カフェを出た頃には、時計の針は午後四時を回っていた。
シカゴの冬の日は短い。空はすでに夕暮れの色を帯び始めている。
二人は肩を並べて街を歩いていた。言葉がなくても平気だった。
隣にいるだけで満たされるような時間だった。
通りにはホリデーシーズンの名残を残した飾り付けがまだ見える。
劇場や映画館の看板には大きなポスターが掲げられ、人々が足を止めては見上げていた。
その時だった。ふいにテリィの足が止まる。キャンディも立ち止まった。
何かあったのだろうかと思いながら視線を追う。
そこには映画館があった。
そして正面へ掲げられた巨大なポスター。
一人の女性が描かれている。
美しい横顔、気品のある微笑み。圧倒的な存在感。
キャンディはすぐに気付いた。
エレノア・ベーカー。テリィの母だった。
テリィは何も言わない。ただポスターを見上げている。その横顔をキャンディは静かに見つめた。
今のテリィは母親を嫌ってはいない。それは知っている。
数年前から少しずつ関係を取り戻し、時折会うようにもなっているというが、それとこれとは別なのだろう。
親子であることと、女優エレノア・ベーカーを見ることは。
テリィはしばらく黙ったままだった。
やがて小さく笑う。
「不思議だな」
「何が?」
「会ってはいるんだ」
テリィはポスターから視線を外さない。
「手紙も来るし、時々食事もする」
そう言って肩をすくめる。
「なのに映画はまともに観たことがない」
キャンディは頷いた。
テリィが映画館のポスターを見上げていると、すぐ近くを通りかかったご婦人二人の会話が耳へ入ってきた。
「あら、エレノア・ベーカーの新作じゃない」
一人が足を止める。もう一人もポスターを見上げた。
『霧の館』
霧に包まれた古い洋館を背景に、憂いを帯びた表情のエレノアが描かれている。
「これ、面白いらしいわよ」
「そうなの?」
「ええ。ミセス・ハミルトンがこの前観たんですって」
「あの映画好きの?」
「そうそう。最後まで犯人がわからなくて、ずっとハラハラしたって言ってたわ」
「へぇ」
「観る?」
ご婦人は楽しそうに笑った。
「観よっか」
「ちょうど次の上映が始まるみたいだし」
二人はそのまま映画館の入口へ向かっていく。
その会話を聞きながら、キャンディはそっと隣のテリィを見た。
テリィはまだポスターを見上げていた。
何かを考えるように。あるいは遠い記憶を辿るように。
冬の夕暮れの光がその横顔を照らしている。
キャンディは小さく微笑んだ。そして静かに尋ねる。
静かにそう尋ねる。テリィがこちらを見る。
「ん?」
「せっかくなんだもの」
キャンディは映画館を見上げた。
入口には次の上映時間が掲示されている。間もなく始まるらしい。
「今なら間に合うわ」
テリィはもう一度ポスターを見た。その表情はどこか迷っているようにも見えた。
俳優としての興味、息子としての照れ、様々な感情が入り混じっている。
テリィは小さく息を吐いた。
「そうだな」
そして少しだけ笑う。
「観てみるか」
その顔は、どこか少年のようだった。キャンディもうれしくなる。
「じゃあ決まりね」
「きみまでうれしそうだな」
「だって」
キャンディは笑った。
「初めてなんでしょう?」
テリィは苦笑する。否定できなかった。
二人は映画館の入口へ向かう。
夕暮れのシカゴ、雪の気配を残した街並み。
そして偶然見つけた一本の映画。
それは単なる映画鑑賞ではなく、テリィにとって少しだけ特別な時間になろうとしていた。