けた瞬間、冬の空気が頬を撫でる。
「寒いな」
テリィがそう言うと、キャンディはマフラーを少しだけ口元まで引き上げた。
「でも気持ちいいわ」
吐いた息が白く夜へ溶けていく。
シカゴの街はまだ眠っていなかった。
劇場帰りの人々が笑いながら歩き、電車の音が遠くから響いてくる。
街灯に照らされた歩道には、昼間とは違う落ち着いた表情があった。
二人は肩を並べ、ゆっくりと歩く。しばらく歩いた頃、石造りの落ち着いた建物の前で、テリィが立ち止まる。
「着いた」
見上げると、先ほどのホテルほど華やかではないが、品のある佇まいのホテルだった。
真鍮の取っ手が磨かれた扉。暖かな灯りが漏れるロビー。どこか家庭的な温もりを感じさせる場所だった。
「ここ?」
「ああ」
「素敵」
テリィは小さく笑う。
「静かなところがよかったから」
フロントで手続きを済ませる。受付係が鍵を二つ差し出した。
「三〇七号室と三〇八号室でございます」
エレベーターが静かに止まる。扉が開き、廊下を歩く。
厚い絨毯が足音を吸い込み、静かな空気が流れていた。
三〇七号室と三〇八号室。隣同士の二人。
互いの部屋に荷物を置き、一息ついたあとだった。
コンコン。
控えめなノックが聞こえる。
扉を開けると、そこにはキャンディが立っていた。
「眠るまで、お邪魔してもいい?」
テリィは少しだけ目を細める。
「もちろん」
部屋は簡素だった。ベッドが一つ。
暖炉に丸いテーブル。ソファが二脚。
大きな窓の外には、シカゴの夜景が広がっている。
キャンディは暖炉の前のソファへ座る。
「ここ、落ち着くわね」
「だろ?」
テリィはポットへ湯を注ぎ、紅茶を用意した。
「ありがとう」
「今日は歩いたからな」
湯気が立ち上る。甘い香りが部屋へ広がる。
二人は向かい合って座った。
会話は途切れなかった。
たわいもない話ばかりだったが、どれだけ話しても飽きない。
「ねえ、テリィ」
キャンディが笑う。
「さっきは、本当にコインの種知らなかった?」
「半分くらい」
「嘘」
「本当だよ」
「絶対嘘」
テリィは肩を揺らして笑う。
「じゃあ教えて」
「いやだ。教えない」
「また!」
キャンディがクッションを軽く投げる。
テリィは難なく受け止めた。
「子どもだな」
「教えてくれないテリィの方が」
二人とも笑う。笑い声が暖炉の火に溶けていく。
少しして笑いが静まった頃だった。
部屋に穏やかな沈黙が訪れる。
時計の針だけが静かに時を刻んでいた。
キャンディはカップを置く。
「テリィ」
「ん?」
「今日はありがとう。忙しいのにお休み取ってくれて」
テリィは、小さく首を振る。
「いいんだ。それを言うならきみだって、研修資料とかまとめたりするときに、こうやって……」
キャンディはすぐに首を振り、小さく笑う。
「ううん。会いたかったから、いいの」
暖炉の火が揺れる。
時計を見ると、もう日付が変わろうとしていた。
キャンディが名残惜しそうに立ち上がる。
「今日は、そろそろ戻るわ。今日は楽しかった」
「俺も」
「じゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
けれど、どちらも動かず数秒静かな時間が流れる。
テリィは少しだけ迷うように視線を伏せた。キャンディはくすっと笑うとほんの少しだけ背伸びをして、テリィの頬へそっと口づけた。
「おやすみなさい」
一瞬だけ目を見開いたテリィは、すぐに優しく笑った。
キャンディは照れ隠しに小さく手を振り、自分の部屋へ行った。
扉が静かに閉まった。テリィはしばらくその扉を見つめていた。
頬には、まだ小さな温もりが残っている。
明日になれば、また一緒に笑える。
そう思いながら、テリィは静かに部屋の灯りを落とした。