四月、ニューヨークは、まだ春の入口に立ったばかりだった。
冬の名残をわずかに残した風が街路を吹き抜け、それでも陽射しだけは確かに季節の移ろいを告げている。
その日、マンハッタンの一流ホテルでは大規模な催しが開かれていた。全国医療大会と全国看護大会。
全米各地から集まった医師や看護婦たちが最新の医療技術や症例について意見を交わし、功労者表彰も行われる年に一度の大きな集まりだった。
夕方。長かった式典がようやく終了し、会場から人々が次々とロビーへ流れ出していく。
キャンディもそのひとりだった。
「お疲れさま、キャンディ」
隣を歩くマーチン先生が穏やかに声を掛ける。
二人は並んで歩きながらロビーへ向かう。
その途中だった。
「マーチン先生!」
後方から声が飛んできた。
振り返ると、先ほどまで会場にいた医師のひとりが近づいてくる。
「ああ、これは」
名刺交換が始まり、話は思った以上に盛り上がりそうだった。
キャンディはそれを見て小さく微笑む。
「先生、私は先にロビーで待っていますね」
「ああ、すまない」
「ごゆっくりどうぞ」
軽く頭を下げると、キャンディは人波の中へ歩き出した。
広いロビーは人で溢れていた。
大会が終わったばかり、各地から集まった参加者たちが帰り支度をしながら談笑している。
ホテルマンたちも慌ただしく行き交い、ロビー全体がざわめきに包まれていた。
キャンディは大理石の柱の近くまで歩き、そして立ち止まった。
大きな窓の外にはニューヨークの街並み、ふと、胸の奥が少しだけ痛む。
ニューヨークという街は、どうしても彼を連れてくる。
彼の名前を心の中で呼ぶだけで、今でも少しだけ息が苦しくなる。
もう会うことはないと思っていた。
きっと生涯。
どこかで元気にしていてくれたらそれでいい。
そう思うようにしていた。
だから――。
その瞬間だった。
ホテル正面の回転扉がゆっくりと回る。
外の光が差し込む。
何気なくそちらへ視線を向けたキャンディの身体が、不意に止まった。
黒いコート、片手にはタキシードを掛けたハンガー、見知らぬ男性の隣には誰かがいる。
本来なら気にかけないのに、視線が離れない。
なぜだろう。
胸がざわつく。
鼓動が少しだけ速くなる。
男性もまた歩きながら何かを話していた。
だが突然、その足が止まる。
まるで何かに引き寄せられたように。
ゆっくり顔を上げ、視線が重なる。
その瞬間、世界から音が消えた。
テリィは息を止めた。
目の前にいる女性を見つめる。
ありえない。
そんなはずはない。
何度もそう思う。
けれど目を逸らすことができなかった。
髪は肩までに短くなっていた。
少女だった頃より少し大人びている。
だが、優しかった瞳は変わらない。
忘れられるはずがない。
7年間、どれだけ遠ざけようとしても消えなかった人。
心の奥底へ閉じ込めたまま、ずっと生きてきた人。
キャンディだった。
胸が苦しくなる。
言葉が出ない。
なぜここにいる、どうして。
そんな疑問すら浮かばなかった。
ただ目の前にいる。それだけだった。
キャンディも動けない。
夢を見ているのではないかと思った。
何度も想像した。
もし再び会えたなら。
もしどこかで偶然会ったなら。
けれど現実になるなど思ったことはない。
だから信じられなかった。
目の前の男性は以前より大人になっている。
顔立ちも精悍になっていた。
それでも、あの青灰色の瞳だけは変わらない。
忘れられるはずがなかった。
周囲では人々が行き交っている。
誰かが笑い、誰かが話している。
だが二人には何も聞こえなかった。
ただ互いだけが見えていた。
気づけば、どちらからともなく歩き出していた。
一歩。また一歩。
人混みの中を進む。
誰かに肩がぶつかっても気にならない。
ただ引き寄せられるように。
7年という歳月を埋めるように。
距離が縮まっていく。
そして……