映画館の中は思った以上に混み合っていた。夕方の上映ということもあるのだろう。

ホールには多くの観客が集まり、上映開始を待ちながら思い思いに席へ着いている。

テリィとキャンディも中央より少し後ろの席へ腰を下ろした。館内の灯りはまだ落ちていない。

周囲では映画の評判を語る声が聞こえる。

「最後がすごいらしいわ」

「誰が犯人なのか全然わからないんですって」

「エレノアの演技が素晴らしいらしいわよ」

そんな言葉があちこちから聞こえてきた。

テリィは苦笑する。どうやら本当に評判の作品らしい。その横でキャンディはパンフレットを開いていた。

作品紹介を読んでいる。その真剣な横顔を見ていると、テリィは自然と笑みが浮かんだ。

「何?」

視線に気付いたキャンディが顔を上げる。

「いや」

「また見てたでしょ」

「見てない」

「嘘」

即座に返される。そのやり取りが可笑しくて、二人は小さく笑った。

やがて館内の照明がゆっくりと落ちていく。

ざわめきも静まり、スクリーンだけが白く浮かび上がる。

そして『霧の館』が始まった。

物語は海辺の古い館から始まる。

十年前に失踪した夫ら残された妻。そしてある嵐の夜、突然帰ってくる男。

だが本当に夫なのか。それとも別人なのか。

館の中では次々と奇妙な出来事が起こる。

誰もが何かを隠している。誰もが怪しい。物語は静かに進んでいった。

キャンディはすぐに引き込まれた。目の前の出来事に集中している。

登場人物の一言、視線、その全てが伏線のように思えてくる。

そして何よりエレノア・ベーカーの演技が素晴らしかった。

夫を信じたい。けれど信じ切れない。愛情と疑念の間で揺れる女性。言葉よりも表情で語る演技。観客たちも完全に引き込まれていた。

ある場面では客席のあちこちから息を呑む音が聞こえる。またある場面では誰かが小さく悲鳴を上げる。

スクリーンの中の館は霧に包まれ、真実は見えない。誰が味方で誰が敵なのか。最後までわからない。

キャンディも夢中だった。気付けば身を乗り出している。犯人は誰なのだろう。あの人物だろうか。それとも別の誰かなのだろうか。

緊張する。胸が苦しくなるほど。

そして物語が終盤へ差しかかった頃だった。

暗い廊下。閉ざされた扉。秘密が明かされそうになる場面。

キャンディは思わず息を止めた。その瞬間だった。

自分の右手へ何かが触れる。驚いて見るとテリィの手だった。

何も言わず、スクリーンから視線も外していない。

けれど自然な仕草でキャンディの手を包み込んでいた。

まるで最初からそうしていたかのように。

キャンディは一瞬だけ目を瞬く。そして少し笑った。

自分がどれだけ映画へ入り込んでいるか、きっと伝わってしまったのだろう。

テリィは相変わらず前を向いたままだった。けれど、その手は温かかった。安心する温もりだった。

キャンディもそっと握り返す。するとテリィの指が少しだけ動いた。応えるように。それだけで胸が温かくなる。

スクリーンではついに真相が明かされる。館を覆っていた霧が晴れるように。全ての謎が繋がっていく。客席のあちこちから驚きの声が漏れた。

「まさか……」

そんな囁きまで聞こえてくる。

キャンディも思わず目を見開いていた。

予想していた人物ではなかった。完全に騙されていた。そしてラストシーン。ようやく訪れる安堵。エレノア演じる主人公の穏やかな微笑み。そこで映画は終わった。

館内が暗闇から現実へ戻ってくる。照明がゆっくり灯る。しばらく誰も立ち上がらなかった。余韻が残りそしてやがて拍手が起きた。

誰かが始めたわけではなく、良い作品を観た時に起きる拍手だった。キャンディも拍手を送る。

そして隣を見る。テリィも拍手していた。その表情はどこか静かだった。

俳優として観ていたのか。息子として観ていたのか。あるいはその両方なのか。キャンディにはわからない。

ただ一つだけわかったことは、上映中、スクリーンへ向けられていたテリィの視線は、とても優しかった。それだけは確かだった。

そして映画館を出る頃には、シカゴの街はすっかり夜の灯りに包まれていた。