インディアナの冬は静かだった。朝になれば畑は白く霜をまとい、夕方には雪雲が空を覆う。診療所の窓から見える景色も日に日に冬らしさを増していた。
キャンディは毎日忙しく働いていた。診療所へ来る患者は途切れない。風邪を引いた子ども、腰を痛めた農夫、転んで膝を擦りむいた少女。診察の補助をし、薬を準備し、時には泣く子どもをあやしながら一日を過ごす。
けれど、どれほど忙しくしていても、心の片隅にはいつも同じことがあった。テリィからの手紙である。
最初の手紙はすぐに届いた。その次も。だからこそ、今回もそうだと思っていた。
だが、一週間が過ぎても、二週間が過ぎても手紙が届かない。三週間目に入る頃には、さすがに不安が胸をよぎり始めていた。
もちろん忙しいのだろう。ホリデーシーズンの主演公演なのだから。新聞にも連日のように公演の記事が載っている。
それでも、ほんの数行でもいい。元気だという一言だけでもいい。そんなことを考えてしまう自分がいた。
ある日、薬棚の整理をしていた時だった。
「キャンディスさん?」
後ろから声を掛けられ、キャンディははっと顔を上げた。振り返ると研修医の青年が不思議そうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「いえ、その……」
青年は困ったように笑った。
「さっきから同じ薬瓶を出したら閉まったりしていますが……」
言われて初めて気付いた。キャンディは思わず苦笑する。
「ごめんなさい。ちょっと考え事してたみたい」
「お疲れなんですか?」
「ううん、大丈夫です」
そう答えたものの、心の中ではため息をついていた。
疲れているわけではない。ただ気になっているのだ。
病気ではないだろうか。いや、病気なら新聞がこぞって伝えるだろう。
それとも――。
そこまで考えて、キャンディは首を振った。最近、共演女優との恋の噂が書き立てられたばかりだった。悪い想像ばかりしてしまう。
離れていても好きだから……
別れ際の彼の言葉を思い出す。彼を信じる。そう決めたはずだった。けれど夜になると、どうしても考えてしまう。
窓際に座り、これまで届いた手紙を読み返す。
テリィらしい少し不器用な文章。
焦がしたオニオングラタンスープの話。
ピーター・ラビットの絵本の話。
読んでいると自然と笑顔になる。
それなのに最後まで読み終えると、やはり寂しくなるのだった。
その頃、ニューヨークではまったく別の戦いが続いていた。
『アントニーとクレオパトラ』は連日盛況だった。
ホリデーシーズンの看板公演。
主演を務めるテリュース・グレアムには休む暇もない。
週八公演。昼公演の日もあれば夜公演の日もある。
一日に二度舞台へ立つことも珍しくなかった。
舞台が終われば終わりではない。
演出家との打ち合わせ、翌週に向けた調整、細かな修正確認。
日曜日のマチネ公演が終わった後でさえ劇場には灯りが残り、気付けば帰宅は深夜になっている。
そしてようやく訪れる月曜日の休演日。
本来なら自由な時間だった。
だがテリィはほとんど動けなかった。
ソファに座ればそのまま眠ってしまいそうになる。
疲労は確実に蓄積していた。
それでも手紙を書こうと机へ向かった。
キャンディへ返事を書かなければならない。いや、書きたいのだ。
伝えたいことはいくらでもある。舞台のこと、劇場のこと、ニューヨークのこと。
そして何より、自分の気持ちを。
便箋を広げペンを取る。
「キャンディへ」
そこまでは順調だった。
だが次の文章を書き始めたところで意識が遠のく。
気付けば机に突っ伏して朝を迎えていた。
翌週も同じだった。さらに翌週も。
書いては眠り、書いては眠りを繰り返した。
引き出しの中には書きかけの便箋ばかりが増えていく。
半分まで書かれたもの。数行で終わったもの。
読み返すと何を書きたかったのかわからないものまであった。
ある夜、テリィは何気なくキャンディから届いた手紙を手に取った。
何度も読み返した便箋だった。
その時ふと消印が目に入る。テリィは日付を確認した。そして壁のカレンダーへ視線を移す。
次の瞬間、思わず顔をしかめた。
「……まずいな」
最後に自分が手紙を出してから、思った以上に時間が経っていた。
キャンディの顔が浮かぶ。きっと心配している。そう思った。
テリィは立ち上がると引き出しを開けた。そこに入っていた書きかけの便箋をすべて取り出す。途中までしか書けていないものも含めて全部だ。
それらを一つにまとめ、そして新しい便箋を広げた。
今度こそ最後まで書こうと思った。だが正直に言えば、また途中で眠ってしまう自信もあった。
だから飾らないことにした。
返事が遅れたこと、疲れていたこと。手紙を書こうとしていた証拠に書きかけを全部同封すること。
そして最後に、
「本当はもっとちゃんとした手紙を書くつもりだった。でもまた途中で寝そうだから、このまま送る。仕上がってないけど許してくれ」
と書いた。
そこでペンを止めた。しばらく考える。そして少しだけ笑う。
結局、どうしても伝えたいことは一つだった。
テリィは最後の一文を書き加えた。
「早く、きみに会いたい」
書き終えた時、ようやく胸のつかえが取れた気がした。
翌朝、劇場へ向かう途中でその封筒を投函する。
これでようやく届く。そう思った。
数日後、インディアナ。
キャンディは分厚い封筒を手にして目を丸くした。
中から出てきたのは何枚もの便箋だった。
途中までしか書かれていないもの。
文章が途切れているもの。
最後の方になるにつれて文字が乱れ、明らかに眠気と戦っていたことがわかるもの。
その様子があまりにもテリィらしくて、キャンディは思わず笑ってしまった。
そして最後の手紙を開く。
読み終えた時には、胸の中にあった不安はすっかり消えていた。
暖炉の火が静かに揺れている。
キャンディは便箋を胸に抱き寄せ、小さく微笑んだ。
遠く離れていても。
会えなくても。
ちゃんと同じ気持ちでいてくれる。
そのことが何よりうれしかった。